「多動で交通事故を起こしかねない」医師の勧めで内服も。発達障害息子が6年間事故なく登校できた理由は?【読者体験談】
監修:森 しほ
ゆうメンタル・スキンクリニック理事
「ただの元気な男の子」ではなかった……!多動が強く「交通事故を起こしかねない」と言われた息子
わが家の息子は現在高校1年生です。小学校1年生の6月、ADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けています。息子は明るく前向きな性格ですが、幼少期は多動、衝動性が強く常に走ったり動きまわりがちでした。
幼稚園の頃の息子は、自宅から幼稚園まで全力疾走で登園していました。息子の走りに追いつけず、私は自転車で並走して一緒に登園。赤信号で飛び出そうとする時は「信号をみてね!」と声掛けしていました。幸いにも声を掛ければきちんと信号を見てくれたので、道路への飛び出しはありませんでした。
ただ、家ではチョウチョやトンボ、セミなどを追いかけて、窓からの飛び出し行為がありました。また、近所の公園の池にも3回程落ちたことがあります。
その頃の私は、息子のことを「ただの元気な男の子だろう」と考えていました。それでも、ここまで落ち着きがないものなの?という心配も消えません……。そこで、小学校に入学した6月に専門医を受診。その場で多動の症状が強いとADHD(注意欠如多動症)と診断され、コンサータ内服の指示が出ました。心の準備ができていなかった私が「薬は飲まないといけないんですか?」と医師に聞いたところ、「多動を抑制しないと、注意散漫、多動で交通事故を起こしかねません。内服をお勧めします」と言われました。私は、医師の言葉にショックを受けながらも、薬物治療を開始しました。
このような事を言われたので診断を受けたあと、私は息子が問題なく登下校できているのか不安になりました。そこで息子の2歳上になる娘に聞いてみたところ、思ってもいない状況になっていたのです。
大丈夫ではなかった⁉登校する息子を全力でフォローしてくれていた6年生班長さんの存在
わが家が通う小学校は、朝は班による集団登校、下校時は学童擁護員の方々が通学路で見守り、誘導をしてくれます。
娘から教えてもらった集団登校での息子の様子は、やはり大丈夫ではありませんでした。
「○○くん(息子のこと)がしょっちゅう道路を飛び出そうとするから、6年生の男の子の班長さんがガッチリ捕まえてガードしてくれてるよ。いつも、班長さんと手を繋いで登校してる」
「6年生の班長さんが『○○くん(息子のこと)は、ちょっと注意が必要だね。ぼくが面倒をみるから、副班長と5、6年生で、下級生の見守りをしてくれないかな?』って言ってたよ」
そんなことになっていたとは……。
私はともかくお礼と事情を説明しなければと、ご近所にある班長さんのお宅へ行くことにしました。呼び鈴を鳴らすとお母さまが出てきてくださり、いままで息子のフォローをしてくださったお礼と、発達障害の診断が出たこと、多動の傾向が強いということをお話しました。
すると途中、6年生の班長さんが出てきてくれました。彼は「僕が班長なので、任せてください!○○くん(息子のこと)は僕が面倒をみます」と笑顔で、力強く言ってくれました。お母さまも「そんなに気にしないでください。みんなで登校しましょう」と言ってくださいました。涙が出る程、嬉しかったことを覚えています。
こちらのおうちは3人兄弟で当時の学年は6年生、4年生、3年生。みんな息子よりお兄さんでした。この3人のお兄さんたちはずっと息子を見守ってくれました。お兄さんたちが卒業したあとの息子は同級生の男の子と手を繋いで登校し、6年間事故なく登校することができました。
下校時は優しい学童擁護員さんと手を繋いで
また私は、息子に診断が出たことを学校へ伝えました。下校についても心配があると相談すると先生は「下校見守りの学童擁護員の皆さんに伝えますね。お母さんも心配だったら一緒に下校してみますか?」と提案してくれ、私は息子の下校を見守ることにしました。
学童擁護員は小学校の保護者や町内会から募っていて、主に仕事をリタイアしたおじさま、おばさまがボランティア活動として参加されています。場所ごとに担当が決まっているので、学童擁護員さんと息子は顔見知りのようでした。
学童擁護員さんと息子が下校する姿をうしろから見守る私。息子は擁護員さんの言うことはキチンと聞くようで、おじさんと手を繋いで危ない場面もなく帰っていきました。息子を見てくださった学童擁護員さんはとても優しかったようで、息子はおじさんに懐き、楽しそうに下校しており、私の見守りなしでも問題ないようでした。
地域の力のありがたさを痛感。そして高校では電車で登校できるように特訓して……
このように、ご近所の皆さんのおかげで6年間、息子は私の付き添いなしで登下校ができました。地域の力のありがたさを痛感しました。娘も息子のことをよく気にかけてくれて、息子は恵まれていたと感じています。また、薬を内服し始めてから多動がかなり落ち着いたのも幸いしていたと思います。
息子は中学校でも一人で登校することができていました。ですが、高校への登校は電車の乗り継ぎが必要だったため、合計7回、母子で高校への登校練習をしました。電車の乗り場、マナー、案内板、スマートフォンのアプリを使っての時刻表の確認など、いろいろなことを教えました。その甲斐あって、高校では自分で電車を乗り継ぎ、登校しています。
そんな息子の頑張っている姿を見ていると「小学校の頃からいろいろあったけれど、日々息子も成長しているんだな~」としみじみと感じ入るこの頃です。
イラスト/SAKURA
※エピソード参考者のお名前はご希望により非公開とさせていただきます。
(監修:森先生より)
お子さんの登下校についての体験談をありがとうございます。実際、多動の傾向があるお子さんは、「興味のあるものが目に入ると安全確認をする前に駆け出してしまう」「信号をじっと待つのが苦手」といったことがあり、事故のリスクも高まってしまうことが考えられます。お母さんだけでなく、周囲の方々のあたたかい見守りもあってお子さんは安全に登下校ができたのですね。
普段から周囲の方と良い関係を築いて、お礼を伝えたり、事情を説明して理解してもらうといった保護者の努力があって得られる手助けも多いことと思います。事故に遭うことなく無事に大きくなって、成長を実感されているとのこと、とっても素晴らしいですね。お子さん自身も、お母さんもよく頑張られましたね。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。