作家生活40周年!AKB48の重要人物 井上ヨシマサが稀代のヒットメーカーになった理由とは?
豪華アーティストとの共演、井上ヨシマサ作家デビュー40周年
井上ヨシマサの作家デビュー40周年を記念して、アニバーサリーアルバム『再会 〜Hello Again〜』が7月17日に発売された。40周年アニバーサリープロジェクトの一環で、3部作となるアルバムの制作が決定、その第1弾としてのリリースである。
今回のアルバムは、井上が過去に提供した、あるいはアレンジを手がけた楽曲を、シンガー本人と井上のデュエットで再レコーディングしたものである。郷ひろみと共演した「バックステージ」をはじめ、中山美穂と一緒に歌った「Rosa」、AKB48「Everyday、カチューシャ」では高橋みなみとデュエット。他にも、小泉今日子、森川美穂、野村義男、植草克秀、広瀬香美など、豪華アーティストばかりだ。
キャリアのスタートはコスミック・インベンション
そこで、作曲家・編曲家、井上ヨシマサとは一体どんな人物なのか。その音楽キャリアを振り返ってみたい。
井上ヨシマサのキャリアのスタートは、テクノポップバンド “コスミック・インベンション” のメンバーから。このバンドは当時絶大な人気を誇っていたYMOのジュニアバンド的に見られていて、何しろメンバーが全員小中学生であることも話題を呼んだ。電子楽器メーカー、“ヒルウッド / ファーストマン” 創業者の森岡一夫によって創設、当時音作りが難解な楽器としての位置付けだったシンセサイザーであるが、ファーストマンの手により子供でも演奏が容易なシンセサイザーが幾つも作りあげられた。実娘である森岡みまや井上はそのデモ演奏バンドとして集められた。井上もメンバーの1人として参加。79年の結成時点ではまだ13歳である。
コスミック・インベンションは1980年12月に行われたYMO日本武道館公演の前座を務め、翌81年3月5日にシングル「YAKIMOKI」でデビュー。同年5月にはNHKのアマチュア作曲コンテスト番組『あなたのメロディー』入賞作品である「コンピューターおばあちゃん」が彼らによって披露され、ファーストアルバム『COSMORAMA』に収録された。その後、同曲は東京放送児童合唱団の酒井司優子の歌唱でNHK『みんなのうた』で広まり有名になったが、コスミック・インベンションがオリジナルである。
小泉今日子「Someday」を作曲
もともと、井上はクラシックピアノで音楽の基礎を習得。小学生の頃に聴いたサミー・デイビス Jr.「ダイナマイト」のスキャットに衝撃を受け、やがてジャズに目覚め、ソウルミュージックに興味を持ち、いつの間にかダンスミュージックの虜になっていたという少年期を過ごした。スタジオミュージシャンという裏方の存在を知ったのもこの頃だそうである。
小学生の頃からビッグバンドやメイナードファーガソンなどの楽器演奏が中心のコンサートを観たり、自身もグレンミラーのカバーバンドをやっていた井上にとって、当初はインストルメンタル中心だったコスミックの活動がだんだんと歌ものに変わっていき、一番容姿の良い者がセンターに立つという歌謡曲バンド化の過程に違和感を覚えるようになった。
歌のための楽曲が必要になるなら、与えられた曲ではなく自分自身で納得できる作品を作ろうと作曲し始めたのもこの頃である。いつしか自身はステージの端でキーボードを弾く結果となり、これまで考えていた音楽の世界とは異なっていることに気付かされ、疑問を抱く。そして、いい音楽を作り続けたいと決意。
コスミック・インベンションは82年に解散するが、彼らのディレクターである田村充義が担当していた小泉今日子のアルバムに作曲提供する話が決まり、小泉の85年のアルバム『Flapper』に「Someday」を作曲。ちなみにこの曲の作詞者である “美夏夜” とは小泉のペンネームである。井上と小泉は同じ66年生まれとあって、井上は現役アイドルと同世代の作曲家という異例の起用となったのだ。今回のアルバム『再会 〜Hello Again〜』の1曲目は、小泉と井上のデュエットによる「Someday」である。
