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#3 「おごれる人も久しからず」の「おごり」とは。 安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

NHK出版デジタルマガジン

#3 「おごれる人も久しからず」の「おごり」とは。 安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

安田登さんによる『平家物語』読み解き #3

公家の時代から武家の時代へ、平家から源氏へ。時代の転換期のダイナミズムを描いた『平家物語』。平家はなぜ栄華をきわめ、没落していったのか。戦乱のなか、人々は何を思い、どう行動したのでしょうか。

『平家物語』を知り尽くした博覧強記の能楽師・安田登さんが、難解で長大な物語を「大きな出来事」に絞って解説する『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』では、時代が動くとき、世の価値観はどのように変化したのか。その変化のありようを私たちが生かせる道とはどんなものなのかについて、読み解きとともに考えていきます。

全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、歴史が私たちに伝えようとしたことを探る本書より、その一部を公開します。(第3回/全7回)

『平家物語』のあらすじ

『平家物語』は琵琶法師(びわほうし)の語りによって人々に広まりました。全十二巻+灌頂巻(かんじょうのまき)というたいへん長い物語です。一度に全部を語ることなどできません。ですから、その上演方法は、基本的には「抜き読み」でした。つまり、全体のストーリーはみんな知っているという前提で、「この部分を読んで」とリクエストするのです。

 第4講で詳しくお話しする『耳なし芳一(ほういち)』でも、平家の亡霊たちは芳一にそのようなリクエストをしていますし、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」などの時代物はいまでもそうした鑑賞のされ方をしています。そんな楽しみ方にならい、まずは全体の流れをお話ししておくことにしましょう。『平家物語』はとても長い物語ですが、そのストーリーを凝縮すると、次のようになります。

 主人公はタイトルの通り平家一門。当時はさげすまれていた武士階級にあった平家ですが、天皇家、貴族、寺社との関係を強めることで、武家としては前代未聞の繁栄を果たします。平家の棟梁(とうりょう)であった平清盛(たいらのきよもり)は武士としては初めて、貴族の最高位である太政大臣にまで上り詰め、次第に傲慢になっていきます。これに不満を持った貴族や寺社勢力が反乱を起こしますが、失敗。清盛の横暴さはさらに増します。意のままに振る舞おうとする清盛のただひとりのブレーキ役が、長男の平重盛(しげもり)でした。

 しかし、その重盛は若くして亡くなってしまいます。平家の将来を託そうとしていただけに清盛は嘆き悲しみますが、やがて高倉天皇に入内(じゅだい)した娘・徳子(とくこ)が男子を産み、その皇子が即位して安徳(あんとく)天皇になったことで、清盛をはじめとする平家一門の栄華は頂点に達します。

 しかし、ここから平家打倒の動きが本格化します。後白河(ごしらかわ)法皇の子・以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)で全国の源氏が挙兵。清盛は、強引に都を福原(ふくはら)に遷(うつ)したり、反抗的な南都の寺社を押さえつけるため、五男・重衡(しげひら)に命じて奈良を攻めたりします。しかし、その際の不可抗力で奈良の寺社を焼き尽くしてしまったため、反平家の機運がさらに高まってしまいます。

 そんな中、清盛が突然亡くなります。カリスマ清盛を失った平家は、突然、没落の一途をたどることになります。信濃源氏(しなのげんじ)の木曾義仲(きそよしなか)との戦いに敗れた三男・宗盛(むねもり)、四男・知盛(とももり)、孫の維盛(これもり)ら平家一門は都落ちし、安徳天皇を連れて船で西海を漂う身となります。

 一方、都に入った義仲は、平家以上に横暴に振る舞い、人々は不満を抱くようになる。そんな中、後白河法皇から鎌倉の源頼朝(みなもとのよりとも)に対し征夷大将軍任命の院宣(いんぜん)が下ります。頼朝は都での源氏への逆風を読み取って、身内である義仲に追討の兵を向けます。頼朝の派遣軍は義仲を討ち取り、さらに平家追討に進んだ源範頼(のりより)・義経(よしつね)兄弟が、一(いち)の谷(たに)、屋島(やしま)、壇ノ浦(だんのうら)の三つの大きな戦いに勝ち、平家はついに滅ぼされる──。これが『平家物語』の簡単なあらすじです。

