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数々の「史上初」を生み出すカマラ・ハリスの知られざる家族愛 彼女を支えた絆とは?

コクリコ

米国初の女性副大統領、黒人の副大統領となったカマラ・ハリスにとって家族はどのような存在だったのか。『カマラ・ハリス物語』より家族とのエピソードをご紹介します。

日本は女性・若者が「決める人」になれない「偏った社会」 「中高年」ばかりが決める国

来る11月5日(2024年)に行われるアメリカ大統領選挙で、注目を集めている民主党大統領候補のカマラ・ハリス氏。

ドナルド・トランプ前大統領と接戦を繰り広げ、選挙情報サイト270トゥウィンの米大統領選・選挙人獲得見通しでは、トランプ氏を上回る53.6%と報道され、ハリス候補に世界的な注目と期待が集まっています。(10月8日時点)

これまで、女性として、アジア系黒人として数々の「史上初」を成し遂げてきたカマラ・ハリス氏。ですが、その道のりは決して平坦ではなく、さまざまな困難や差別を受けました。そんな彼女を支え続けたのは厳しくも愛情深い母親とカマラと共に挑戦を続ける妹の存在でした。

本記事では、彼女の半生と共にアメリカの大統領選挙の仕組みや日本との社会構造の違いを丁寧に解説する『カマラ・ハリス物語』より、カマラを支えた母シャマラと妹マヤとのエピソードを通して、彼女の核心に迫ります。

※本記事は『カマラ・ハリス物語』(岡田好恵著 講談社)から一部抜粋し、再構成したものです。

今のカマラを形作った母シャマラの存在

カマラを支えた母の言葉

1964年、カリフォルニア州オークランドで生まれたカマラ・ハリス。父はジャマイカ出身の経済学者、母はインド出身のがん研究者という家庭で育ちました。しかし、カマラが7歳のとき、両親は離婚し、母シャマラ・ゴパランはシングルマザーとなります。

シングルマザーとなった母は、2人の娘、カマラと妹のマヤにこう言いました。次のページへ > カマラ姉妹に伝えた言葉とは?・1番になりなさい
・他人から、「あの人誰?」と言われるようではだめ
・誰からも名前を知られる人になりなさい
・(わたしの娘たちだもの、)学校でいい成績をとるのは当然
・自分の信じることは、迷わず行動に移す
・一度決めたら、最後までやり通す一見、スパルタ・エリート教育に思えるかもしれません。ですが母シャマラは、カマラ姉妹が「黒人の女の子」としてアメリカ社会でどんなふうに見られるか、よく理解していたのです。だからこそ、彼女たちを自信に満ち、誇りを持った強い女性に育てたかったのでしょう。

厳しくも深い愛情に満ちた母の教えが、大人になったカマラの人生の大きな支えとなっていきました。

どんなに忙しくても親子での食事を大切に

母シャマラは、厳しいだけの母親ではありませんでした。研究者として多忙な日々を過ごしていましたが、どんなに忙しくても、親子で食事を囲む時間を大切にしていました。

カマラは「母はどんな料理もいかにも科学者らしく、しっかり計量して作りました」と、いろいろなインタビューで語っています。雨の日が続くと「お誕生日ではない日のパーティーをしましょう」と言って、ケーキを焼いてくれたそうです。

また、シャマラは、地域の人たちに大変愛される存在でもありました。どうしても仕事の手が離せないときには、姉妹を安心して預けられる近所の大人たちがいました。そのお返しに、地域の大人たちに読み書きや計算を教えていたのです。

母シャマラがハリスに与えた勇気と愛情

母の厳しくも深い愛情を受けながら少女から大人になったカマラ。やがて、「検察官となり、弱い立場の人々を救いたい!」と思うようになり、カリフォルニア州の司法試験の受験を決意します。

しかし、カリフォルニア州の司法試験に初めて挑戦した結果はなんと〝不合格〟。自信に満ちて結果を待っていたカマラは、絶望のどん底に落とされ、インターンも辞めてしまおうかと考えるほどに追い詰められます。

