ジョンの伝説ライブ「ワン・トゥ・ワン」が正規発売|ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVol.39
ジョンが生前行った唯一の単独コンサートが「ワン・トゥ・ワン」。72年8月30日、ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンにて、知的障害児のためのチャリティとして開催された、いまや伝説とされている公演である。当時日本でも話題になったというが、当然のことリアルタイムでは目にした記憶はなく、わたしが最初にこの公演を認知したのは、80年夏から通い始めたフィルムコンサートでのことだった。
歌詞が異なる「ワン・トゥ・ワン」の「カム・トゥゲザー」
当時のフィルムコンサートは若者が多く、熱心なファンが早くから会場前に列を作り開場待ちをしていたのだが、携帯のない時代、読書くらいしかやることがないものだから、一部の人間は持参したラジカセでビートルズの音楽を流したりして時間を潰していた。イヤホンやヘッドホンで聞くのではない。スピーカーからそのまま音を出していたのだ。当然のこと周りの耳にも入って来る。その行為自体面食らったのだが、それ以上にそこで彼らが流した「カム・トゥゲザー」に驚いた。
知っているそれとはアレンジ、演奏、歌い方も違い、さらには歌詞も一部異なる。この音源はなんだろう。初心者のわたしは皆目見当がつかず数日頭を悩ませたものだが、後日読んだ書物でそれが「ワン・トゥ・ワン」であることを知る。それから少し経った後に行われたフィルムコンサートでその映像を流してくれたので、そこで全体像をつかむことができた。粗く暗い映像ながら、アーミージャケットをまとい、丸いサングラスをかけたジョンがなんとカッコよかったことか。ロックンローラー、ジョン・レノンにしびれた。
さらにそれからしばらくして、ジョンの死の動揺も冷めやらぬなか、お年玉で購入した『シェイブド・フィッシュ』にのエンディングに「ワン・トゥ・ワン」の音源がフィーチャーされていることに気づく。「ハッピー・クリスマス」のコーラスに重なるように「平和を我等に」のライブ音源がインサートされているのだ。いま聞くと「ハッピー・クリスマス」の邪魔をしているように聞こえるが、当時はこのバージョンしか知らないものだから、違和感はなく、「ハッピー・クリスマス」を聴く度にフィルムコンサートで観た映像が脳内で再生され、妄想を膨らませたりしたものであった。
何度も聞き返すうちに、数秒のみという小出し具合にストレスが溜まりはじめ、今度は友達から「ワン・トゥ・ワン」のブート(西新宿のレコード屋で買ったという)を借りて、じっくり聴き込むという作業を繰り返した。するといつの間にか「カム・トゥゲザー」はオリジナル版より「ワン・トゥ・ワン」版のほうに親しみがわくようになってしまった。「Over Me」ではなく「Stop the War」のほうがしっくりくる。このような物語が相まって昔から「ワン・トゥ・ワン」にはほかならぬ思い入れのある、忘れられないビートルアイテムのひとつである。
中止になったヨーコ来日公演とTBSのヨーコ特番
その「ワン・トゥ・ワン」が86年2月に『ライブ・イン・ニューヨークシティ』というタイトルで公式リリースされた。まさかの東芝EMIからの公式盤である。レコードに合わせてVHSもリリースということで、事前に「イマジン」の演奏シーンがテレビ番組で流れたりして、幻の映像、音源であることが広く告知されていた。
満を持してのリリースというなかで、わたしも発売日に日本盤のレコードを入手。ジャケットは表も裏もボブ・グルーエンの写真が使われていて申し分なく、やはり正規盤は重みが違うよ、なんて思いながら家に帰ってレコードに針を落としてみると、想像していたものとなんかイメージが違う。なにかがおかしい。音がクリアになったのはいいが、逆にバンドの演奏の粗さ、まとまりのなさ、ジョンの調子の悪さが目立ってしまっていて、耳になじんだ「ワン・トゥ・ワン」とは印象が異なる。歓声もオフ地味で、臨場感がない。という具合にいいところが探せず、拍子抜けしてしまった。暗い映像、雑なミックス音源の「ワン・トゥ・ワン」とは別の「ワン・トゥ・ワン」がそこにあった。それ以降、このレコードを聞くことはなかった。
その前後のタイミングで、ヨーコの来日が発表された。これはヨーコが85年末にリリースしたアルバム『スターピース』を携えたワールドツアーの一環で、日本でも5月にコンサートが開催されるとのことだった。この頃のわたしは、ヨーコの作品まで追いかける余裕はなく、『スターピース』も聴いていなかったので、来日公演はスルーと考えつつも、74年以来の来日公演ということで、どうしようかと迷っているうちに公演中止がアナウンスされた。早々に中止が発表された記憶がある。どうやら前売りの伸び悩みということらしく、自分が行かないからなのかと多少の罪悪感に苛まれつつも、冷静に判断すればやはり仕方なしと思うのであった。
本来なら来日公演が行われる予定だった5月、TBSの深夜でヨーコの特別番組が放送された。もしかしたら、来日の告知用に放送される予定だったのか。確か『肩書はオノ・ヨーコ』というタイトルだったと思うが、これが実に興味深い、観るべきところの多い内容であった。序盤こそぼんやり見ていたのだが、丁寧に、そして硬派に作っているのがわかり、途中からは正座する勢いで見入ってしまった。ヨーコの半生を貴重な映像と本人インタビューで振り返ると言うもので、とくに本人の発言が抜群におもしろかった。
聞き手を務めていたのは劇作家の如月小春。早くして亡くなってしまった才女だが、進行役としての仕事ぶりが素晴らしく、ファンなら知っていることでもテレビ用ということで基本的なことを丁寧な言葉遣いで、ヨーコの上品さをうまく引き出していたように思う。ビートルズに詳しくないことが逆に功を奏したというべきなのだろう。そのやさしく誠実な人柄に好感をもったものであったが、はたしてこのキャスティングはどういう経緯だったのだろうか。
82年放送の『ジョン・レノンよ永遠に』
そのなかでとくに印象的だったのは、ジョンと会ったのは必然であったというくだり。「ジョンと私は出会う運命にあったの。人間は自分でいろいろなことを決めてきていると思っているでしょうけど、そうじゃないのよ。物事は最初から決まっているのよ」と言い切った場面にドキッとした。当時はスピリチュアルなことにも関心は薄く、必然的偶然などという考えはいっさいなかったが、この言葉を聞いてからというもの運命論者の考えも少しわかるようになった。あとひとつ覚えているのは、最初にジョンと出会った日のことを説明する際、如月に「ハンマーって日本語でなんていうんだっけ?」と問うシーンが妙におかしかった。「金づちですか?」と言われ、「そうそう金づち」。この些細なやりとりをカットしなかったディレクターに今さらながらに感謝したい。
この番組のことを書いていて、同じTBSで放送されたジョン・レノン特番のことを思い出した。放送時期は1982年の秋。本来であればもっと早く本連載で触れるべきだったのだが、忘れてしまっていたので、ここで記しておきたい。その番組は『ジョン・レノンよ永遠に』といい、ゴールデンの夜9時から「日立テレビシティ」という枠での放送であった。ジョンの生涯、その影響などについて、各取材を交えて(イギリスロケもあった)検証する、こちらも硬派な内容の作りで、見応えがあった。冒頭になぜか王貞治が登場しジョンへの思いを語り、本編ではジョンが通っていた学校の校長、後半にはピータ・フォンダにまで話を聞いていたことを覚えている。