人生を「書」に捧げる石川九楊、待望の大規模個展がいよいよ開幕
2024年6月8日(土)、書家・石川九楊(いしかわ・きゅうよう)による待望の大規模個展「石川九楊大全」の前期展「【古典篇】遠くまで行くんだ」が開幕した。会場は「上野の森美術館」で、前期展は6月30日(日)まで。7月3日(水)からは、展示作品の全てを入れ替えて後期展「【状況篇】言葉は雨のように降りそそいだ」が始まる。
1945年に生まれた石川は、「書に親しむこと75年、書に溺れること60年」と自ら語る通り、幼少期に始めた書に一貫して取り組み続け、傘寿にならんとしている現在もなお精力的に活動している。その射程は、書作のみならず書についての評論にまで及び、書という芸術の可能性を広げる一方で、歴史上の作品の読み解き方についても詳らかにしてきた。まさに人生を書に捧(ささ)げていると言っても過言ではないだろう。
前期展では、主に1980年代から1990年代にかけて書かれた、中国や日本の古典を扱う作品を展観する。いわゆる「古典へと退却」することで得られた成果の集大成と言える。現代の言葉と異なり、少し距離のある古典だからこそ、書の表現を追究することのみに専念できたこの時期を振り返って、石川自身が「退却」と否定的なニュアンスを持つ言葉で呼ぶが、それは取りも直さず現代の言葉を書くための営為にほかならない。
1960年代の学生時代に本格的な書作を開始して以降、常に「時代の言葉を書くこと」を切望してきた石川だが、実父亡き後に哀悼の意を込めて「蓮如御文」を書いたことから、現代の言葉を書くためにこそ、徹底的に古典に取り組む必要があることを感じることになる。そのあたりの事情については、タイムアウト東京で行ったインタビューも参照してほしい。
本展の冒頭で、来場者を最初に出迎える「千字文(せんじもん)」を書いた一連の作品は、すでに古典をも自家薬籠中のものとした2000年代に書かれた作品群だが、書という芸術の持つ力を鮮やかに示す本展の幕開けにふさわしいと言えよう。「いろは歌」のように、全て異なる1000の文字からなる漢詩である「千字文」は、しばしば書の手本としても用いられてきた、書道における一つの規範でもあるのだから。
その「千字文」を径8.5センチの盃(さかずき)に一文字ずつ書いた「盃千字文」も、1000点全てを本展で観ることができる。「天地玄黄」に始まるこの長詩は、森羅万象を読み込んだものとされる。「曜変天目茶碗」を指して、人は「器の中に宇宙が見える」と評すが、盃の中に千の文字を刻んだ本作は、「書」ひいては「言葉」というものがあまねく宇宙を内包していることを暗示するかのようだ。
1000文字全てを省略することなく書き、また展示するという、言葉に対する誠実な態度にも賛辞を送りたい。文庫本1冊分に相当する分量の「歎異抄」について、やはり全文を1つの作品に書き込んだ、代表作の一つ「歎異抄 No.18」(1988年)をはじめ、「徒然草」や「方丈記」など、いずれも必見の傑作ばかりで、見どころを書くと枚挙にいとまがない。「ニジミ」表現を存分に堪能できる「李賀詩」に捧げられた大空間にも圧倒されるが、本稿では「源氏物語」を題材とした作品群に着目したい。
ここでも、全54帖からなる「源氏物語」の全てが作品化されている。上下に分けられることの多い「若菜」は「若菜上」「若菜下」として、加えて本文の伝存しない「雲隠」も作品化されているため、計55点に及ぶ作品が一堂に会する景観はまさに圧巻としか言えない。石川による書表現のボキャブラリーの豊かさ、また物語に対する理解の深さに息を飲むことだろう。
例えば「夕顔」ならば「物の怪の徘徊するイメージを物語文に重ねて記述する」、「葵」ならば「斜めに走る筆画の微動で、その痴れ喧嘩の風景の再現を試みる」など、キャプションの一つ一つに添えられたコメントもまた興味深い。和歌や物語に描かれた人物の心理をどう捉え、どのような技法で作品に仕立てるか、がっぷり四つで「源氏物語」と格闘する石川の姿を眼前にするかのような臨場感を楽しんでほしい。
前期展のメインビジュアルにも使用されている「若菜上」は、栄華を極める源氏の絶頂期に当たり、同時に衰退を予兆させる場面でもあるが、こと石川に関しては衰えるということを知らないようだ。これまでの全活動を振り返る本展を、石川は「中締め」と位置づけており、今後の活動にも変わらぬ意欲を示している。
事実、古典回帰の時期を経て以降の活躍には目をみはるものがある。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる「9.11」への反応として作られた「二〇〇一年九月十一日晴──垂直線と水平線の物語」(2002年)では初めて自作の詩を、2006年の「戦争という古代遺制」では初めて自らの手になる評論文を書として作品化した。現代の言葉を扱う後期展にも、「『ヨーロッパ』の戦争のさなかに」など気になるタイトルの最新作の展示が用意されているので、そちらにも期待したい。
「石川九楊大全」という名にたがわず、未発表作を含むほぼ全ての作品を掲載するカタログレゾネも、本展に合わせて刊行された。こちらで、古典回帰の契機となった「蓮如御文」も確認できる。カタログレゾネの掲載作品を映す映像も物販コーナーで上映されているが、何せ2000点もあるので、1点につき5秒間でも総尺で2時間をゆうに超える。関心のある向きには、時間に余裕を持って訪れることを推奨する。
Time Out Tokyo Editors