Yahoo! JAPAN

京都の路地家の角にみられる「いけず石」とは? 他の地域にも「いけず石」に似た家の角に置かれる石がある

LIFULL

車よけのために住宅等の敷地の角や端に置かれた京都のいけず石

京都の路地角にみられる「いけず石」

京都市内の家の角によくみられる「いけず石」

京都の路地を歩いているときなどに、端に石が置かれているのを見たことはないだろうか。

これは「いけず石」と呼ばれるもので、狭い京都市内の路地で、車が家の敷地に侵入したり、壁に接触するのを防ぐ意味がある。だから、家の敷地の端や、角などで見かけることが多いだろう。京都には、ことを荒立てず、遠回しに表現する文化があり、いけず石も事故になって言い争いになる前に、「こっから中には入らんといておくれやす」と、あらかじめ宣言しているのだ。「いけず」とは、京ことばで「意地悪」を意味するが、「この石から中にはいけず」の「いけず」であるという説もある。

いけず石と似たものとして、「犬矢来(いぬやらい)」がある。京都の町屋の軒下に、ゆるやかなカーブを作った竹の垣根を見たことがないだろうか。道路を歩く犬が壁に小便をかけるのを防ぐのが、犬矢来の本来の目的だが、泥棒が家に侵入するのを防ぐほか、牛車がはねあげた泥よけ、車が壁に接触するのを避ける意味もあった。

余談になるかもしれないが、河内で生まれ育った筆者には、「いけず」と「意地悪」はずいぶんニュアンスが違うように感じられる。
たとえば河内で「意地悪な人」は、誰かにわざと嘘を教えて困らせたり、そんなに難しくない頼み事を無碍に断ったりといったものを指し、自分の損得とはあまり関係がない。しかし京都の「いけず」は、自分が不快な思いをしないためのものが多いのではないかと感じるのだ。たとえば有名な「ぶぶづけ食べはりますか」は、主人の意思を無視して長居する客に対して掛けられる言葉で、「早く帰ってほしいのに帰ってくれない」という事情があるが、直接的な表現をしたくないから「いけず」するのだ。

また、河内の人間は他人との距離感が近く、「何かあったときに助けてもらわんとあかんから」と、鉢の下に合い鍵を隠していることを近所の人に教えていたりするが、京都の人は、他人との間にはっきりとした境界線を引き、なぁなぁでは済まさない風情がある。だから相手に過分に気を使わないかわり、お裾分けするときなどには「たんともろて困ってますねん。助けておくなはれ」とへりくだり、相手に気を使わせないようにもする。

いけず石も、「自分の家を壊されたら困る」という思いがあるからこそ置かれるので、車を寄せすぎて傷つけてしまった人には災難だが、ただの意地悪と同じにはできないのだ。

むろん、「あんさん、京都のどこに住んではるの? ああ、伏見。洛中ちゃうんやね」と、洛外の人を見下したような「いけず」をする人もいて、これは普通の「意地悪」と同じニュアンスだろう。ただ、自分を守るための遠回しな措置も「いけず」と表現するため、「京都人は特にいけず」という印象を持たれてしまうのかもしれないと考えている。

京都のいけず石の始まりは平安時代

京都御所

いけず石は、平安時代にまで遡るとされる。とはいえ、当時から現在のような形であったわけではない。

平安京は東西約4.5km、南北約5.2km。その中には幅の広い「大路」が碁盤の目状に設置されていた。
東西に走るのが、大内裏にもっとも近い一条大路と二条大路から、都の端にあたる九条大路までの9本。南北に走るのは、西側から西京極大路、木辻大路、道祖大路、西大宮大路、皇嘉門大路、朱雀大路、壬生大路、大宮大路、西洞院大路、東洞院大路、東京極大路の11本。朱雀大路などは80m以上ある広々とした通りだったとされ、接触事故は起こりにくかったろう。また、大内裏に近い一条から三条には上流貴族の邸宅が並んでおり、敷地も広かったから、いけず石は必要なかったにちがいない。

しかし辺境と言える九条あたりに住むのは貧しい庶民だったと考えられる。
大路の間には小路が複数本通っており、庶民の家は小路と小路の幅よりも小さかったはずだ。ここを牛車や荷車が通るときに、私有地に侵入したり、家の壁に接触したりするのを防ぐために置かれていたのが平安時代のいけず石で、現代のものは明治時代以降に設置されはじめたとされる。

