「天才殺人鬼は実在しない」「ある意味、映画は絶滅の危機」記録的ヒットの超話題ホラー『ロングレッグス』監督が語る
超話題作『ロングレッグス』ついに日本上陸
A24に次ぐ気鋭の映画スタジオ<NEON>が放つサイコスリラー、『ロングレッグス』が3月14日(金)より日本公開となる。本国では昨夏に公開されるや記録的な興行収入をあげ、NEON史上もっとも米国内でヒットした作品となった。
そんな本作、予告映像や限られた場面カットを見るだけで期待値がわなわなと上昇する異様なバイブスを放っているが、実際とっても奇妙な映画である。
もしや『悪魔のいけにえ』(1974年)のような猟奇殺人が起こるのかと思いきや、『羊たちの沈黙』(1991年)よろしく若い捜査官が登場し、『セブン』(1995年)や『ゾディアック』(2006年)みたいな暗号解読もあるの? と驚かせつつ、『ツイン・ピークス』(1990年~)的演出で煙に巻く……。とはいえ、その奇妙な魅力は過去の名作を引き合いに出して伝えきることはできない。
マイカ・モンロー演じるFBI捜査官ハーカーと、ニコラス・ケイジ扮する怪人。鑑賞毎にインストールする前情報はそれだけで十分。わたしたち観客は主人公ハーカーと同じように不可解な出来事に翻弄され、絶句し狼狽し、鈍器でガツンとぶたれたような衝撃を脳内で反芻しつつ、不思議な余韻を噛みしめながら劇場を出ることになる。
ヒット連発! 今もっとも注目される監督オズグッド・パーキンスにインタビュー
スリラー好きはもちろん、淡々寒々としたミステリー好きや実験的でアーティーな作品に目がないような映画ファンにも是非オススメしたい本作。このたび監督のオズグッド・パーキンスに話を聞く機会を得たので、さぞエキセントリックな人だろうとおそるおそるインタビューに挑んだが、ひとつ訊けば100答えてくれるタイプの熱い映画マニアだった。
ちなみにオズ監督のお父様はヒッチコックの『サイコ』(1960年)のノーマン・ベイツ役で知られるアンソニー・パーキンスで、シリーズ3作目では自らメガホンをとったレジェンドである(オズ監督自身は1983年の『サイコ2』で子役デビュー)。そんなオズ監督はすでに次作(スティーヴン・キング原作の『The Monkey(原題)』)も本国で大ヒットさせており、今後インタビューを取るのが難しい売れっ子作家になるかもしれない。
「黒沢清の『CURE』のように素晴らしい作品を自分も作りたかった」
――まず、本作の企画がスタートした最初のきっかけを教えて下さい。
じつは自己保全的なところから始まっています。インディーズ映画を撮り続けるのなら、そろそろ多くの人が観てくれる作品を作らないといけないんじゃないかという気持ちに駆られたんです。いま映画制作はある意味、絶滅の危機に瀕している。だから映画製作に関する自分の知識や理解というものをなにか形にしなければ、と。
では、より多くの人が観たいと思う容器、“うつわ”というのはどんなものか? と考えたときに、この作品を思いつきました。というのは、90年代初期の連続殺人もの、たとえば『羊たちの沈黙』や『セブン』などは傑作ですが、それらはリアル・クライムとは全く関係ない。ハンニバル・レクターのような連続殺人犯なんて現実には存在しないわけで、だからフィクションとして素晴らしい作品、キャラクターですよね。
『羊たち~』の原作者のトマス・ハリスがレクター博士のモデルにしたのは、彼自身のお祖母さんです。とにかく口が悪いお祖母さんで、感謝祭などで家族が集まると全員を口汚く罵るような人だったそうです(笑)。『セブン』にしても、まるでダンテやミケランジェロのように天才的で美しいプランを思いついて実行するような犯人なんていないわけで、現実にはどちらかと言うと矮小な、あまり賢いとは言えない変態的な感覚を持った小者が殺人犯だったりすることが多い。
でもこうしたジャンルの作品では、最近は“リアル・マーダー”を描くことが流行っています。ただ映画はフィクションであって、たとえば黒沢清監督の『CURE』(1997年)のようにマジカルな、連続殺人を描いた優れた作品が作られなくなって久しい。だから自分も作ってみようと思ったんです。そして(『羊たちの沈黙』の)クラリスのような若い捜査官に特殊な能力を持たせてみたらどうだろうか、といったアイデアから制作が始まりました。
「デヴィット・リンチを引き合いに出される以上の褒め言葉はありません」
――本作はよく『羊たちの沈黙』を引き合いに出されますが、『ツイン・ピークス』を想起する観客も多いと思います。ニコラス・ケイジ演じる謎の男は存在自体が曖昧で、どこかキラー・ボブのようでもありますし、(同シリーズにも出演していた)アリシア・ウィットの存在は、そのイメージをより強くするでしょう。実際にデヴィット・リンチ作品を意識した部分はあるのでしょうか?