そんなとき、彼女を立ち上がらせたのは母シャマラによる「わたしの娘だもの ぜったいだいじょうぶ」という言葉。その言葉に支えられ、カマラはもう一度挑戦する勇気を取り戻しました。

翌年2月、再挑戦した司法試験に無事合格し、カリフォルニア州アラメダ郡の地方検事局に検事補として正式に採用されます。このときの母の言葉が、カマラにとって大きな励みとなり、彼女を再び前進させたのです。幼少期の母の言葉は、人生の節目ごとに彼女を支え続けてきました。

そして、カマラ自身も母から受けた深い愛情を忘れていません。2020年、大統領選で副大統領候補に指名されたカマラを祝う場面で、娘のエラがビデオに登場し、こう話していました。

「離れていても、ママラ(ママ+カマラ)は毎日必ず『学校はどうだった?』とメールをくれました ママラは私たち家族の誇りです」

そのビデオでは、日曜日に家族で料理を楽しむカマラの姿も映し出され、彼女がどんなに忙しくても家族への愛情を欠かさないことが伝わってきました。

母シャマラからの厳しい教育と深い愛情は、大人になったカマラの道しるべとなり、彼女を支え続けているのです。次のページへ > 支え合う姉妹の絆 妹マヤの存在とは?

支え合う姉妹の絆──カマラと妹マヤの物語

カマラにはマヤという2つ歳の離れた妹がいます。

カマラとマヤは非常に仲の良い姉妹としても知られています。2人とも法律家として活躍し、人種差別や女性差別といった社会的偏見に立ち向かい、弱い立場の人々を守るために力を尽くしてきました。

姉妹ともに政治に対して強い関心を持ち、野心的でありながらも慎重である点が、かつてのジョン・F・ケネディ大統領と弟ロバート元司法長官の関係に似ていると評されることもあるほどです。

超優秀な妹マヤはシングルマザーだった!

マヤは、高校時代にシングルマザーとして1人の娘を出産しました。

彼女は妊娠しながらも、受験勉強に励み、両親の母校であるカリフォルニア大学バークレー校に合格。家族や友人のサポートを受けながら、奨学金や一人親支援を活用して大学を卒業し、さらに法科大学院へ進学しました。

幼いころ、カマラは母親に「マヤを守りなさい」と言われ、妹を大切にしてきました。特にマヤが妊娠・出産を経て見せた勇気と行動力には、姉としても驚かされたそう。カマラは、そんな素晴らしい妹を持つことを改めて心から誇りに思っています。

マヤはその後、カリフォルニア州ニューカレッジやサンノゼのリンカーン法科大学院で教授や学部長を務め、教育者としても大きな役割を果たしています。また、社会活動家として姉カマラの選挙戦にも深く関わり、全ての選挙キャンペーンで主導的な役割を果たし、カマラの当選に大きく貢献しました。

遠く離れていても信頼し合える妹の存在

現在、カマラはワシントンD.C.に、マヤはニューヨークに住んでいますが、カマラは「ニューヨークに行くと、必ず妹を訪ねるの」と話しています。一方、マヤは「私たちはよく議論しますし、意見が一致しないこともあります。でも、基本的な価値観は同じなんです」と微笑みながら語っています。

遠く離れていても、お互いを支えあい、信頼し合える妹の存在。
「家族」という存在がどんなときも彼女を支え続けていたのです。カマラ・ハリスはどんなふうに育ち、どう努力をして、米国初の女性副大統領、黒人の副大統領となったか。

本書『カマラ・ハリス物語』は夢を実現するためにさまざまな困難や葛藤を乗り越えて、行動し続けたカマラ・ハリス氏の幼少期からの生い立ちがよくわかる大人も子どもも楽しく学べる評伝です。

トピックの間には、ストーリーに関連するコラムを掲載!
カマラ・ハリスの生涯を学びながら、日米の社会の仕組みの違いもよくわかります。

来るアメリカ大統領選に向けて、カマラ・ハリスの半生を学んでみよう!

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