91歳の五木寛之さんが説く、「よろこび上手」のすすめ【人生のレシピ】
「よろこび上手」こそ、苦しい世に生きていく知恵
作家・五木寛之さんによる「人生のレシピ」は、誰もが百歳以上まで生きるかもしれない時代に、新しい生き方を見つけるための道案内となるシリーズです。
NHK「ラジオ深夜便」での語りを再現して贈る、累計15万部超えの人気シリーズの第9弾は『日々の歓びの見つけ方』(2024年7月刊)。
「一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心した」と語る五木さん。今回は本書より、「よろこび上手のすすめ」となる語りをご紹介します。
この暗愁(あんしゅう)にみちた人生を励ましてくれるものは、日々のよろこびです。それ以外にはありません。
年老いて老人ホームで孤独な生活を送っていても、数多くの過去のよろこびを思い出としてためこんでいる人は幸せです。繰り返し思い出しても、それはすり減るどころか、歳月とともにますます輝かしく感じられるにちがいない。
以前、一日に一回よろこぼう、と考えたことがありました。ちょうど男の更年期にあたる時期で、毎日がとてもしんどく感じられたころのことです。一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。そして、それを手帖に書くことに決めました。そのために新しい日付入りの手帖を買い込んだのです。
実際にそのころ手帖に書きつけたよろこびのコレクションは、いま読み返してみますと、実にたあいのないものばかりであることに驚きます。
たとえば、「きょう新幹線の窓際の席に座ったので、富士山が真正面によく見えた。うれしかった」だとか、「デパートで買ったボールペンの書き心地がよい。とてもうれしい」だとか、「BBC制作のテレビ・ドキュメンタリーが素晴らしかった。いいものを見た」などなど。
こんなふうに、その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがあります。よろこびたい心の触手を大きく広げて待ち構えていることが大事なんですね。
〈よろこび上手〉とか、〈よろこび下手〉とかいった言葉があるのかどうかは知りませんが、本当によろこんでいれば、それはおのずと外に表れるものです。本当の気持ちは隠しても隠しようがありません。〈よろこび上手〉とは、表現のテクニックではない。よろこぶ、という一点において上手か下手かということです。
もちろん〈よろこび上手〉には、生まれながらの素質というものもあるでしょう。家庭の家風もあるだろうし、本人の性格もあります。しかし、人は多少なりとも慣れることができます。うれしいことがたくさんあり、よろこぶ回数が多くなればなるほど、やがて〈よろこび上手〉に変わらないとも限りません。要は、積極的によろこぼう、という姿勢がまず第一歩のような気がするのです。
私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分から探し出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。
〈よろこび上手〉こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ、と私は自分の体験から思うのです。
五木寛之
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本書『日々の歓びの見つけ方』では、五木さんにとって日々生きていく糧となった音楽や映画などの日々の歓びを、
「戦後を生き抜く力をくれた昭和歌謡」
「ロシア民謡と私」
「シャンソンと私」
「映画原作者のひそかな願い」
「忘れがたき映画監督たち」
「私とペットとの関係」
という全6回のテーマでお届けし、人生をより楽しむためのヒントとしていきます。
■『教養・文化シリーズ 人生のレシピ 日々の歓びの見つけ方』(五木寛之著)より抜粋
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著者
五木寛之(いつき・ひろゆき)
作家。1932年、福岡県生まれ。朝鮮半島で幼少期を送り、引き揚げ後、52年に上京して早稲田大学文学部露文科に入学。57年に中退後、編集者、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞など受賞多数。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『下山の思想』『百寺巡礼』『生きるヒント』『孤独のすすめ』など。日本芸術院会員。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。