妊娠発覚時に切迫流産で自宅安静!その後、つわりで入院…、私が出産するまで
女の子ひとりを育てるママライターのakoです。妊娠が発覚したのは、入籍後の結婚式が終わって落ち着いた頃のことでした。
DINKSの予定だった私に、不思議なタイミングの妊娠発覚
私は、子どもを持たずに夫婦で好きな仕事をして生きていこうという気持ちが強く、いわゆるDINKS予定でした。でもこの頃、「縁ある子が2人の間に来てくれるなら、それも素敵なことかもしれない」と初めて素直に思うようになっていました。
そんな感情の変化があって、初めての生理予定の日。突然、胸のざわつきを感じ真夜中に妊娠検査薬を使ったところ、陽性反応が出たのでした。「私が気持ちの準備ができるのを待っていてくれたのかな」と、ドラマチックに感じられ、夜中3時に熟睡している夫に妊娠報告をしたのを覚えています。
さらに“仕事一筋”だった私が、初診でまさかの休職
妊娠発覚が早かったので迷いましたが、ちょうど振替休日があったことと、ほんの少しおなかがチクっとしていたこともあり、念のためと気軽な気持ちで病院へ向かいました。 受診して先生の一言目は「切迫流産ですね。即自宅安静」。予想していなかった言葉に軽いパニックに。「自宅安静?せめて引き継ぎをしに仕事へ行ってもいいですか?」と聞いてしまいました。
「仕事行ってもいいとかダメとかそういうことじゃない。流れても知りませんよ」との言葉にハッとし、おなかに生命を宿すことの責任の重さを感じました。その頃の私は、残業が当たり前。休職するという想像ができませんでした。しかも職場の繁忙期でもあり、「急には休めない」という気持ちが強かったのですが、結果、翌日から1カ月半の休職となりました。
自宅安静から入院生活へ。学んで見直した私の食生活
急な自宅安静の開始とともにつわりもひどくなり、結局入院することに。その病院は食事指導がきっちりしていて、とても勉強になりました。残業だらけでまともな食事をとっても作ってもいなかった私。退院して仕事復帰してからは、お弁当を毎日作るようになりました。
一食あたり10〜15の食材を使うことを目標に料理をするようになり、産後数年経った今も、その意識が身についていて助かっています。この時期、どの週数で赤ちゃんの体のどの部分ができる、などといったネット記事を読みながら栄養を摂取したり、一週一週その時期を慈しんだりしながら過ごせたのは、いい思い出です。
この休職と入院生活で、食事や睡眠で体を作ることの大切さを改めて感じ、退院したあと出産まで健康な妊娠生活を送ることができました。
陣痛促進剤がつらい…イメージとの違いは想像以上?!
妊娠35週目まで働き、その後は出産予定日まで、マタニティーヨガや友人との食事などを楽しめました。そわそわしながら予定日は過ぎ、予定日翌日の朝に痛みが強くなりそのまま再入院。分娩では、もろもろの状況を加味して陣痛促進剤投与となったのですが、ここからがつらかったです…。
陣痛促進剤で陣痛は徐々に間隔が短くなっていくと聞いていましたが、痛みは即1、2分おきに。子宮口の開きがとても遅く、半日以上嘔吐し、痛みに耐えても開かず一度中断しました。翌朝から陣痛促進剤の量を増やし、生まれたのはその日の夕方でした。
陣痛に耐えた合計20時間くらいが想像していた以上につらかったです。以前は分娩台に上がってからが一番痛いと思っていましたが、全く違っていたことに驚き。「陣痛に耐えた後はつらくないよ」と、あの日の自分に教えてあげたいです。
陣痛促進剤投与の間、ずっと「おなかの赤ちゃんは元気ですよー!」と呼びかけてくれたのが救いでした。ずっと付き添って痛みを逃がし、一緒に耐えてくれた夫にも大感謝です。あらゆる記事を読んで勉強をしていたつもりでしたが、出産は千差万別、体験してみないとわかりません。そして、そのお産は一度きり。とはいえ、事前知識に助けられたことも多くありました。妊娠出産や子育てはつらいことも多いですが、本当に素晴らしいと実感する日々です。
[ako * プロフィール]
東京で、娘と夫とうさぎと暮らしているakoです。人材関係の会社で働きながら、たまーにゆるく音楽活動。昔は終電まで仕事!な日々で、子育てする自分は想像できませんでしたが、新しい価値観がたくさん開けて、新しい人生を楽しんでいます。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。