「頭はいい上司」が組織を壊す話
もう随分と以前のことだが、友人の自衛官と飲んでいる時にこんな質問をしたことがある。
「今度の指揮官、本当に優秀な方だそうですね。きっと幕僚長(自衛隊制服組トップ)まで昇るんでしょうね」
すると相手は二人して、微妙な顔をする。
「確かに優秀な方なんですけど…。頭が良すぎて何言ってんのかよくわからないんですよね」
「優秀すぎて、なんというか…」
言葉を選んでいるが、好意的な意味で言っているわけではないことは明らかだ。
“優秀”“頭が良い”という言葉を、ネガティブな意味で使っている。
(将来、トップに昇るかもしれない優秀な人だと、やはり突き抜けすぎているのだろうか…)
当時はそんなふうに解釈したのだが、違った。
それからずいぶん経った後年、驚くような事件とともに、この時の違和感の本当の意味を理解することになる。
「言われた通りにやりました」
話は変わるが、自衛隊で4万人近い大組織のトップを務めた元最高幹部と飲んでいた時、興味本位でこんなことを聞いたことがある。
「方面総監まで昇られるからには、やはり若い頃から相当、優秀な成績を積み上げてこられたのでしょうか」
「桃野さん、意外に思われるかもしれませんが私、中隊長までは各種競技会で連戦連敗の、全く勝てないダメ指揮官だったんですよ」
「…え、謙遜かなにかの、ご冗談ですよね?」
「本当です。同期たちからは当時、『もうお前は、部下に何も指示を出すな』とアドバイスをされたほどです(笑)」
そして要旨、以下のようなことを話す。
当時、部下たちの仕事ぶりを見て、出来ていないことや足りないことをしっかりと指導し、部隊を強くするために一生懸命だったこと。
リーダーとして、知識や経験を基に丁寧に細やかな指導をしたこと。しかし結果として部隊はかえって弱くなり、全く勝てなかったことなどだ。
「意外です。失礼ですがそのような“ダメ指揮官”のまま、連隊長、師団長といった要職を歴任されたのでしょうか」
「私が連隊長職を務めたのは、当時連戦連敗で弱くて有名な部隊でした。同期たちからも同情されたほどです」
「…ではやはり、連隊長時代も」
「いえ、私が連隊長を務めたのは1年半でしたが、各種競技会で優勝するなどの常勝部隊に生まれ変わりました」
「…??」
いったい何が起きたというのか。
“弱小部隊”の指揮官として赴任した元最高幹部は着任するとまず、部下の中隊長はもちろん、陸曹(下士官)たちも同席させ、こんなことを問いかけたそうだ。
「みんな、勝ちたいよなあ。負けるの辛いもんなぁ」
そんな言葉をかけながら、時に酒の席で連隊長自ら、曹士(下士官や兵)たちのコップにビールを注ぐ。
「勝ちたいです!」
「だよね、どうしたらウチは勝てるんだろう」
「こういう案はどうでしょうか!」
「お、いいねえ!それやってみようよ、さっそく計画を立てて持ってきてよ!」
「連隊長、こういうこともやるべきではないでしょうか!」
「おぉ、それもいいね!具体的な計画にできる?」
元最高幹部は連隊長に上番すると、“丁寧で細やかな指導”を一切やめた。そのようなやり方は、実は自己満足に過ぎないことに気がついたからだ。
「だからダメなんだ!そんなことしてるから勝てないんだ」
かつてはそんな激しく厳しい言葉で部下を指導をしていたというが、それはこんな言葉に変わった。
「何をしたら、俺達は勝てるんだろう」
「よし、俺が責任を取るからそれやろうぜ」
わかりにくいかもしれないが、これはありえないほどに難しいスタイルだ。なぜか。
一般に幹部自衛官は2年ほどで異動を繰り返し、全国を転々とする。
そのため中隊長職だろうが連隊長職だろうが、その僅かな、限られた時間の中で成果を出さなければならない。そうなれば“できの悪い部隊”“成果を出せない部下”の言い分になど、耳を傾けている暇などない。
強制的に命令を下し、自分の思うやり方・方法で仕事をさせ短期間で成果を出すのが、「評価を上げて出世する」ための近道である。部下たちの「ボクたちが考えるやるべきこと」などに耳を傾けていたら、成果が出るまでに時間がかかってしまう。
それどころか、後任者の時代に成果がでることにでもなれば、自分の評価をさげることになりかねないだろう。
だからこそ、能力に自信がある“頭のいいリーダー”こそ、「あれをしろ、これはやるな」とマイクロマネジメントを始める。
なるほどこのやり方であれば、極めて短期間なら成果につながることがあるかもしれない。
しかしそのようなことが習慣化したら、部隊はどうなるか。
「言われた通りにやりました」
そんな報告が繰り返され、やがて組織のマインドも「言われたことをやればいい」という方向に大きく傾いていく。
