生き物や自然を翻訳する<インタープリテーション>という考え方 知識を伝えるよりもまず感じよう
「知ることは感じることの半分も重要ではない」(『センス・オブ・ワンダー』著:レイチェル・カーソン/発行:新潮社より)
“インタープリテーション”という言葉を知っていますか。直訳すると「通訳」という意味になり、「自然・歴史・文化をわかりやすく人々に伝えること」といえます。
単なる“解説員”と見なされがちですが、実際には少し中身が違ってきます。
インタープリテーションの紹介と実践方法、またそれらを実際に行った筆者の体験談や自然と親しみやすくなる方法をまとめました。
インタープリテーションとは
今日のインタープリテーションの道筋をつけたのは、19世紀末のアメリカで大自然を相手にしていたネイチャーガイドたちと言われています。
そのうちの1人であるイーノス・ミルズというガイドは、「ネイチャーガイドの仕事は知識や情報を与えるというよりは、興味を刺激し啓発するという要素の方が強い」と述べています。これがインタープリテーションの重要な要素になります。
後にフリーマン・チルデンという人が「インタープリテーション6つの原則」を考え、その中にも「インタープリテーションの主眼は教えることではなく、興味を刺激し、啓発することである」という項目があります。
単なる情報伝達ではなく“翻訳”を
例えば、目の前にとある魚がいたとして、インタープリテーションに基づいたガイドではその魚の名前をすぐにお客さんへ教えることはしません。それは単なる情報伝達になるからです。
「この魚はなんでしょうね?」と問いかけて、お客さんと一緒に魚を観察し、お客さんと一緒にその生態や形態を楽しみます。
一方的に解説するのではなく、その生き物や自然を“翻訳”する人になる。そして一緒にそれらを楽しみ、興味を刺激する。そうするうちに、お客さんは自然とその生き物や自然を「好き」になって覚えてしまうのです。
筆者として、この手法の究極系がタレントの「さかなクン」だと思っています。あのキャラと画力、喋り方などで受け手はあっという間に魚の世界に引き込まれ、共に楽しむうちに魚のことも覚えてしまうのです。
インタープリテーションの原則の中に、「インタープリテーションは単に知識や情報を伝達することではないが、知識や情報の伝達を伴わないインタープリテーションはない」という一見矛盾しているようにも見える項目があります。
この矛盾しているように見える項目は、さかなクンを例にしてみるととても理解しやすいと思います。
日本自然保護協会も大切にするセンス・オブ・ワンダー
『センス・オブ・ワンダー』(著:レイチェル・カーソン/発行:新潮社/提供:みのり)
筆者も会員に入っている日本自然保護協会(NACS-J)という組織があります。その名の通り、様々な環境保全や普及活動を行う団体です。
NACS-Jが行う自然観察会でも、本記事冒頭にも載せたレイチェル・カーソンの「知ることは感じることの半分も重要ではない」ということが繰り返し述べられています。
これは「体験さえすれば知識はいらない」という極論ではありません。
「自然や生き物にふれて、様々な感情が呼び覚まされると、次はその対象となる物についてもっとよく知りたいと思うようになる。その体験や気持ちが、自然や生き物への知識を身につけ、守りたいと思う気持ちに繋がる」ということです。
筆者自身も、様々な機会に「本物の自然を体験してほしい」と度々述べているのは、カーソンやNACS-Jにかなり影響されているところがあります。
そしてNACS-Jやカーソンの自然観察方法と、インタープリテーションの原則は非常に近しく、それらの影響を受けた私はかつて勤めていた水族館や自然観察会でその手法を用いて解説することを心がけていました。
自然観察方法の一例
水族館には、ある程度のマニュアルに則った解説もあります。それらの解説では、インタープリテーションをなかなか発揮できません。もちろん私が勤めていた水族館に限った話ですが、それらは単なる情報伝達に過ぎないのです。
館内を何気なく歩いている時、餌やりでお客さんが集まってきた時など決まったタイミング以外の場面では、インタープリターションを意識して行っていました。
解説方法の一例として、私は「まず風景の全体像を見てみよう」と呼びかけていました。自然観察会であれば、自然環境の全体を見渡す、水族館であればその水槽内を見渡します。
人工的な用水路も見方で印象が変わる
例えば、こちらの用水路。人工的な環境ではありますが、場所によって水草が生えている場所とあまり生えていない場所があります。これはなぜでしょうか。
よくよく観察すると、水流の速い場所、日当たりの良い場所・悪い場所、砂泥の質の違いなどがあることに気がつきます。そして、水草にとって、その場所が居心地がいいのか悪いのかが見えてくるのです。
徐々に視界を狭めると、水草のある環境には魚やエビが隠れている──水草がない場所には遊泳性の高い魚のみが泳いでいる──といったことがわかってきます。
こうした一連の流れを全て口頭では解説せず、共に探して、水にさわって、五感で楽しみ、見つけていきます。
水族館は完全な人工環境下ですが、最近では魚の生態に沿ってレイアウトや環境が構築された展示も多いため、意外とこの手法が通用します。
自分で観察して見つけた自然環境や生き物は、その人にとって特別な存在となります。
私は上記の方法を用いたNACS-Jの観察会で、観察会開始時点から持っていた一枚の葉っぱの名前(植物名)を観察会終了間際まで知りませんでした。最後に明かされた「ケヤキ」という名で、それまで意識もしていなかったケヤキの木が自分にとって特別な木になりました。
自然を感じてみよう
インタープリテーションの原則やカーソンが再三述べているように、自然観察の真髄は「(五感で)自然を感じること」です。
難しい知識や情報はしっかり好きになれば後から身につきます。もちろんフィールドへ行く前にしっかりとした準備や危機回避は必須ですが、詳しくないから行きにくいと思う必要はありません。まずは五感でなんでも感じ取ってみてほしいです。
難しい人は近くの動物園や水族館でも大丈夫です。これらを繰り返し、その地域の自然や生き物に詳しくなっていればあなたも立派な自然観察者(解説員)になれますよ。
(サカナトライター:みのり)