(シャツの下に着ていた『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』のTシャツを見せながら)私はいつも、大好きな作家たちや作品に敬意や感謝の気持ち、オマージュを込めて、そして謙遜をもって制作しています。今回で言えば『羊たち~』や『セブン』、そしてもちろんテレビ放送で観た『ツイン・ピークス』があるわけです。当時は週に一度しか放送がなくCMも挟むから、ちゃんとテレビの前で一話ずつ観ていました。
『ツイン・ピークス』をエピソード1から2へと観ていく中でブラックロッジ、そして“別の場所から来た男”(演:マイケル・J・アンダーソン)が登場したあたりから、僕らのような人々はものづくりの基礎を、固定概念をぶち壊されたんです。ああ、この世界ではアリなんだ。世界は、宇宙はアイデアに溢れていて、夢と絵/画のあいだに境目は無いんだ。スクリーンにおけるストーリーテリングそのものが“夢”なのだ、と。
「それでいいんだ」と教えてくれたのが、まさに『ツイン・ピークス』だったんです。だからデヴィット・リンチ作品のようだと言ってもらえること以上の褒め言葉はありません。
リンチという監督は、単にビジュアルだけでなく口語による真理のある表現方法、そして心あるいはマインドの、ある状況における表現を一つの言語として確立した人だと思います。そこまで実現しているアーティストは他になかなかいません――“ポップ”という意味ではアンディ・ウォーホルが近いかもしれませんが――とにかく私自身をここまで形作ってくれた存在は他にはいない。ですから同じセンテンスで語ってもらえること自体が光栄ですし、最高の褒め言葉なんです。ありがとうございます。
「自由に楽しそうに演じるニックの姿に、他のキャストたちが感激していた」
――ロングレッグスのキャラクター像は強烈で、少しでも失敗すると滑稽なピエロのようになってしまいそうですが、本当に恐ろしく感じました。ニコラス・ケイジの名演には誰もが驚くでしょう。ケイジにロングレッグスを演じてもらう上で、どんな話をしましたか? 彼は自分からどんどんアイデアを出すと聞きますが、本作ではいかがでしたか?
とにかくニコラス・ケイジに出演してほしかったし、そして彼が引き受けてくれて本当に幸運でした。なにしろ他に替えが利かないわけですから。確かに彼はたくさんアイデアを出してくれるんですが、それは作品のためであって、自分のエゴというわけでは全くないんです。
実際「あなたはニコラス・ケイジなのだから、何だったらセリフを全部燃やしてアドリブで演じてくれても構いません」とまで言ったんですが、とても落ち着いた様子で「いやいや、すべて(セリフ通りに)演じさせてもらうよ」と言ってくれました。「そのために僕はここにいるんだから」と。その日は監督としてとても嬉しい日でしたね。
ニックは作品を自分のもたらすもので満たすためにそこにいて、自分の持てる知性や精神、喜びといったものすべてを作品に注ぎ込んで貢献してくれる、そういう人なんです。そして本作では、役柄としてはグロテスクで歪んでいて怖いものではあるんですが、演技という意味では本当に自由に、喜びをもって楽しそうに幸せそうに演じてくれた。そんなニックの姿を見て「すごく感激した」というキャストがたくさんいたんです。それもすごく嬉しかったですね。
「インビジブルな空間、ネガティブスペースをいかに使うかというアプローチ」
――本作は、中央にいる人物の左右に奥行きのある対称的な背景がたっぷり映っている画角が多く、後ろの「空間」から何か恐ろしいものが飛び出してくるのでは? と想像させられます。いくつかのシーンでうっすら現れる「ツノの生えた影」も含めて、そうした空間に恐怖を含ませる意図はありましたか?
シドニー・ルメットの本だったと思うんですが、『羅生門』(1950年)のオープニングショットのフレーミングについて聞かれた黒澤明監督が、当たり前のような感じで「右にはホンダの工場、左にはトヨタの工場があったから仕方なかったんだ」と答えていて。これはジョークのようだけれど半分は真実で、実用的な理由ということなのだと思います。
『ロングレッグス』のカメラマンは同じ感覚を共有している信頼できる人で、レンズについては事前にイメージしつつスタンリー・キューブリックも敬愛しているので、彼がよく使用していた70mm、80mm(のサイズ)を意識しました。画角に関して言うと、人物の頭上に空間がないと落ち着かないんです。なぜ他の映画作家が同じようにしないのか不思議ではあるんですが、それが私の世界の見方であって、むしろ差別化されるので喜ばしいところでもあります。
これは誰が言ったものか忘れましたが、「すべての重要なものは見えないものである」というような言葉があります(※「星の王子さま」……?)。私はキャラクターの周囲の“見えない部分”に幽霊などが潜んでいるのではないかと考えて、今回はインビジブルな空間を多用しました。最近あらためて黒澤監督の『天国と地獄』(1963年)を観直したんですが、大きな余白のある画角が素晴らしかった。だからネガティブスペースをいかに使うか、というのが今回のアプローチでもあります。
ちなみに正確な数は把握していないんですが、角の生えたクリーチャーの影は十数回登場するので、あらためて観ていただければ幸いです。
……本作はT-REXの曲がたびたび流れるが、ロックミュージックと悪魔崇拝の関係はチャールズ・マンソンや『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)などを想起させる。ニコラス・ケイジ演じる怪人は登場シーンがかなり限られているにも関わらず、終始スクリーンを支配する存在感が本当に恐ろしい。オズ監督の実の娘(ベアトリクス・パーキンス)との共演シーンは、笑っていいのか一瞬バグってしまうシュールさだ。
そして作品前に異なる魅力を見せてくれるマイカ・モンローは、社交性に乏しい捜査官リー・ハーカーの持つ超人的な能力を抑えた演技で見事に表現。母と娘の関係も大きなテーマの一つとなっていて、アリシア・ウィットが怪演するハーカーの母の恐ろしすぎる挙動が、じっとりと記憶に絡みついて離れない。
本気で怖いスリラー/ホラーを大きなスクリーンで観たい人、とにかくヘンな映像を大量に浴びたい人、ゾクゾクするようなミステリーを堪能したい人、ニコラス・ケイジの怪人ぶりを確認したい人、「うわっ!」と声が出るほどびっくりしたい人……。本作を劇場で観れば、シーンの隅々まであーだこーだと語り合いたくなること請け合いである。
『ロングレッグス』は3月14日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開