「言語化能力の低い管理職」は、存在意義がない【トップビジネスパーソンに聞く】
生成AIを使いこなせるかどうかは、
実は「言語化力」にかかっていることをご存じでしょうか。
「なんとなくいい感じにして」では、AIも部下も動けません。
AIに的確なプロンプトを出す力は、部下に明確な指示を出す力と直結します。
つまり、AI時代の管理職は、言語化力次第で成果が大きく変わるのです。
本記事では、12年間にわたり経営コンサルティングに従事し、WEBメディアの運営支援や記事執筆などを行うティネクト株式会社の代表・安達裕哉さんに、 「言語化を怠る管理職が直面するリスク」 と、 「これからの時代を生き抜くために必要な言語化スキルの鍛え方」 を詳しく解説します。
言語化できない管理職は、なぜ“無能”と言われるのか
言語化が苦手な管理職は、長期的には、かなり厳しいと思っています。
なぜかと言えば、彼らは周囲を巻き込んで、無駄な摩擦と徒労を生み出すからです。
例えば昔、客先にこんな管理職がいました。
部下が作った資料を見て
「わかりにくい、書き直してこい」
と、部下に突っ返すのです。
読者諸兄姉はすぐに「あ、無能な管理職だ」と、ピンとくると思います。
そうです。
どこがわかりにくいのか、どう直せばよいのか、その話が一切ないのです。
「どこを、どのように直せばよいですか?」と尋ねても、「わかりやすくしろって言ってるんだよ、それくらい自分で考えろ」と、言語化しようとしない。
そんな(無能)管理職はたくさんいます。
部下は想像するしかなく、数字の見せ方が悪いのか、構成が悪いのか、フォントの問題なのか、ひとつずつ仮説を立てては修正を重ねます。
しかし再提出しても、また「違う」と突き返される。これが繰り返されると、部下はどんどん疲弊していきます。
あるいは、こんな管理職も見ました。
打ち合わせの場で、部下が提案した新しい企画に対して「いや、それは違うんだなー」とだけ言うのです。
「どのあたりに違和感がありますか?」と尋ねても、なぜ違うのか、どこにリスクがあるのか、どうすれば改善できるのか。そうした説明ができない。
結局、「違う」「ダメ」「リスクが高いからやめておけ」で終わる。
このときも、おそらく部下たちは必死に上司の頭の中を読み取ろうとするでしょう。
市場調査のデータが足りなかったのか、社内調整のリスクを見落としていたのか、あるいは単にコストが高いと感じたのか。
理由を尋ねても「感覚的にうまくいかないと思う」と返ってくるだけで、具体的な根拠は示されない。結果、何も進まない。
ここで重要なのは、この管理職は部下を「自分で考える力をつけさせるための指導をしている」と思い込んでいる点です。
実際はただの怠慢であり、言語化を放棄しているだけ。その責任を果たさず、部下に「自分で考えよ」を強要しています。
部下に考えさせるのは悪いことではないですが、結局どこかで、明確に「上司の答え」あるいは「判断の基準」「ルール」などを示せなければ、管理職としての存在意義はありません。
それでも本人は「自分は厳しい上司だ」「部下の自主性を重んじている」と勘違いしている。
最悪なのは、そうした管理職が組織に一定数、存在しているという現実です。
言語化を怠る管理職が組織にもたらす悪影響
こうした上司を「単なる怠慢」とし、些細な問題として片づけてはいけません。
というのも、言語化を怠る管理職の下では、部下の能力が向上しにくいからです。
何を基準にすればよいかがわからないため、同じ失敗を繰り返し、成果も不安定になります。
もっと言えば、上司の顔色をチラチラとうかがうことが判断基準になる。
そのうちに、管理職は「部下の能力が低い」と愚痴をいい、部下は「どうせ何を出しても否定される」と諦めます。
本来、管理職の役割は明確です。
上で述べたように、部下に「何を重視すべきか」「何を改善すべきか」という 判断の基準を示すこと です。
そうして、初めて部下たちは自分で考えて、自律的に仕事をするようになる。
それがなければ、部下はいつまでも正しい方向を見出せません。言葉で道を示すことなく、ただ「違う」と言い続ける管理職は、存在そのものが害悪で、現場に混乱をもたらしますから、むしろ、いないほうがいいくらいです。
余談ですが 「独裁者は判断基準を絶対に示さない」 という話を聞いたことがあります。
自分以外に判断を許さず、ひたすら服従を強いるためには、自分が何を考えているのかを示さないほうが、有利だというのです。
確かにそうですよね、独裁者は気まぐれであるほうが、何を考えているかわからず、より人に恐怖を与えることができるのですから。
独裁的な社長や、管理職はこの傾向が強いのです。
なぜ管理職は言語化から逃げるのか
ではなぜ、これほど「無能」と言われても、重要な言語化から逃げる管理職がいるのでしょうか?