多くが私有地に置かれているが、公道に置くと道路交通法や刑法に違反する可能性があるので注意が必要だ。

京都以外にもあるいけず石。富田林市の寺内町

富田林市寺内町のいけず石。外からの敵が攻め込みにくいよう、道が細く曲がっているので、家を守るためにいけず石が置かれたようだ

いけず石は、京都以外でも道の狭い住宅街などで見つかることがある。いつから置かれているのかはわからないが、車による接触事故に困っているのは、京都の人だけではないということだろう。また、「車止め」は、それ以上先に車がいかないよう設置されるものだが、建物に接触しないようにおかれている車止めは、現代のいけず石と言っても良いのではなかろうか。

河内では、富田林の寺内町にもいけず石らしき石がある。
富田林の寺内町は1558年(永禄一年)に出来た自治都市で、外から攻め込まれにくいように道を細く作り、さらに何重にも曲げているから、接触事故も多かったのだろう。しかし、街並みを改修したり整備したりされたためか、現在はそもそも家屋と道路に溝や段差があり、車がぶつかるような状況ではない。これらのいけず石は、かつての文化の名残を残すために置かれているのかもしれない。

丁字路にある沖縄の石敢當(いしがんとう)は魔物を避ける意味があった

沖縄、石垣島の石敢當

また、沖縄の道路上にある石といえば、石敢當だろう。
いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんなどと呼ばれ、丁字路の突き当たりに置かれていることが多く、いけず石よりも大型だ。

丁字路の突き当たりは、スピードを出して直進してきた車が曲がり切れず、衝突される可能性があるから、石敢當には現実的な意味もあったかもしれない。しかし本来この石が防ぐのは、車ではなく、魔物だ。
沖縄で魔物は「マジムン」と呼ばれ、さまざまな種類がある。たとえば「アカングワーマジムン」は亡くなった赤ん坊の霊で、このマジムンに股の間をくぐられると、死んでしまうとされるから怖ろしい。マジムンたちは、直進しかできないため、丁字路に向かってやってくると、突き当たりの家に入り込んでしまう。それを避けるのが石敢當だ。

民俗学者の折口信夫による日本における「石」の役割とは

車よけのために住宅等の敷地の角や端に置かれた京都のいけず石

民俗学者の折口信夫は、日本において、石は
1.ご神体
2.占いのための石
3.精霊を抑える石
4.生殖器崇拝の石
として、信仰の対象となっているとしている。
たとえば石敢當は精霊を抑える石といえるだろう。

だから、平安時代に設置されたいけず石も、もしかしたら何かしら神聖な意味を持たされていたのかもしれない。
巨石を神の坐す場所「磐座」として信仰した日本人は、石に神聖な力を見ていたのだろう。そういう目で見てみると、「いけず石」も、車から家を守る「魔除け」に見えてくるかもしれない。

■参考文献
春風社『石敢當の比較研究ー中国・沖縄・鹿児島・奄美』蒋明超著 2022年7月発行
新潮社『京都西陣 イケズで明るい交際術』京の町家 暮らしの意匠会議編 2014年9月発行

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. トレンドヘアで差がつく!旬顔になれるショートヘア〜2025年夏〜

    4MEEE
  2. 買い逃したら後悔するよ!プチプラのスニーカー5選〜2025年晩夏〜

    4MEEE
  3. もっと早く知りたかったわ。【ロピア】の大人気商品が腰を抜かすほどウマいよ

    4yuuu
  4. <パートだけど…>退職代行で辞めるってあり?慢性の人手不足で言い出しづらくて…

    ママスタセレクト
  5. 【キーンランドC・新潟2歳S】東大HCは前走海外重賞2着のウインカーネリアン本命 京大競馬研の本命は能力GⅠ級と評価(東大・京大式)【動画あり】

    SPAIA
  6. 一度食べたらやみつき……。切って和えるだけの「きゅうり」のウマい食べ方

    4MEEE
  7. ビッグサンダーマウンテンやバズ・ライトイヤーがリニューアル ウォルト・ディズニー・ワールドが2026年までの新要素を発表

    あとなびマガジン
  8. シェリーメイのぬいぐるみがリュックサックになった ダッフィー&フレンズの「ウィッシング・ウィングス」新グッズ

    あとなびマガジン
  9. おしゃれ女子はすでに注目!旬顔になれるボブヘア〜2025年夏〜

    4MEEE
  10. ONE N' ONLY「BOOM BASH」ダンスパフォーマンス映像を公開!

    encore