音楽のデジタル化と「MTVアンプラグド」ニルヴァーナ、クラプトン、 マライア・キャリー
連載【教養としてのポップミュージック】vol.9 / 音楽のデジタル化と「MTVアンプラグド」ニルヴァーナ、クラプトン、 マライア・キャリー
デジタル・マルチトラック・レコーダーが導入されたYMOのアルバム「BGM」
1981年3月21日に YMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)がリリースしたアルバム『BGM』を初めて聴いた時、僕はとても驚いた。それまでの彼らのサウンドとは全く違っていたからだ。ポップさが全く感じられず、無機質で実験的な楽曲が続くのを聴いて、“よく解らないけど、何だか新しい” という感想を抱いたことを今でも覚えている。
そう感じた最大の理由は、おそらく、このアルバムがYMO初めてのデジタル・レコーディングだったからである。当時、日本に2台しかなかった3M(スリーエム)のデジタル・マルチトラックレコーダーが導入されたのだそうだ。だが、リリースからしばらく経った頃、このアルバム制作に関する細野晴臣の発言を聞いて、僕は再び驚くことになる。
なんと、せっかく最新鋭のデジタル機材があるにもかかわらず、彼らはリズムトラックを一旦TEACのアナログ・オープンリールレコーダーで録音し、その後でデジタルに移し替えたというのだ。彼曰く “(デジタルは)音がきれいすぎて、決して好きになれない音だった” とのことであった。
今にして思うのだが、この細野のコメントや、この時にYMOが採用した録音方法は、実に示唆に富んでいる。そもそもYMOというバンドは最先端のテクノロジーを積極的に取り入れてきた所が最大の持ち味だったのに、この期に及んでクリアすぎるデジタルサウンドに対して拒否反応を示したのだ。この事実は、過度なデジタル化が時に人間の生理に反することを証明している… と言えないだろうか。
デジタル化が急速に進んでしまったことで感じる居心地の悪さ
と言っても、テクノロジーの進化は止まらない。1980年代初めにはテクノポップやニューウェーブなど最先端のミュージシャンだけのものだったデジタル技術が、80年代半ばには日本のフツーの歌謡曲にまで浸透していたし、都内の大箱ディスコでは若者たちがユーロビートに合わせて踊っていた。デジタルシンセサイザーやリズムマシンで演奏され、デジタル機材を使ってレコーディングされた楽曲を、CDで聴く時代がやってきたのだ。
ここまでデジタル化が急速に進んでしまったことで、困ったのが僕たち世代(1965年生まれ)、あるいはちょっと上の世代の “古い” 音楽ファンだ。純粋に “良い音楽が聴きたい” “良い演奏が観たい” と思っていただけなのに、こうした “時代の音” に対して、どうしても居心地の悪さと言うか、違和感を覚えてしまうのだ。そして、そんな風に感じていた頃に始まったのが『MTV Unplugged』だった。
「MTV Unplugged」が一大ブームを巻き起こした理由
米国の音楽専門チャンネル『MTV:Music Television』が1989年11月26日に放送開始したライブ番組『MTV Unplugged』は、生身の人間による、文字通りアンプラグド(Unplugged = プラグを抜いた、つまり電気楽器を使わない)な生演奏を売りにしていた。放送開始からほどなくして『MTV Unplugged』は一大ブームを巻き起こすのだが、そこには大きく2つの理由があったと考えている。
1つめの理由は、当時ムーブメントとなっていたオルタナティブロックや、そのサブジャンルであるグランジと非常に相性が良かったことである。具体的には、米国シアトル出身のニルヴァーナ、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズといったバンドたちのことだが、ギター、ベース、ドラムスというロックバンドとして最もシンプルな楽器編成で、デジタル楽器も使っていないので、サウンド的に違和感なくアンプラグド化できたのだった。
そして、メインストリームのロックに対抗するもうひとつ(Alternative)のロックというコンセプトが、デジタルサウンド全盛時代におけるアンプラグドの意義に繋がるものがあったのではないか。現に、多くの音楽メディアが『MTV Unplugged』のベストパフォーマンスとしてこれらのバンドを選んでいる。
2つめの理由は、急速なデジタル化の中で静かにフェードアウトしつつあった大御所アーティストたちに、復活の機会を提供したことである。まず、1991年にポール・マッカートニーが出演すると、以降、大物が次々に番組に出演するようになった。翌92年には、エリック・クラプトンの出演回がCD化され、直ちに大ヒット。番組の知名度向上に貢献しただけでなく、彼自身もグラミー賞で6冠を獲得し、キャリアのピークを迎えることになった。
