Yahoo! JAPAN

新成人おめでとう!昭和生まれのミュージシャンが【20歳のときに歌った曲】を選んでみた

Re:minder

1989年07月25日 森高千里のアルバム「非実力派宣言」がリリースされた日

新成人を迎える皆さん、おめでとうございます。

日本の成人年齢は、民法改正により2022年4月1日を以て20歳から18歳に変わったのはご承知のとおりだが、今回のコラムでは、1980年代を中心に “昭和生まれのミュージシャンが20歳のときに歌った曲” という視点で10曲ピックアップしてみようと思う。“20歳の時” という縛りになると、どうしてもデビューが早いアイドル曲が中心になってしまう点はご容赦を。年代の新しい曲から古い曲へ遡っていく流れで紹介していきます。

非実力派宣言(アルバム「非実力派宣言」より)/ 森高千里(1989年)


まずは “平成元年” に成人を迎えた世代から1曲ピックアップしたい。この世代には福山雅治、槇原敬之、大黒摩季などがいるが、いずれも20歳の時点では未デビュー。そんな中、森高千里が自作詞の「非実力派宣言」で一歩抜け出した。「♪実力は興味ないわ、実力は人まかせなの」という、開き直りとも取れる逆説的正義。キン肉マン風に言うなら “言葉の意味は分からないが、スゴイ説得力だ”。

少年は天使を殺す / ラ・ムー(1988年)


1980年代中盤を代表するアイドル菊池桃子。彼女がロックグループ、 “ラ・ムー” のリードボーカルとして世間を驚かせる路線変更を行ったのが19歳の時。そして20歳の1年間を、このラ・ムーの一員として費やすこととなる。中でも、この「少年は天使を殺す」は、80年代アーバンファンク歌謡の金字塔と言える傑作。昭和の曲とは思えない音圧の中での、囁くようなウィスパーボイスの投入は、昭和ポップスにおける発明。

悲しみSWING / 本田美奈子.(1987年)


20歳で「非実力派宣言」をしたのが森高千里なら、20歳の時点で “実力派" を地で行っていたアイドルが本田美奈子。それはまるで技術点と演技構成点を追求するフィギュアスケート選手のようなストイックさ。のちに「つばさ」で魅せてくれたロングトーンはまさに4回転ジャンプ級。この「悲しみSWING」では社交ダンス風の演出で大人っぽい新境地を見せてくれた。2022年、藤井隆の監修によりカバーされた後藤輝基のバージョンも必聴。

BOYS CRIED(あの時からかもしれない) / 渡辺美里(1987年)


“丙午世代” の女性歌手からひとり選んでみたい。この世代には渡辺美里、中村あゆみ、永井真理子、広瀬香美などが名を連ねる。この中から20歳時点での1曲としては、渡辺美里の「BOYS CRIED(あの時からかもしれない)」を推したい。両A面の「IT'S TOUGH」と並び、伊秩弘将の作曲デビュー作でもある。この曲、「♪N.Y.行きの切符握りしめて 君は街を出た」の歌詞も含め、尾崎豊へのメッセージが込められていたように思える。

愛を今信じていたい / 堀ちえみ(1987年)


先述の菊池桃子のように、20歳前後で曲がり角を迎え、色々な音楽的チャレンジにシフトしていくアイドルは多い。しかし、それが迷走と捉えられ、アイドル自身が疲弊してしまう場合もある。堀ちえみはそうしたひとりだったかもしれない。彼女はこの「愛を今信じていたい」で、20歳の若さで引退を選択。作曲に小室哲哉を迎えたこの曲で新境地を見せてくれたが、『夜のヒットスタジオDELUXE』の最後の出演で流したあの涙が、全てを雄弁に物語っていたように思う。

SOLITUDE / 中森明菜(1985年)


中森明菜の成人後最初のシングル曲。18歳で「北ウイング」、19歳で「ミ・アモーレ」を歌った彼女は20歳の時点で、既に押しも押されもせぬ女王。大人っぽすぎるこの「SOLITUDE」を、当時中学生だった僕は戸惑いながら受け入れた。デビュー40周年だった2022年、突然のTwitter(現:X)開設などで俄かにマスコミが慌ただしくなったが、姿を見せない中森明菜は、きっと、ほくそ笑みながらこう心の中で呟いていたに違いない。―――「♪捜さないでね 醒めちゃいないわ」

RAIN-DANCEがきこえる / 吉川晃司(1985年)


こちらは吉川晃司の成人後初のシングル曲。中森明菜同様、このタイミングで、前作までとはガラリと曲調が変わる曲をリリース。ゴリゴリと重低音が強調されたベースとドラムは “ひとりPOWER STATION” の趣きがある。吉川晃司本人も自身のターニングポイントと語る重要曲であり、ここから翌年の傑作アルバム『MODERN TIME』へと繋がっていく。なお、同学年のライバル的存在の尾崎豊は、20歳の歳には新曲のリリースは無かった。

Woman "Wの悲劇"より / 薬師丸ひろ子(1984年)


近年再評価が著しい薬師丸ひろ子のこの作品も彼女が20歳の時のリリースだった。彼女の比類なき歌声について、Re:minderのアーカイブ、『薬師丸ひろ子と池田エライザ、生と死が交差する「Woman “Wの悲劇” より」』で田中泰延さんが “冥界から降ってくるような歌声” と形容。また、同じくカタリベのかじやんさんは “金属的な光沢の中に仄かなぬくもり” と表現している。どうやら薬師丸ひろ子の声にはコピーライトしたくなる不思議な魅力があるようだ。

曼珠沙華 / 山口百恵(1979年)


「美・サイレント」のB面だが、元々は同名アルバムの収録曲。このアルバムは山口百恵が19歳の時に録音が行われたが、正式タイトルは『二十才の記念碑 曼珠沙華』であった。彼女の神々しいまでの情念と迫力溢れる歌声は、今聴いても19歳の少女の録音した歌とは思えず、和製プログレなアレンジも相まって、彼女の最高傑作に挙げる人も少なくない。ちなみに後年、藤あや子が、この「曼珠沙華」を紅白歌合戦で2003年と2015年の2度に渡りカバーしている。

やさしさに包まれたなら / 荒井由実(1974年)


映画『魔女の宅急便』で使用されているアルバムバージョンの方が有名だが、シングルバージョンはピアノソロのゆったりとしたイントロから始まる。デビュー50年目の松任谷由実はこう語る。“荒井由実を越えたいという意識がずっとあった” と。50年続けてきた今もなお、20歳の頃の自分自身に対して、越えられない何かを感じているというのだから興味深い。2022年の紅白歌合戦では最新のAI技術により、松任谷由実と荒井由実の奇跡の共演が実現した。

―― 以上「昭和生まれのミュージシャンが20歳のときに歌った曲」ということで10曲をピックアップしたが、次点としては、近年のシティポップブームの中で再評価著しい泰葉の「フライディ・チャイナタウン」(1981年)、20才の恋愛を”エチュード(練習曲)”と優雅に表現した松田聖子の「野ばらのエチュード」(1982年)、『山瀬まみロック化計画』プロジェクトで新境地を見せてくれた山瀬まみの「ゴォ!」(1989年)の3曲を挙げたい。

今回紹介した10曲は全てサブスクでも聴取が可能である。新成人の皆さんにも、是非ともたくさん触れて感じていただけたら嬉しく思う。

Original Issue:2023/01/09 掲載記事をアップデート

【関連記事】

おすすめの記事