デビュー曲は「DAYBREAK」男闘呼組のストーリーは Rockon Social Club につながっている!
メンバー間の確執ナシで活動休止に追い込まれる
80年代に人気を博したが、解散後にメンバー間の軋轢が公然化したバンドがある。予定していたツアーをキャンセルし、突然の活動休止を発表したユニットもある。あるロックバンドは、ボーカリストと他メンバーとの関係修復が困難な状態が続いている。某ヒップホップ系ユニットに至っては、“もう同じステージに立つことは想像すらできません” と、他メンバーとの確執を示唆した。 このように、音楽グループのメンバー脱退や活動休止、解散が突然発表されることはファンにとって辛いものだ。特にメンバー同士の不仲が原因であることが浮き彫りになった場合、その悲しみは一層深い。
しかし、成田昭次、高橋一也(現:高橋和也 )、岡本健一、前田耕陽からなる4人組バンド、男闘呼組の場合は事情が異なる。彼らは関係が良好だったし、バンド活動も充実していた。新しい全国ツアーのチケットも発売されていた。そんなタイミングで、突如として強制的に活動が停止されたのである。ラストライブの機会も、ファンにメッセージを送る場も与えられなかったのだ。置き去りにされたファンは悲しむ間もなく、呆然とするしかなかった。その時、誰ひとりとして、遠い将来に歓喜のときが来るとは思っていなかっただろう。
男闘呼組の活動は5つのフェーズに分けることができる。それを追っていくと、4人のメンバーにとってお互いが掛け替えのない存在であることが分かる。その友情ストーリーは美しい。
フェーズ1:アイドル候補生からバンド結成へ
1985年、同じ芸能プロに属し、アイドル候補生的な活動をしていた成田昭次、高橋一也、岡本健一らは、“東京" 名義でバンド活動をスタートさせる。当時は前田耕陽を含む追加メンバーが加わるなど編成が流動的だった。グループ名は “東京男組” から “男闘呼組” へと変遷し、メンバーは1986年1月頃から成田(ギター)、高橋(ベース)、岡本(ギター)、前田(キーボード)の4人に固定された。また、バンド活動以外に、アイドル雑誌に露出し、バラエティ番組への出演や俳優活動なども展開しながらファンを増やしていった。
このフェーズ1といえる時期にはレコードデビューの予定が告知されることはなく、ファンをじらし続けたが、その間にもシングル曲のような扱いのオリジナル楽曲が次々と生まれていった。代表的な曲には「TENSION!」「Midnight Train」「Stand Out」「禁断のエロキューション」「第二章 追憶の挽歌」「ロックよ、静かに流れよ -Crossin' Heart-」などがある。さらに、1988年2月公開の映画『ロックよ、静かに流れよ』にメンバーが主演。この作品は複数の映画賞を受賞するなど、高く評価された。
フェーズ2:アイドル的成功と少ないリリース
ファンをじらしにじらし、渇望感が最高潮に達した1988年7月、ついにレコードデビューが発表される。アイドルとして、バンドとして人気絶頂期だった約2年間がフェーズ2に当たるだろう。ちなみに、1988年8月24日にリリースされたデビューシングル「DAYBREAK」は、カップリング曲が異なる4つのバージョンが用意された。それらは、男闘呼組の主演ドラマや主演映画の主題歌など、いずれもファンにはお馴染みの曲ばかりだった。当然、4枚買ったファンも多かったに違いない。その効果もあって、同シングルはオリコンのウィークリーチャートで2週連続を含む合計3週で1位を記録し、年間チャートで4位にランクインした。
ただ、彼らの歴史を振り返ると、このフェーズ2でリリースされたシングルの枚数は驚くほど少ない。セカンドシングル「秋」のリリースは1988年12月末、翌1989年には「TIME ZONE」と「CROSS TO YOU / ROCKIN' MY SOUL」の2枚、1990年には「DON'T SLEEP」の1枚のみだった。こうした新譜の発表ペースからもわかるように、男闘呼組の活動内容は、他の男性アイドルグループとは明らかに一線を画していた。
フェーズ3:アイドルからの脱却と音楽的進化
ただ、男闘呼組はロックバンドのスタイルをとりながらも、一般的なアイドル活動もまったくやっていなかった訳ではない。他の男性アイドルグループとの共演もあったし、ニコニコの笑顔でアイドル雑誌の誌面を飾ることもあった。しかし、デビューから数年が経つにつれて、その割合は次第に減少していった。メンバーがアイドル雑誌『月刊明星』(集英社)の表紙を飾ったのは、1991年1月号が最後である。そして、この1991年こそが、バンドとして新たなフェーズに突入した年でもあった。
それまでもアルバムを制作するたびに自作曲の割合を増やしてきた男闘呼組だったが、2月にリリースされた4枚目の『I'm Waiting 4 You』では、ついに全曲を自作に踏み切った(一部共作を含む)。同時期リリースの「ANGEL」も、初の自作シングルであった。さらに翌1992年6月からは、『5-1…非現実…』『5-2…再認識…』『5-3…無現実…』と3ヶ月連続でアルバムをリリースし、同時に収録曲を3ヶ月連続でシングルカットするという大胆な実験を行った。『5-3…無現実…』では、ついにジャケットからメンバーの顔をアップにした写真が消えた。それはアイドル視されることへの反発のようにも感じられた。
反面、オリコンのウィークリーチャートでトップ10入りしたシングルは、「ANGEL」が最後となった。メンバーが独自性を追求することは、必ずしもセールスに直結しなかったのである。CDの売上は下降したものの、一方でこのフェーズ3は、バンドとしてのスキルを磨き、音楽的に成長していった期間といえる。1993年5月には、JACKS'N'JOKER、寺田恵子、TOSHI with Night Hawksなど、同じレコード会社に所属するミュージシャンたちとともにフェス的なライブイベントに参加した。他のロックバンドとの共演は、メンバーにとって大きな刺激となっただろう。しかし、そんな時期に、男闘呼組は突然、終焉を迎えることになる。