その後、1993年にはロッド・スチュワートやニール・ヤング、94年には元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとロバート・プラントが出演し、素晴らしいパフォーマンスを披露した。95年にはキッスがこの番組への出演をきっかけにオリジナルメンバーで再始動するなど、とにかくアーティスト側と番組側の双方にとって、まさにWin-Winな企画になったのだった。
このようなアンプラグド現象を見て解るのは、テクノロジーの進化は止まらなくても、生身の人間がそれを消化できるかどうかが重要だということである。昨今のアナログレコード人気についても、同じことが言えるのかもしれない。もちろん、そこには個人差があるし、慣れの問題もあるだろう。だが、おそらくこれからも、音楽のデジタル化は “3歩進んで2歩下がる” ように進んでいくと思うのである。
「MTV Unplugged」名パフォーマンス5選
と言うことで、最後に『MTV Unplugged』の名パフォーマンス動画5本を観ていきたいと思う。ただ、残念ながら、大御所アーティストの多くが公式YouTubeチャンネルで映像を公開していないので、少々偏った選曲になっていることをお許し頂きたい。
【第5位】 マライア・キャリー 「アイル・ビー・ゼア」
このライブは1992年3月に『セサミストリート』でお馴染み、ニューヨークのカウフマン・アストリア・スタジオで行われ、マライア・キャリーはそこでジャクソン5の70年のヒット曲「アイル・ビー・ゼア」をカバーした。その後シングルリリースされ、ライブ音源にもかかわらず全米No.1を獲得。実は当時、まだ殆どライブ活動を行っていなかった彼女のことを “スタジオシンガー” と揶揄する声があったが、彼女はこのライブを通じて圧倒的な歌唱力でそれを払拭した。アルバム『MTVアンプラグド』に収録。
【第4位】 ニール・ヤング 「ミスター・ソウル」
ニール・ヤングがかつて在籍したバッファロー・スプリングフィールドのシングル「ブルーバード」のB面として1967年にリリース。その後、別バージョンがアルバム『AGAIN / アゲイン』に収録された。彼がこの曲をセルフカバーしたのは、93年2月にロサンゼルスのユニバーサル・スタジオで行われたライブだが、実は撮り直しである。92年12月に一度ライブ収録を行ったが、その出来に彼は納得がいかなかったらしい。とにかく、“アンプラグドっぽい” とも “普段通り” とも言えるパフォーマンスである。アルバム『UNPLUGGED / アンプラグド』に収録。
【第3位】 アリス・イン・チェインズ 「オーヴァー・ナウ」
全米アルバムチャート(Billboard 200)初登場1位に輝いたアルバム『アリス・イン・チェインズ』に収録。1995年リリース。このライブは96年4月にニューヨークのマジェスティック・シアターで行われたが、当時ボーカルのレイン・ステイリーらが深刻な薬物問題を抱え、活動休止を余儀なくされていた彼らにとって、実に2年半ぶりの生演奏であった。この模様はその後アルバム『アンプラグド』に収録され、この曲がシングルリリースされた。
【第2位】 パール・ジャム 「ジェレミー」
1991年にリリースされ、米国だけで1300万枚を売り上げたと言われるデビューアルバム『TEN』からの第3弾シングル。このライブは、彼らにとって初めての欧州ツアー直後の92年3月、マライア・キャリーの収録が終わったばかりのスタジオでそのまま行われた。新人バンドにコストをかけられないというMTVの判断だったらしいが、結果的に歴史に残るライブとなった。2019年、彼らのライブデビュー30周年を記念して、遂にアルバム『MTVアンプラグド』がリリースされた。
【第1位】 ニルヴァーナ 「カム・アズ・ユー・アー」
1991年にリリースされ、世界的大ヒットとなった2枚目のアルバム『ネヴァーマインド』からの第2弾シングル。このライブは、93年11月にニューヨークのソニー・ミュージックスタジオで行われた。そのステージにはまるで葬式のようなセットが組まれていたが、『ローリングストーン』『NME』など米英の音楽誌各誌はこぞって『MTV Unplugged』史上最高のライブと評した。この時の模様を収録したアルバム『MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク』は、94年4月にフロントマンのカート・コバーンが衝撃の死を遂げてから7ヵ月後にリリースされた。