そのような組織は“成果を出すこと”が目的化しない。
「その方法では、上手く行かないのでは?」
そんな疑問を口にするだけ損をするので、「言われたとおりにやる」が目的化する。
こうなると、リーダー以外の皆が、考えることをやめる。納得感のない仕事をただただ消化し始め、士気も地に落ちる。そんな部隊が、勝てるわけないだろう。長期的に見て、強い部隊になれるはずもない。
後年、元最高幹部はよく私に、こんな言葉を教えてくれた。
「考える部隊は強い」
「よく考えるやつは、いつも答えを持っている」
強い部隊・強いリーダーは、突然のアドリブの質問や指導にも、適切な解を返してくるという趣旨だ。
これが、元最高幹部がわずか1年半で成し遂げた“奇跡”の内幕だ。
なお余談だが、自衛隊では部下たちは時に、リーダーの本気度を試してきたりする。この時、元最高幹部は部下たちが立案した早朝からの射撃訓練を、毎朝4時過ぎから視察する日課があった。
すると翌朝の訓練がない中隊の部下たちは交代で、毎日のように連隊長を酒席に誘う。
「連隊長、もっと話を聞いて下さい!」
そんなことで深夜まで引っ張るのだが、それでも翌朝4時に演習場に視察に来るかを試す。
そんな中、元最高幹部は欠かさず視察の場に立ち続けた。
考えさせ、責任を取り、自らも汗をかき背中を見せる。
そんなリーダーが連隊を去る時、部下たちは見送り行事でこんな言葉を送ったそうだ。
「本気の連隊長に、久しぶりにお会いできました!」
そして元最高幹部に群がると、皆で胴上げをしたという。
連隊という巨大な軍事組織でも、リーダー1人でここまで強くもなり弱くもなる。
ぜひ、参考にしてほしいリーダーシップの一つである。
目を開けるのも必死でした(笑)
話は冒頭の、「頭が良く優秀な自衛官」についてだ。
部下の人たちの言葉から感じた違和感の正体は何だったのか。
もうそれから随分と経った2022年12月、驚くようなニュースが全国を駆け巡り、大きな政治問題にもなった。
現役の幹部自衛官が特定秘密をOBに漏洩し懲戒免職、すなわちクビになったのである。
そしてその情報を漏らした相手のOBこそ、「頭が良く優秀な自衛官」その人だった。
最終的に“頭が良く優秀な自衛官”は制服組トップに届かなかったのだが、退職直前にはかなり厳しいマイクロマネジメントをする人として知られるようになっていた。
「あれをしろ、これはやるな」という“丁寧で細やかな指導”である。
そしてそのような姿勢は、退役しOBになった後も変わらなかった。
市ヶ谷(防衛省)に赴き、かつての部下たちに最新の機密情報を求め、やってはいけない領域にまで踏み込ませる。
実際にこの時、懲戒免職になってしまった元部下は聞き取りに対し、とても断ることなど出来なかったという趣旨の説明をしている。よほどの恐怖感を持っていたのだろう。
「確かに優秀な方なんですけど…。頭が良すぎて何言ってんのかよくわからないんですよね」
「優秀すぎて、なんというか…」
この言葉を聞いていた時代からすでに、“頭はいい上司”が組織をぶっ壊す未来が決まっていたのかもしれない。
そして話は、“弱小部隊”を常勝部隊に生まれ変わらせた、元最高幹部についてだ。
元最高幹部とは折に付け、各種行事でご一緒させて頂くのだが、口癖のようにお聞かせ頂く言葉がある。
「階級(地位)で指導をするリーダーは失敗する」
「現役時代の上下関係を持ち込むOB(OG)は最悪」
その言葉を裏付けるように元最高幹部は、10期も年の離れたような後輩を表敬訪問する際にも、敬語を欠かさない。
10期(10年)も年下と言えば、現役時代にはおそらく緊張で震え上がっていたであろう世代であるにもかかわらずだ。
元部下を懲戒免職に追い込んだ「頭が良く優秀な自衛官」と、後輩を思いやり心からの敬意を欠かさない元最高幹部。
大きな仕事と実績を成し遂げる人の、人としてリーダーとしての資質の違いを感じさせられる出来事だった。
なお余談だが最近、元最高幹部にこんなことを聞いたことがある。
「深夜まで部下に飲み会をおねだりされて、よく朝4時から毎回、演習場に行けましたね…」
「桃野さん、正直に言いますが立ってただけです。もう目を開けるのも必死でした(笑)」
どこまでも強く、そしてチャーミングなリーダーである。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
自衛官との飲み会、本当にヤバいんですよ。
どうしたら睡眠3時間で深酒が抜けるのか、マジで教えてほしい…
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