静岡学園のMF原星也が定位置をつかむまで。夏までBチームのサイドアタッカーは後輩たちの希望の星に<全国高校サッカー選手権>
12月28日に開幕する全国高校サッカー選手権で5年ぶりの頂点を狙う静岡学園の中で、シズサカ編集部のイチオシは左MF原星也だ。
22日に裾野市内で行われた大会前最後のトレーニングマッチ福井商業戦にフル出場。圧巻のプレーを見せたのは5−0で迎えた試合終了間際だった。
左サイドでボールを持つと、縦に行くと見せかけて中央にカットイン。まだゴールまでの距離はあったが、迷うことなく右足を振り抜いた。鋭い回転の掛かったボールは曲がりながらゴール右上を射抜いた。
「星也に限らず、ああいうシュートが全国でも出てくれれば」。普段は辛口の川口修監督も興奮気味に振り返った完璧なコントロールショットだった。
「失敗しても自分の特徴を出すしかない」
このサイドアタッカーは今でこそ指揮官の大きな信頼を得ているが、この夏までは日の当たらない道を長く歩いてきた。
小学時代からトレセン経験はなし。3つ上の兄の影響で静岡市のSJ安東FCから静岡学園中に進んだが、中学時代は怪我も重なり、大半がBチーム暮らしだった。「公式戦の出場は2試合ぐらい(笑)」。全国中学校体育大会のメンバーにも入ることができなかった。
全国からテクニシャンが集まる高校では2年になってもCチーム。3年になってもセカンドチームでのプレーが続いた。
「一番つらかったのは(セカンドチームが出場する)プリンスリーグが始まった頃。本当に何もできなくて、セカンドの先発から外れたこともありました。富士市立戦の後に北川さん(コーチ)に呼ばれて『今日は何もできなかったな。もっとやれよ』と言われて…。あの言葉がなければ、練習も生活もずっと適当だったと思います。それからは自分の特徴を出すしかないと思って、失敗しても続けていました」
セカンドチームで北川慶コーチが指摘し続けてきたのは「ボールを積極的にもらって、まずは仕掛けること。抜きにいって抜けないならいい。まずは抜きにいけということ」だった。
川口監督「星也は自分の特徴を尖らせた」
風向きが変わり始めたのは、プリンスリーグ東海で強豪との連戦が続いた5〜6月だったという。
「清水エスパルスユース、ジュビロ磐田U-18。Jリーグの下部組織が相手でも、自分はこれだけやれるんだって思えるようになりました」。年代別代表がずらりと名を連ねる相手に、自分の突破力が通用するという手応えを感じることができるようになった。
そして6月30日、転機が訪れた。プリンスリーグ東海第7節・四日市中央工業戦。トップチームがプレミアリーグWESTで大津高と戦い、1−8の大敗を喫した直後に行われた試合だった。
そのまま会場に残ってセカンドチームの試合を見守った川口監督の前で、原はサッカー専門サイトの「マン・オブ・ザ・マッチ」をゲットするほどの活躍を見せた。
川口監督は振り返る。「あいつがチームで一番スピードがあると分かったのは3月頃だったが、まだAチームに上がれる技術はなかった。でもプリンスリーグで経験を積んで、自分の特徴を尖らせて、突破力を出せるようになってきた」
視界は一気に開けた。5月の県高校総体はベンチに入ることさえできなかったが、7月下旬の全国総体でいきなりメンバー入り。福島県のJヴィレッジで、ついに“トップチームデビュー”を果たした。
夢舞台「ワクワクしています」
小学時代からトレセン経験もなかった選手が全国屈指のテクニシャン集団の中で心折れることなくサッカーを続け、最後の最後に定位置を確保。原はトップチームを目指して日々歯を食いしばっている静岡学園中や高校の後輩たちに勇気を与えている。
県予選期間中から報道陣に囲まれるようになり、一躍注目を集める存在になった。「(テレビや新聞に取り上げられるのは)もう十分です(笑)」と冗談めかしつつ、「いろんな人の支えがあって今がある。自分の力だけじゃないことは確実なので、恩返しをするためにも今の立ち位置に満足せず、もっと上を目指していきたいです」と話す。
静岡学園は青森山田や東福岡、尚志(福島)、正智深谷(埼玉)など難敵ぞろいの厳しいブロックに入ったが、原はまもなく始まる夢舞台に「ワクワクしています」と胸を踊らせる。50メートル6秒フラットのスピードを武器に、さらにまばゆいスポットライトを浴びるつもりだ。