おごれる人も久しからず

 では、早速内容を読んでみましょう。まずは有名な冒頭の部分です。

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘の声、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、唯(ただ)春の夜(よ)の夢のごとし。たけき者も遂(つひ)にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵(ちり)に同じ。

(祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きを立てる。釈迦入滅のときに、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理を表している。驕り高ぶった人も、末長く驕りにふけることはできない、ただ春の夜の夢のようにはかないものである。勇猛な者もついには滅びてしまう、全く風の前の塵と同じである。)

(巻第一 祇園精舎)

 琵琶法師の語りでは、この部分だけで七分ほどかかります。果たしてそれで内容が理解できるのか、意味のまとまりが聴き取れるのか、と思うかもしれません。しかし、語り物における意味のまとまりは「文」ではないのです。さまざまに聴こえてくる「語」が音として立ち上がってきて、それらを自分の頭の中で自由に連関させていく、というのが語り物の聴き方です。これは能の謡(うたい)(セリフ、歌)でも同じです。

 私は能の『三井寺(みいでら)』を観ていたときにおもしろい体験をしました。鐘の音を表す「じゃん、もん、もん、もん、もん」という音が、「しょぎょうん、をん、をん、をん。むじょうん、をん、をん、をん」と言っているように聴こえたのです。『平家物語』の祇園精舎の鐘の音は「すべてのものは移り変わる、常なるものは何もない」という仏教の無常観を感じさせるものであったと同時に、「しょぎょう、むじょう」という「語」が音として立ち上がってきたのではないか、とそのときに気づきました。やはり、『平家物語』の文章には、声に出されてこそのおもしろさがあると思います。

「祇園精舎」は釈迦(しゃか)が説法(せっぽう)を行った寺の名前ですが、そこに象徴されるように、『平家物語』の基調には仏教的な無常観が流れています。また、悪行(あくぎょう)を犯しても「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称(とな)えれば救われるという、浄土教(じょうどきょう)の教えも折々に説かれています。一方で、すべてが移り変わっていく中でなんとか組織を延命させるための鍵として、儒教的な倫理観も非常に重要なものとして描かれています。これらについてはこのあと詳しく解説します。

 さて、この冒頭の文章に、「おごれる人」という言葉が登場していることに注目しましょう。これが本講最大のキーワード「驕(おご)り」です。

「驕り」に似ている言葉に「誇り」があります。ともに「自分が優れていると思う気持ちを外に出すこと」を言いますが、「驕り」はさらに一歩進んで、それを「当然だと思う」ことを言います。「驕り」は、権力を持った者が没落していく、あるいは、組織が崩壊していくときのきっかけとなるものです。

「おごれる人」というと平家のことだけを指していると思いがちですが、『平家物語』の中で「おごれる人」として最初に登場するのは貴族たちです。後白河法皇に仕える者たちが官位や俸給を十分すぎるほどもらっているにもかかわらず、それに満足しない様子が、「されども人の心のならひなれば、猶(なほ)あきだらで」と書かれています。驕りが「人の心のならひ」ならば、どんな人でも驕るのです。どんなにたくさん報酬をもらっても、人はすぐにそれに「あきだらで」、つまり、飽き足りなくなってしまう。それが人間の性(さが)です。

 平家の人々も最初は天皇からの望外の待遇を「ありがたい」と思っていました。しかし、それはやがて「当たり前」になり、「当たり前」は「もっと」になる。そして「もっと」が過ぎると、相手を「恨む」ようになる。さらに相手からも恨まれ、やがて陰謀や争いも起きる。こうして「おごれる人も久しからず」となるのです。

 これは平清盛だけでなく、すべての人に当てはまります。『平家物語』では、清盛をはじめ、権力を手にした者たちが驕り、そして没落していく過程が繰り返し描かれることになります。

■『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語 こうして時代は転換した』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『平家物語』『太平記』の原文および現代語訳の引用は『新編 日本古典文学全集』(小学館)に拠ります。読みやすさを考慮し、現代語訳の一部に手を加えています。

著者

安田 登(やすだ・のぼる)

能楽師。1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学(総合情報学部)特任教授。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在はワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組んでいる。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

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