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松本竣介 創造の原点

アイエム[インターネットミュージアム]

(左から)松本竣介《橋(東京駅裏)》1941年 / 松本竣介《市内風景》1941年

少年時代の盛岡を除けば、東京で生まれ、東京で亡くなった松本竣介。神奈川で何度も展覧会が開催されるのは意外にも感じますが、実は松本竣介が初めて公立美術館で紹介されたのは、神奈川県立近代美術館です。 竣介が亡くなった後に、後に神奈川県立近代美術館の館長となる土方定一氏(当時は副館長)がその作品に注目。竣介の妻・禎子氏との交流を経て、没後10年の節目である1958年に開催されました。 神奈川県立近代美術館では8回目となる回顧展、今回は展覧会を担当した主任学芸員の長門佐季さんに見どころを解説していただきました。まずは第1章「初期作品」、第2章「都会風景」と進みます。

第1章「初期作品」、第2章「都会風景」 続いて第3章「生きている画家」、第4章「子どもへの視線」、終章「松本竣介 終わりと始まり」。 竣介の代表作《立てる像》は、約1年ぶりに出品。《立てる像》と同じ1942年の第29回二科展に出品されながら、現在では存在が確認できない《小児像》についても紹介されています。また、土方による松本禎子宛への書簡などは、神奈川県立近代美術館ならではの展示といえます。 引き続き、長門さんによる解説をどうぞ。

第3章「生きている画家」、第4章「子どもへの視線」、終章「松本竣介 終わりと始まり」 気管支喘息による心臓衰弱により、36歳で急逝した竣介。友人たちはその死を悼んで、その年の自由美術家協会展に18点の作品を展示。土方が目にしたのはこの展覧会でした。 周囲の温かい視線により、没後68年を経ても生き続ける松本竣介。画業は短い期間でしたが、とても恵まれている画家と言えるかもしれません。 [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年11月10日 ]

青い絵具の匂い - 松本竣介と私
中野 淳 (著) 中央公論新社 ¥ 741 ■松本俊介 創造の原点 に関するツイート

松本俊介 創造の原点 に関するツイート

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