1993年6月、高橋が所属プロダクションから契約解除され、すでにチケットが発売されていた夏のツアーは全公演中止となった。後年、高橋は解雇の理由について、“若さゆえの結果であり、決定的な理由があったわけではなく、様々な要因が積み重なってのことだった” といった旨を語っている。いずれにせよ、男闘呼組の活動休止は、メンバー自身の意思ではなく、所属プロダクションの決定によるものだった。その後、他の3人はそれぞれの芸能活動を続けたが、男闘呼組の継続はなく、やがて成田と前田もプロダクションを去ることになった。
フェーズ4:29年間のブランクと限定的な再結成
バラバラになった4人は、それぞれの道を歩んだが、共通していたのは音楽を辞めなかったことだ。男闘呼組時代のような大規模なビジネスにはならなかったものの、各自のスタイルで楽器を手放さなかった。また、別々のプロダクションに属しながらも、4人が没交渉にならなかったことも特筆に値する。俳優として地位を確立した岡本と高橋は、ドラマで2度共演し、高橋は成田、前田とも音楽活動で共演したり、新たなバンドを組んだりしたこともあった。しかし、2009年以降、成田に限っては他の3人と連絡が途絶えてしまう。 違法行為で逮捕されたことで公の場から姿を消すことになったからである。
それから10年近くが経過した。高橋、岡本、前田は成田がどこでどう過ごしているのか分からなかった。しかし、たまたま高橋が共通の知人を通じて成田へのコンタクト手段を知ったことをきっかけにパイプが復活。メンバー間の交流が活発化していった。2019年5月に開催された映画『ロックよ、静かに流れよ』の公開30周年記念上映会に岡本が参加し、消息が公表されていなかった成田のコメントを発表。メンバー間の友情が続いているという事実は、かつてのファンにとって涙が出るほど喜ばしい出来事だった。当時は公になっていなかったが、コロナ禍の2020年には、他の3人が成田の住む名古屋を訪れ、スタジオで長時間のセッションを行った。ここからがフェーズ4の始まりだ。
27年ぶりに一緒に音を出した経験は、高橋、岡本、前田にバンド再結成への意欲を呼び起こすのに十分だった。しかし、一般企業の社員として働いていた成田にとっては現実的な選択ではなかった。それから、いくつかのプロセスを経て、成田は活動再開を決意した。そして、2022年7月16日、TBS系列の音楽特別番組『音楽の日』内で約29年ぶりに男闘呼組の復活が公式サイトでサプライズ発表されたのだった。
後日、東京ガーデンシアターでの再始動ライブ、東名阪での追加公演の開催も明らかになり、4人揃ってのバラエティ番組出演もあった。29年ぶりの再結成は “男闘呼組” という商標を元の所属事務所から期間限定でレンタルしたような形だったため、約1年に限られた。そして、男闘呼組は、2023年4月からの全国ツアー『男闘呼組2023 THE LAST LIVE』後、4日間の日本武道館公演を最後に解散するということが発表される。
全国ツアーを前に取材を受けたメンバーたちはいずれも、“29年間のブランクはバンドにとって必要なものであり、その時間とそれぞれの経験が今の活動にプラスになっている” といった発言をした。多くのファンを熱くさせた1年間はあっという間に過ぎた。武道館公演の後日、8月26日に『男闘呼組2023 THE LAST LIVE -ENCORE-』というアンコール公演が追加され、それが正真正銘のラストステージとなった。会場はフェーズ2の頃に初の野外ライブを行った思い出深い日比谷野外音楽堂であった。
フェーズ5:新バンドの結成と継続的な活動へ
29年ぶりに迎えた新しいフェーズで濃密で刺激的な時間を過ごしたメンバーたちは、その活動を1年で終わらせるのはあまりにも惜しいと感じ、いつまでも続けていきたいと願った。そこで、男闘呼組の期間限定活動と並行して、その後継バンドとしてRockon Social Clubを2023年に 結成。元JUN SKY WALKER(S)のベーシスト寺岡呼人のプロデュースのもと、新たなバンド活動を開始した。メンバーは成田、高橋、岡本、前田の4人に加え、寺岡(ベース、ギター)と青山英樹(ドラム)の6人編成だ。
2023年3月には、Rockon Social Clubのオリジナルアルバム『1988』がリリースされた。このアルバムは、30年ぶりに男闘呼組の全メンバーが参加した新作である。さらに、男闘呼組のラストライブツアーと同時期に、Rockon Social Clubのデビューライブツアーが行われ、2つのバンドがシームレスに繋がっていった。
寺岡のプロデュースによって、新バンドには従来の男闘呼組にはなかった新しい色合いが加わり、音楽的な幅が広がった。2023年の大晦日にはMISIAをサポートする形で『NHK紅白歌合戦』のステージに登場。2024年には全国ツアーを行い、9月には武道館公演も予定されている。男闘呼組は解散したが、Rockon Social Clubは今も活動を続けている。50代半ばを迎えた成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽が同じステージに立つという夢のような時間は現在進行系である。男闘呼組のデビュー曲「DAYBREAK」には「♪待たせたけれど 終わった夏より 灼きつく愛が始まる」という歌詞がある。このメッセージは約束どおり果たされた。ファンは29年も待った甲斐があったのである。