平和の尊さを 菰野町で戦争テーマの展示
8月15日は終戦記念日。菰野町にはかつて千種陸軍演習場(同町千草)と竹永陸軍特攻飛行場(同町永井)が存在した。戦後、演習場跡地からは、薬きょうや銃弾などが見つかり、飛行場跡地には今も防空壕が残る。同町図書館(同町潤田)2階の郷土資料コーナーで、戦争をテーマにした初めての展示「戦争を知る」を開催し、戦争遺跡の写真や寄付された実物を展示している。
日露戦争の終結後、陸軍増設の声があがり、1910年に千種陸軍演習場が建設された。実弾射撃、対戦車攻撃訓練、毒ガス体験訓練などが行われた。戦後、施設は解体されたが、跡地には演習に使われた実弾や薬きょうなどが残り、住民が拾い不発弾が爆発しけがをした人もいたという。展示では、薬きょうと銃弾、砲弾の一部が初公開されている。
竹永陸軍特攻飛行場は、中京圏の防空強化のため建設され1945年4月に完成。竹永小学校正門前から大和ハウス工場付近(竹成)まで約1500メートルの滑走路が作られ、特攻待機していた兵士がいたが、出撃することなく終戦を迎えた。滑走路やコンクリート掩体などは解体されたが半地下式のコンクリート製指揮所(防空壕)が2つ残っている。今回の展示で飛行場の資料や防空壕の写真が見られる。
【今も残る防空壕】
同飛行場で待機していた特攻隊員の一人は、特攻帰還者を幽閉する「振武寮」という施設に収容されていた。そこでは上官が帰還兵を殴打し、怒声を浴びせ、再び生きて戻ることは許されない、と思わせる精神教育が行われた。その証言を記した書籍『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』も同コーナーに展示され、閲覧できる。
【日中戦争記念品と奉公袋】
町民から寄贈された軍隊手帳、肩章、日中戦争の記念品の盃と戦死者の地区ごとの慰霊碑もパネルで展示されている。 同町の学芸員の西山祐実さんは「戦争体験を語れる人がいなくなる中、戦争を知るきっかけが必要」と展示を企画した。同コーナーの宇佐美正文さんは「次世代に平和の尊さを伝えるため、私たちは戦争を振り返る責任がある。展示を見に来てほしい」と語った。