道しるべは矢印、相棒は帽子の男 ― 「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」(読者レポート)
ジャン=ミッシェル・フォロン(1934-2005年)は、ベルギーの首都、ブリュッセルに生まれ、少年時代に見たベルギーの巨匠マグリットが描いた壁画に感銘を受けて画家の道を志しました。パリに出て5年間描き続けたドローイングがニューヨークの雑誌社の目に留まり、掲載されたことからその名は世界へと羽ばたいていきます。
1970年、大阪万博の年に初来日したフォロンは、日本文化に深い感銘を受け、それは、作品からもうかがえます。このたび30年ぶりとなる大回顧は、東京、名古屋と巡回して、奇しくも大阪・関西万博の期間中に大阪のあべのハルカス美術館にて開催されることとなり、記憶に残る展覧会となることでしょう。
あらゆる世代の方々が、マルチアーティスト・フォロンの魅力を存分に味わい、まるで空想旅行をするような気分で楽しめると思います。
あべのハルカス美術館へ続く通路にはフォトスポットが
プロローグ 旅のはじまり
フォロンが実際に使用していた名刺には、名前とともに「空想旅行エージェンシー」と書かれています。つまり、空想の旅への案内人を自ら名乗っていたのです。
帽子とコートがトレードマークの「リトル・ハット・マン」(Little Hatted Man)は、フォロンの分身なのか、相棒なのか、それとも自分自身なのか、ともかく旅は道連れ、空想の旅に出ましょう。 (以下、作品はフォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2024-2025)
プロローグ 展示風景(空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン、2025年4月5日(土)~2025年6月22日(日) あべのハルカス美術館)
旅のはじまりから締め括りまで寄り添ってくれるリトル・ハット・マン登場。背中にぜんまいねじが付いていました。空を飛び、大きくもなり、小さくもなり、ひとりぼっちのときも、群勢で現れるときも…、あなたは何者?
《人》1992年
旅行カバンの向こうには真っ赤な太陽が透けて見えます。さぁ、旅のはじまり。
《無題》1974年
フォロンは何でも顔に見えてしまう、思わず笑みがこぼれます。
《仮面》2001年
《無題》
第1章「あっち、こっち、どっち?」
矢印祭りだ。矢印はわたしたちの生活に欠かせません。フォロンの絵の中で増殖した矢印が氾濫して混乱しているけれど、どこか楽しい。冷静になって信じる矢印を見極めなくては。
《あらゆる方へ》1970年
《都市のジャングル》
第1章 展示風景(空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン、2025年4月5日(土)~2025年6月22日(日) あべのハルカス美術館)
どちらへ進もうかな? リトル・ハット・マンも思案中。
《あらゆる方へ》2004年
覗き込んだ先には、これも顔に見える建物。
《無題》
《装飾プロジェクト》1988年
第2章「なにが聴こえる?」
リトル・ハット・マンが見上げる空の彼方には、果てしない宇宙が広がっています。
《発明》1982年
伝説の綱渡り大道芸人、フィリップ・プティに心を寄せて描いた作品。
《綱渡り師》1973年
第3章「なにを話そう?」
メディアとともに成長してきたフォロンはメディアを否定しているのではありません。
今、あらゆるメディアに囲まれて生活する私たちは、受け取った情報とどのように向き合っていくのか? リトル・ハット・マンのように気兼ねなく絵の中に入り、自由に想像して他者と対話するのが良さそうです。
1960年代初期、当時一世を風靡したオリベッティのタイプライター。このポスターは日本全国にも貼りだされたことからフォロンへの関心が高まり、1970年、日本初のフォロン展が開催されることとなりました。
《Lettera 32 すべての人にオリベッティを》1967年
600点を超える世界中のポスターの仕事にも取り組みました。
第3章 展示風景(空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン、2025年4月5日(土)~2025年6月22日(日) あべのハルカス美術館)
「みんな話題にはするけれど、誰も読まない」って、これぞフォロンならではの「humour blanc(白いユーモア)」で語っていますが、アムネスティ・インターナショナルからの依頼を受けて「世界人権宣言」の挿絵原画を描きました。
世界で500を超える言語に翻訳され、日本語はアムネスティ・インターナショナル日本と谷川俊太郎さんがつくりました。会期中、チケットカウンターにて「世界人権宣言 人権パスポート(挿絵:フォロン)」が特別販売されています。
《アムネスティ・インターナショナル》1986年
「世界人権宣言」のための挿絵原画 1988年
世に出ることはありませんでしたが、スティーブ・ジョブズから依頼を受けたMac Manのデザインも展示されています。
《無題》1983年
エピローグ 次はどこへ行こう?
フォロン来日の際、いたく印鑑を気に入ったらしく、「太陽」と「目」と「口」のハンコを作ったそうです。日の出、日の入の意味を理解して使っていますね…。
[宛名:ジョルジョ・ソアヴィ / 消印:東京]1970
[宛名:ジョルジョ・ソアヴィ / 消印:箱根宮ノ下(神奈川)]1970
地中海を望むモナコで過ごし、またパリでは自作のはしけ船で暮らした時間が、水平線と船のインスピレーションにつながったのでしょう。このかばんを持って、リトル・ハット・マンは、次の旅に出かけるのですね。
《出帆》2001年
リトル・ハット・マン、次はどちらへ? それは「秘密」
《秘密》1999年
第1章と第2章の間に、大阪会場オリジナルのコーナーがあります。「プルーストの質問帖」(フランスの文豪マルセル・プルーストが答えて有名になった人生観や価値観をあぶり出すいくつかの質問群)の質問を読み、自分の答えを思い浮かべてからフォロンの回答を見ると、より味わい深く感じられます。
例えば、「自分以外に、なれるとしたら?」フォロンの回答は「鳥」。ですよね…
フォロン晩年の作品にもその気持ちが溢れていて、印象的な一枚でした。
《大天使》2003年
これは、本展を企画構成されたあべのハルカス美術館の浅川真紀上席学芸員が、ブリュッセル郊外にあるフォロン財団の美術館で一目惚れして、借用を懇願した思い入れのある作品。フォロンが亡くなる前年に描いたものです。
いつもは静かな佇まいのリトル・ハット・マンが、腕を上げて脚を上げて高い階段を昇ろうとする後ろ姿を見ていたら「日日是好日」と思い浮かび、しみじみ感じ入りました。
《上昇》2004年
いい展覧会です。鳥になった気分で地上16階の美術館へ是非お出かけください。
[取材・撮影・文:hacoiri / 2025年4月4日]
作品はすべてフォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2024-2025