荻野目洋子「スターダスト・ドリーム」でオリコン1位を記録
このように、楽曲提供を始めるとすぐに沢山の作曲を依頼されるようになり一躍トップ作家に躍り出た井上だが、生活のための音楽とやりたい音楽のギャップに苦しんでいたと述懐している。
本来は、自身のバンドを組んで活動しながら、他のアーティストにも楽曲提供する、という青写真を描いていたそうだが、作家としての活動がメインとなっていき、87年には小泉の「Smile Again」でシングルA面初起用。88年には荻野目洋子の「スターダスト・ドリーム」を作・編曲し、オリコン1位のヒットを記録。他にも、浅香唯「TRUE LOVE」、伊藤美紀「小娘ハートブレイク」、田原俊彦「KIDS」、光GENJI「Diamondハリケーン」ほか島田奈美、坂上香織、渡辺美奈代など、時のアイドルに数多くの楽曲を提供する。
売れっ子作曲家となった井上だが、87年には自身のアルバム『JAZZ』を発表。90年にはマニピュレーターの久保幹一郎と組んで音楽ユニットATOMを結成。井上の作曲作品に関して、ミキシング、マスタリングを自身たちで手がけることになる。
また、95年にはインディーズからミニアルバム『Save 4 U』を発表。ここでのアーティストとしての活動が、井上のキャリアの上で大きな転機となった。プロモーション活動や制作費など、アルバム1枚を制作するためにかかる費用やスタッフの動きなどをイチから勉強する機会となった。ここでクライアントとの関係を理解し、見直したことと並行して、新たな出会いが訪れる。それが秋元康との仕事だ。
秋元康からの楽曲依頼、AKB48プロジェクトの重要人物に
秋元との最初の作品は、94年にリリースされたとんねるずの「クラッキー」で、その後、10年以上が経過し、再び秋元からAKB48の楽曲を依頼される。この時のAKB48はまだインディーズで、秋葉原の劇場でパフォーマンスをしている時代だった。劇場にいらしてくれるお客様が熱狂する曲を井上君が書きたいように書いてくれと言われ、劇場用の楽曲を書くようになる。劇場に訪れる250人の観客を納得させることがメンバー、スタッフ陣の大きな課題であったという。
2007年1月31日リリースのAKB48のメジャー2作目のシングル「制服が邪魔をする」を井上が作編曲。この曲がオリコン最高7位のヒットとなり、これ以降は「大声ダイヤモンド」「涙サプライズ!」「RIVER」など立て続けに楽曲を担当。ことに「RIVER」の高速ビートと力強いラップ、そしてサビで軽やかにポップへと変化していくクールなナンバーは、当時アイドルの楽曲としては異色の作風であり、大きな注目を集めた。
2010年代以降も、今回収録される「Everyday、カチューシャ」をはじめ「真夏のSounds good!」「希望的リフレイン」「サステナブル」などミリオンヒットを連発。SKE48、NMB48、HKT48など姉妹グループにも楽曲提供するなど、AKB48プロジェクトの重要人物として活躍していく。
井上が稀代のヒットメーカーとなった理由
2015年には作家活動30周年を記念し『それぞれの夢 〜井上ヨシマサ30周年記念アルバム〜』を発表。NHKエンタープライズ創立30周年記念ミュージカル「DNA-SHARAKU」の音楽監督や、東京オリンピック聖火リレー公式BGMの作曲など、幅広い分野での活動が常に注目を集めている。
井上ヨシマサは、歌謡曲がJ-POPへと移行する時代から現在まで、キャッチーな曲作りと、現代的なビート感を常に意識した作品を数多く生み出してきた。中山美穂に提供した「Rosa」のラテンハウスも、AKB48に新たな表情を与えた「RIVER」も、いずれもその時代の空気感を象徴する楽曲、サウンド作りである。
作曲家としての井上ヨシマサのポリシーだが、あるインタビューで「自分が発信したいものを、身近で受け止めてくれる人を対象に作り続けていくことが大事」と答えている。80年代後半以降、井上が稀代のヒットメーカーとなった理由には、そんな作家としての矜持が常に横にあるのだろう。