破水から緊急帝王切開へ! 助産院で産みたかった私がこの経験から学んだこと
フリーランスでライターをしている小吉です。私が第1子を妊娠したのは、37歳の時。当時、正社員としてメーカーに勤めていた私は、毎日仕事が忙しく、帰ってくると疲れ切ってぐったりしているような状態でした。
自分は自然派!だから初産でも助産院で生むと決意
「働き方改革」ではありませんが、会社の経営危機から残業ゼロという方針が打ち出され、残業せずに今までと同じ、もしくは、それ以上の成果を出さなければならなくなっていたため毎日必死に働きました。
結婚して数年、そろそろ子どもが欲しくなっていた私は、夫と相談してその会社を辞めることにしました。赤ちゃんを授かったのは、その決断の直後でした。単純かもしれませんが、仕事のプレッシャーから解放され、気持ちも体も緩んだのだと思いました。
ほどなく会社を辞めた私には、初めての妊娠生活を楽しむための時間がたっぷりありました。自分にとって理想の出産はどんなものかを考え、分娩台に乗らないで出産できる助産院で産むことを決めました。
ヨガをたしなみ、自己流ながらマクロビを実践していたことから、自分は人よりも健康には気をつかっているという思いがありました。つわりはほぼなく、唯一思い出すのは、ごはんが炊き上がるときのにおいが少し鼻についたことくらいです。
軽い貧血も食事に注意することで改善!食生活には自信があった
健康に自信のあった私は、万事順調な妊娠に非常に満足していました。赤ちゃんの成長も問題なし。自分の体重増加も正常の範囲内で、「お母さんの体重がもっと増えてもいい」と助産師さんから言われていたほどでした。
そんな私に訪れた最初の山は、貧血でした。貧血といっても軽度のもので、ヘモグロビンの数値は11.2g/dLだったと思います。貧血解消のため、食材とその食べ合わせに注意することに。鉄分を豊富に含む食材や鉄分の種類、その効果的な吸収方法を調べて、すぐに実行しました。その結果、血液検査では数値を上昇させ、助産師さんに「すごい!数値が上がっている」と言わしめ、口では「そうですか、良かった~!」とかなんとか言いながら、心の中ではガッツポーズを決めていました。
貧血の山も乗り切り、その後の妊娠生活は順調そのもの。健診の頻度が2週間に1回になっても、大きな問題は全く見つかりませんでした。しかし、その日は突然やってきました。
妊娠高血圧症候群の疑いで出産を目前にして転院!
きっかけは、「血圧がちょっと高いかもしれない」という助産師さんの一言。そこから、私の計画は崩れ始めました。妊娠36週目のことです。測り直しでOKになるも、「いやいや、大丈夫でしょ。急いで来たから、ちょっと動悸が激しくなっているだけじゃないの」と、内心思っていました。今思えば、結構な“困ったちゃん”だったと思います。
その翌週も測り直しで事なきを得るも、すでに助産師さんの中ではリスク要因があるとみなされていたのでしょう。その翌週、妊娠38週目でついに助産院のボスが現れ、こう言ったのです。「転院しましょう」と。
助産院は医療行為ができないため、不測の事態に備えて、必ず病院と嘱託契約を結んでいます。妊娠高血圧症候群の疑いで病院への紹介状を書いてもらったはずなのですが、その時のことはあまり良く覚えていません。ここまで順調に来ての突然の転院。それはもうショック以外の何ものでもありませんでした。
破水から緊急帝王切開!母子ともに医療に助けられた
やむなく、転院先の病院へ行ったのは妊娠38週目のことだったので、健診担当の医師に「明日生まれてもおかしくない」と言われました。そして、その翌日、本当に破水しました。
おりものではない出方に、「もしや」と焦った私は、慌てて助産院に電話してしまい、落ち着いて転院先の病院に連絡を入れるよう指示を受けました。病院から「入院の準備をして、できるだけ早く来るように」と言われため、予め用意しておいた入院セットとともにタクシーで向かいました。
やはり破水とのことで、到着するとすぐに着替えて検査を受けました。看護師さんが目の前で慌ただしく動いているのを現実ではないように感じながら眺めてボーっと待っていると、ベッドへ誘導され、血圧や脈拍を測定するモニターを装着されました。そこへ、ベテラン医師らしき人が来て、サラリと「帝王切開の方がいいと思いますので、考えてみて下さい」と衝撃の一言。
助産院での出産を希望していたのに、最終的には帝王切開での出産という事態に直面し、帝王切開を承諾するサインを書くのをギリギリまで待ってもらったのでした…。
生まれてきたのは体重2630g、身長49.0cmの元気な男の子でした。その顔や姿カタチを見た瞬間に言葉にできない感動でいっぱいになり、涙が溢れ出したのを覚えています。妊娠の大変さは一瞬で吹き飛びました。しかし、希望していた自然分娩での出産が叶わなかったのが、女性として欠陥品だと言われたかのように自分で勝手に感じてしまっていたことも事実です。
自分の体が全て思い通りになるわけではないのは自然の摂理ですし、出産という命がけの大仕事には、母子ともに危険がつきものです。少し時間はかかりましたが、私も今では、何よりも無事に産まれてきれくれたことへの感謝しています。たとえ、出産が自分の理想通りに運ばなかったとしても、大切なのは、これから子どもに注ぐ愛情だと思うようになりました。
[小吉 * プロフィール:]
一男一女の母で、取材/在宅ライター。約9ヶ月に及ぶ保活を終え、最近ようやく下の子が保育園に通えるようになったため、もっと取材や地域活性化のプロジェクトに時間を使うべく画策中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。