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長野・下諏訪温泉の宿『ぎん月』。信仰と湯の町で元編集者がストーリーの種をまく

さんたつ

【旅の手帖】ぎん月_5

「もっと地域を楽しんでほしい」——元編集者の女将が伝えるのは、旅館『ぎん月』がある長野県下諏訪町の魅力。自ら町を歩き、その奥深さをガイドしている。

ぎん月

今回の“会いに行きたい!”

下諏訪温泉『ぎん月』女将の武居智子さん

写真=佐々木千玲。

編集者のキャリアは25年『ムーンブック』が大当たり

「実家の宿の名前に『月』がついていたからというわけじゃないですが、長く月の本を作ってきました」

そう話すのは、『ぎん月』の女将・武居智子さん。

いまでは新月や満月といった「月の満ち欠け」のサイクルを生活に取り入れる指南書が増えてきたが、智子さんが出版社の編集者として『ムーンブック』という本を世に出したのは、2004年のこと。月の満ち欠けを記した本の先がけだった。この本は版元を変えながら、20年以上も作られてきたという。

『ムーンブック』の著者である心理占星学研究家・岡本翔子さんがこの日、露天風呂の恋占い「恋札」をリニューアルする打ち合わせのため、『ぎん月』に泊まりに来ていた。長年、苦楽をともにしてきた編集者と著者がいまもタッグを組み、新たなものを作るため、作戦会議を開くとはなにやら楽しげではないか。

そういえば、エレベーターに『ムーンブック』から派生した月の満ち欠けのイラストが描かれた「ムーンカレンダー」が飾られていたし、客室には智子さんが手がけたという「二十四節気」の書籍も置かれている。

お湯に沈めて浮き上がってきた札で恋愛運を占う「恋札」は、近くリニューアル予定。
各階に本好きなスタッフが選んだ書籍が置いてあるので、客室に持ち帰って読める。

下諏訪は江戸時代の五街道の一つである中山道で唯一、温泉が湧く宿場町。『古事記』によると“国譲り”に反対した建御名方神(たけみなかたのかみ)が出雲から移ったという、諏訪大社のお膝元。そんな土地柄だから、この宿には暦や運気というものがよく似合う。

智子さんはこの宿の長女として生まれた。2014年、47歳の時に宿に戻ってきたのだが、その前は出版社で編集者をしていた。しかもキャリア25年という大ベテランである。

20代は女性誌でグルメ、美容、旅、恋愛・結婚、インテリア、健康、ライフスタイル、占いなどさまざまなジャンルのページを手がけ、20代後半から40代で週刊誌、書籍の編集を担当。作った本は数百冊におよび、扱ったテーマも多岐にわたる。

「小説以外、なんでも作りましたね。手書きの原稿とFAXの時代だったので、かなりの文字量をワープロで打ち直して……。大変でしたが、いろいろな人と出会い、さまざまな経験ができました」

露天風呂の湯小屋の前にある池に、色鮮やかな錦鯉が泳ぐ。
8畳・10畳の和室のほか、和洋室や別館もある。

どんな仕事も結局“編集力”。地域の魅力発信にも邁進

海のない長野県で伝統的に食されてきた塩いかや、長寿食である佐久鯉のあらい・やわらか煮、信州豚の角煮、五平餅など、郷土の味覚を盛り込んだ会席料理が並ぶ夕食。

『ぎん月』は大正から昭和の初期までは割烹料理店で、昭和23年(1948)に旅館になった。江戸時代から旅籠(はたご)を営んできた宿と比べると、比較的新しい。

かつては40軒以上あった温泉宿も現在は20軒弱に半減し、2021年に就任した旅館組合長として「どうにかして、地域を起こしていかないといけない」と奮闘する日々だ。

編集者としての経験は旅館経営や地域づくりにも生きている。「どんな商売でも段取りを踏んで、物事を遂行していく力って大事でしょ。掃除の仕事でもなんでも、仕事ができる人は、編集能力が高いと思うんです」と智子さん。

編集者時代と同じように、常にアンテナを張って、地域のおもしろいコトやヒトを見つけては編み直し、現実に落とし込むという作業を続けている。

「朝御饌祭」ツアーで下諏訪最古の源泉・綿の湯を案内する智子さん。

この地の“諏訪信仰”と“温泉”という財産をどのような切り口で世の中に知ってもらうか。

例えば、「式年造営御柱(みはしら)大祭(通称:御柱(おんばしら)祭)」。諏訪で7年ごとに行われた迫力ある「木落(きおと)し」や、一本の柱を3000人で曳く「里曳き」が注目されがちだが、智子さんは「ディテールにも目を向けてもらいたい」と話す。

