イエローハッピートレインとの出会い期待して路面電車時代の面影残す京急品川駅界わいを歩く【取材ノートから No.16】
東京都心のターミナル駅が、地域再開発に連動して大きく変化しています。しばらくぶりに駅を利用すると、まごつくこと必至。そうした中で「一昔前とあまり表情を変えない駅は?」と考えたら品川駅、特に京浜急行電鉄品川駅が思い当たりました。
京急の品川駅界わい、特に品川から横浜方向へ次駅の北品川付近にかけては明治の昔、京急の前身の京浜電気鉄道が整備した路面電車時代の雰囲気が今も残ります。
そんな品川をめぐっては、リニア中央新幹線や東京メトロ南北線のそれぞれ新駅整備、JR東日本の品川開発プロジェクトといった大型案件が目白押し。京急品川駅も変ぼうを遂げようとしています。
2024年6月末に、品川~北品川間をカメラスケッチ。昔の取材ノートを読み返しながら、並行する国鉄線(当時の院電)に挑戦した明治~大正期の京急に思いをはせました。
大師電気鉄道から京浜電気鉄道へ
♪さて品川に着きぬれば
横浜、川崎、羽田へと
通ふ電車も開けたり
げにも便利の良きことや
1905年に発表された「東京地理教育電車唱歌」に、こんなフレーズがあります。今は押しも押されもせぬ東京都心のターミナル・品川ですが、明治の昔は東京の町外れといった風情でした。
京急の歴史の始まりは、1898年に設立された大師電気鉄道。社名そのままに川崎大師への参詣客輸送が主な目的で、翌1899年に川崎(後の六郷橋駅、戦後の1949年に廃止)~大師(現在の川崎大師)間2.0キロを開業します。
大師電気鉄道は、開業年のうちに京浜電気鉄道に社名変更。東京と横浜の間を鉄道でつなぐ方針を打ち出します。品川(八ツ山橋)まで線路を延ばしたのは、時代が20世紀に変わった1904年。翌1905年12月の川崎~神奈川間の開通で京浜間の連絡を実現させました
品川駅より南にある北品川駅
江戸時代の品川のシンボルが品川宿。東海道五十三次最初の宿場町です。品川は市内交通と都市間交通のジャンクションと考えられていたようで、明治初期に開業した新橋~品川間の馬車鉄道は1903年に電化されて、路面電車になりました(東京馬車鉄道から東京電車鉄道などをへて東京市電に)。
京急の前身、京浜電気鉄道が目指したもの。それは東京都心への乗り入れ、具体的には東京市電との相互直通運転です。相直で乗り換えの不便をなくして都心直行、鉄道会社の戦略は今も昔も変わりません。
実際に京浜電気鉄道が東京市電とレールをつないだのは、やや間があいた関東大震災翌々年の1925年。現在のJR品川駅方向に線路を延ばし、東京市電と線路をつなぎました。東京市電も、一部の電車が北品川まで乗り入れを始めました。
ここで良く知られた、京急駅名の不思議。品川駅の南⽅なのに、なぜ駅名は北品川? 北品川は品川駅の北でなく、「旧品川宿の北側」というのが命名の理由でした。
標準軌から馬車軌間、そして再度標準軌に
京浜電気鉄道の変遷は、2度にわたる改軌(線路幅の変更)からも読み取れます。
開業時は現在と同じ標準軌でしたが、1904年に東京電車鉄道への乗り入れを意識して、馬車軌間に変更。馬車軌間は東京市電の1372ミリ、主な鉄道会社では、かつて甲州街道上を路面電車として走っていた京王電鉄が現在も採用します。
京浜間を結んだ京浜電気鉄道は、並行する国鉄(当時の鉄道院)との競争で長く苦杯をなめさせられたのですが、第1次大戦後の好況を受けた京浜工業地帯の発展で、業績を持ち直します。
すると、京浜電気鉄道は高速走行性に優れた標準軌への再改軌を決断。1933年に実施します。馬車軌間の歴史は、わずか30年ほどで幕を閉じました。
変わる京急線
ここから話は一気に現代に飛びます。リニア開業などに向けた品川駅改良。京急は、現在は高架上の本線を地上に下ろし、高架下の駅舎を2階に上げて、京急とJRを同一平面にそろえます。完成後はJRも京急も、2階改札口からアップダウンなしで、乗り換えられるようになります。
京急は、品川~北品川間の線路構造も大きく変えます。現在は品川を発車した京急線は、JR線をトラス橋でまたぎ、踏切を超えて北品川に入りますが、東京都が進める泉岳寺~新馬場間の連続立体交差事業で、踏切は撤去、北品川駅は高架上に上がります。
品川~北品川間の品川第一踏切は、京急が路面電車だったころの名残をとどめるフォトスポットです。今回、品川~北品川間を散策したところ、京急の線路改良工事もすでにスタートしていました。
ハッピートレインには出会えなくてもハッピーな気分に
最後は京急最新の話題。本サイトで2024年6月に紹介された通り、京急には特別塗装車「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN (京急イエローハッピートレイン)」が運行されます。
車両のコンセプトは「HAPPYになる電車」。幸せをイメージした「黄色」のボディーカラーで、「出会うと幸せになれる」という都市伝説があるとかないとか。
前出のニュースにある通り、京急は車両運用やダイヤを事前告知します。筆者は最初、ダイヤをみて写真を撮ろうと考えたのですが、それでは答えを見ながら問題を解くようなもの。沿線取材日、約2時間弱にわたりカメラを構えたのですか……残念ながらハッピートレインはやって来ませんでした。
しかし、京急線には京急の2ドア車や3ドア車のほか、相直する都営地下鉄や京成電鉄、北総鉄道の車両が運行されます。行き交う車両を眺めるうち、それだけでハッピーな気分になれたのでした。
記事:上里夏生