豚肉&洋がらしでおなじみ“室蘭やきとり”の定説が覆る?とことん調べてみると…
皆さんが抱えている「なぜ?」「どうして?」を調査する、HBC「もんすけ調査隊」
北海道室蘭市の地元の歴史を調べたところ、あの“室蘭やきとり”に、新たな説が浮上しました。
今回の依頼は札幌のラベンダーさん(20代)からの「室蘭やきとりは“やきとり”なのに、なぜ豚肉なのか?」というもの。
実は、4月27日、北海道室蘭市内の25店舗が参加する『室蘭やきとりの会』が発足しました。
“やきとり”なのに、豚肉とタマネギを串焼きにし、甘辛いタレと、洋がらしで食べる。
それが“室蘭やきとり”です。
室蘭やきとりの会の中村卓也幹事長は「面白さは“やきとりだけど豚”というところなので、『豚肉のやきとり』と発信していきたい」と話します。
さらに知名度を上げ、文化庁の100年フードへの登録を目指します。
それにしても、なぜ豚肉なのか…。さっそく室蘭へと急ぎました!
鶏よりも豚が安く手に入ったという「定説」
訪ねたのは創業35年の老舗、伊勢広(いせひろ)。
室蘭では、“やきとり”を注文すると、豚肉が出てくるのが地元の常識。
伊勢広では、肩ロースを使用しているといいます。
では、なぜ豚肉なのでしょうか?伊勢広3代目の中村卓也さんに聞いてみると…
「日中戦争の頃に、軍人の靴を作るのに、豚の皮を使っていたが、豚肉が安く手に入るので、居酒屋で提供を始めたのがルーツ」
1937(昭和12)年、日中戦争が始まりました。
日本政府は軍用の靴を作るため、豚の飼育を推奨。
鶏肉よりも安く豚肉を入手できた室蘭では、”やきとり”が鶏肉から豚肉に変わったという説が一般的です。
ところが、いくつか疑問点があるといいます。
統計データを紐解いてみた
室蘭市教育委員会の谷中聖治学芸員が統計に基づいてこう話します。
「室蘭の統計上、戦時中に養豚が急激に増えたという事実はない」
戦前から戦中にかけ、豚の飼育数に大きな変化はないというのです。
「養豚の数を聞かれるたびに見ていたが、あまり変化はない」
さらに、調査を進めると、思いがけない事実が。
室蘭に豚はいなかった!?
「室蘭にほとんど豚なんかいなかった」
そう証言するのは、室蘭最古のやきとり店『鳥よし』の小笠原光好さんです。
店の創業は1933年。日中戦争以前です。
開業当時、鳥よしではどんなものを売っていたのでしょう。
「鳥よしは初めから豚。精肉は高くて食べられないから、主にモツ。おそらく帯広の豚だと思う。だって鶏がいないんだもん」
創業当初から、豚肉や豚モツを“やきとり”として提供していたと話します。
当時、値段が手ごろな“豚モツ”を、ほとんどの客が食べていたといいます。
つまり、戦争中に、鶏肉から豚肉に変わったわけでないようです。
「室蘭は豚肉が手に入りやすかった」というこれまでの定説には「そういうわけではない」と断言。
昭和初期、『鳥よし』の仕入れ先は、帯広や、北海道北部の名寄市周辺でした。
豚肉を入手するには遠方まで足を運ばなければならず、大変だったといいます。
しかし、“室蘭やきとり”が、豚肉であるという疑問はまだ残っています…結局はなぜなのでしょうか?
やきとりの研究者に聞いてみた
「江戸末期くらいから牛とか豚とかを焼いた物を“やきとり”と言った。なぜかと言うと、鶏肉は当時高かったので、庶民には手が届かなかった」
そう教えてくれたのはやきとり文化研究所の土井中照所長。
土井中所長は、やきとりを研究して25年になる人物です。
「律令時代に、聖武天皇などが『肉を食べたらいけない』という命令を出した」
やきとりの歴史は、縄文時代までさかのぼります。
貝塚から、鳥の骨が出土しているのです。
ただ、飛鳥時代に天武天皇らが肉食を禁止しましたが、人々は、隠れて野鳥や鶏を食べていて、江戸時代の料理書には“やきとり”という記載も。
明治時代になり、ようやく肉食の禁止令は解かれたものの、鶏肉は、庶民の手に届かない貴重で高価な食材だったのです。
そのため、東京では、牛や豚のモツを串焼きにし、“やきとり”として売っていました。
「豚モツ串が人気になるのが、大正時代の関東大震災。東京で食べた“やきとり”を地方に持って帰って広がった」
土井中所長によりますと、関東大震災後、食糧事情が悪化。
食材としての肉が注目され、“豚モツのやきとり”が人気になったのです。
それが全国に広まり、北海道にも伝わったのでは…ということです。
そして、1960(昭和35)年代に入り、食肉用のブロイラーが登場すると、鶏肉が安価になり、全国の“やきとり”は、本来の鶏肉に戻っていきました。
おいしいものは自然と広がる
そうした中、鉄鋼の町・室蘭では、スタミナがつく豚肉が愛され続け、“豚のやきとり”として根付いたのではないかと、土井中所長は考えています。
「おいしいものがあれば、自然と広がっていく」
では、タマネギと洋がらしはどうなのか?
こちらは鳥よし 2代目の小笠原光好さんに聞いてみました。
「鳥よしもオープン当時は、ずっと長ネギを使っていた。ところが札幌でタマネギを作り始めて、タマネギの方が安いので、1950(昭和25)年ごろにタマネギに変えた」
では、洋がらしは?
「おでん店は夏は”やきとり”店をやっていて、冬になるとおでんを作る。そこで両方出しているので、おでんのカラシに付けて食べてみたらおいしかったので、1950(昭和25)年ごろから変わった」
“室蘭やきとり”は、明治時代から続く“豚肉やきとり”の文化を受け継ぎ、独自の発展を遂げた、唯一無二の“やきとり”なのかもしれません。
ちなみに全国の「豚やきとり」は?
実は、”豚のやきとり”は、ほかにも残っていて、例えば、山形県寒河江(さがえ)や埼玉県東松山、福岡県博多などにもあるということです。
そして、私たち北海道民に馴染み深い、函館の“やきとり弁当”も豚肉です。
土井中さんによりますと、これらは関東大震災後、全国に”豚のやきとり”が広がった時の名残りではないか?ということでした。
調べてみると、実は食文化の歴史の「記憶」は消えつつあるという状況です。
資料や文献があるわけではないので、しっかりと、北海道の食文化の記録を残していくことも大事ですね。
文:HBC報道部もんすけ調査隊
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2025年5月2日)の情報に基づきます。