御柱は諏訪大社の二社四宮に建てるだけでなく、諏訪郡内のお宮全部合わせると約3万本になるという。

「諏訪6市町村にあるほぼすべての社や、小さな祠にも御柱が立てられるんですよ」と、智子さん。

翌朝、智子さんの案内で諏訪大社の「朝御饌祭」(あさみけさい)の見学に出かけた。神職の方が幣拝殿の中で供物を捧げる毎日の神事で、『ぎん月』では希望者を1500円で案内している。

このツアーでは前述の小さな祠に立てられた御柱や、古墳時代の前方後円墳の解説もあって、ディープな下諏訪を味わうことができる。

「朝御饌祭」ツアー参加者にはお土産として、下諏訪地域でとれる黒曜石をプレゼント。

町全体を楽しんでほしいから、1泊2食にはこだわらない

『ぎん月』の源泉は、下諏訪最古の湯といわれる「綿の湯」。湯の玉がコロコロと回る源泉場に「心やましい人が入ると湯口が濁る『諏訪大社 下社の七不思議』の一つです」と説明が書かれている。

通りには、地元の人が生活用水として源泉をバケツに汲んで帰る場所があったり、共同湯があったり。湯とともに生きる町の姿が感じられる。

また、諏訪大社 下社秋宮のご神木は幣拝殿の奥にあり、参拝者からは見えない。

「高野山は“天空の聖地”といわれていますが、諏訪もそれに匹敵するのではないかと思うんです。たくさんの柱が建てられて祈る場所がある、この地のおもしろさをもっと、伝えていきたい」と智子さん。

女性用露天風呂。無色透明の綿の湯の源泉はしっとりとした感触で肌を潤す美肌の湯。

編集者時代には世界のリゾート地を見てきたから、「1泊2食」の型にはめ込む日本の旅館文化にはちょっと違和感を覚えていた。

「海外に行くと、素泊まりや半泊まり(1泊朝食)などの宿泊形態があるし、日本も江戸時代は自由度が高かった。泊まり方は、もっと自由でいいはず」

そう考えて、素泊まりや飲食店と提携したプランなど、旅行者が自由に選べるようなさまざまな設定をしている。

「お客様には、町の通りがうちの廊下だと思ってもらえればいい。外に出てもっと町に住んでいる人とふれあってもらいたい」

夕食は少なめがいいというお客さんのリクエストにこたえ、下諏訪にある老舗鰻店のうな重を出すプランも。

2024年はファン歴30年、若い頃から惚れ込んだ文楽(人形浄瑠璃)のイベントを仕掛けた。『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』は諏訪湖を舞台にした八重垣姫の恋の物語。この名作を諏訪湖畔で上演する「SUWA×文楽プロジェクト」では、クラウドファンディングで600万円ほどの資金を集めた。

また落語好きでもあるので、有志が立ち上げた「諏訪湖落語会」にも協力しているという。

宿はあくまでも宿泊拠点の一つという考えを貫き、我田引水の宿づくりではなく、「下諏訪らしさ」を楽しんでもらえるような仕掛けづくりを町の人とともに共創している。

フロントには、文楽で使う八重垣姫の人形が飾られている。

歩いて見つけた立ち寄りスポット

「青塚古墳・青塚社」諏訪地方唯一の埴輪が発見された古墳

6世紀後半に造られたとされる、全長57mの前方後円墳。諏訪大社の所有地でもあり、かなりの権力者の古墳だという。古墳の中ほどには青塚社がある。

『蕎麦屋みのり 秋宮前』風味豊かな鰹出汁は鰹節問屋直伝の味

店主は東京・日本橋の鰹節問屋が営む人気立ち食いそば店で修業。国産のそば粉を石臼で碾き、本枯節でつゆを作る。ランチセットはミニうな丼付き1500円。

ぎん月
住所:長野県下諏訪町立町3306/アクセス:JR中央本線下諏訪駅から徒歩10分

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2025年6月号より

野添ちかこ
温泉と宿のライター/旅行作家
神奈川県生まれ、千葉県在住。心も体もあったかくなる旅をテーマに執筆。著書に『千葉の湯めぐり』(幹書房)、『旅行ライターになろう!』(青弓社)。最近ハマっているのは手しごと、植物、蕎麦、癒しの音。

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