理由は3つあります。1つめは、前章で述べた「独裁者」として振る舞いたいから。
2つめは、自分の頭の中を整理することが面倒だからです。
言葉にしようとすると、自分自身が何を理解していないかが露呈します。その痛みを避けるために、抽象的な言葉に逃げる。
そして3つめは、過去の日本的な職場文化が「空気を読む」ことに依存してきたからです。
言葉にせずとも、長時間同じ場所にいれば、なんとなく意思疎通ができた。だから管理職も言語化の必要性を感じなかったのです。
しかし、現代社会の知識労働は、そうはいきません。
仕事が複雑化し、 高度になればなるほど、「言語化」が仕事の中核 をなすようになってきています。
現代の職場では、明確に言葉にしなければ仕事は進みません。しかも現場で関わる人の数も増えています。
ある人が知りたいのは意思決定の可否であり、別の人が知りたいのは具体的な数値であり、また別の人は顧客の反応を求めています。
AI時代にこそ問われる、管理職の言語化能力
生成AIの登場によって、言語化力の有無はますます露骨に差を生む ようになりました。
例えば、資料の文言がなんとなくダサいとき、AIに「かっこよくして」と投げても、返ってくるのはピント外れの成果品です。
しかし「三行で、知的で、顧客向けに安心感を与える表現に」と言えば、かなり的確なアウトプットが返ってくる。結局、生成AIを使いこなせるかどうかは言語化力次第です。
ではどうすれば言語化力を鍛えられるのか。
答えはひとつです。自分が何を求めているのかを、はっきり言葉にする習慣をつけることです。
「なんか違う」ではなく「顧客視点のメリットが抜けている」と言う。「いい感じにまとめて」ではなく「冒頭で結論を示し、次に根拠を2つ入れろ」と言う。
要は、部下に丸投げせず、自分で定義することです。
言語化できる管理職の下では、部下は迷わず動けます。
余計な推測にエネルギーを使わず、正しい方向に集中できます。
評価も具体的に伝わるから部下の能力も向上するでしょう。
言語化は確かに面倒です。時間もかかりますし、頭も使います。
そのための訓練に時間もかかります。
しかし、そのコストを惜しむなら、冒頭に書いたように、長期的には管理職として働くのはとても厳しいでしょう。
部下たちは言語化能力が低い「無能な管理職」を許しません。
管理職が、「働かない部下」を許さないのと、全く一緒です。
プロフィール
安達裕哉
1975年生まれ。筑波大学大学院環境科学研究科修了後、デロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社。 品質マネジメント、人事などの分野でコンサルティングに従事し、その後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサルティング部門の立ち上げに参画。 大阪支社長、東京支社長を歴任したのちに独立。
現在はマーケティング会社「ティネクト株式会社」および生成AIコンサルティング会社「ワークワンダース」 の代表として、コンサルティング、webメディアの運営、記事執筆などを行う。
代表著書
『仕事ができる人が見えないところで必ずしていること(日本実業出版社)』
『頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)』
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安達裕哉