【京都ツウ】京都国立博物館『日本、美のるつぼ』で注目☆知る人ぞ知る非公開寺院「安祥寺」
汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区、琵琶湖疏水沿いにある知る人ぞ知る普段は非公開のお寺。それが毎月拝観日が設けられ、拝観が可能に。
京博展で注目『五智如来坐像』で注目の非公開寺院☆
山科区、琵琶湖疏水沿いにある普段は非公開の古刹『安祥寺』。2019年、奉祝天皇陛下御即位の文化財特別公開で初めて拝観が許され、それ以前は地元民にもあまり知られていなかったお寺。
それが、現在京都国立博物館で開催中の特別展『日本、美のるつぼ』にて、かつて安祥寺・多宝塔に安置されていた五智如来坐像が展示中。令和元年に国宝に指定された仏像で、現在は京都国立博物館に寄託。
先日展覧会で鑑賞しましたが、改めて五智如来坐像を見ると、その作風が京都にある有名寺院の仏像と比較してもかなり貴重であることがわかる五仏。
そして、現在安祥寺は毎月限られた日程ながら拝観日を設けられていて、久しぶりに寺院を訪れてみることに。
前回の初公開時には、ホントに今まで拝観されてこなかったことがわかるほど、境内自体が拝観をベースにした整備がされていませんでした(笑)それこそが非公開感をあらわしていたわけですが。
現在では境内マップや参拝順路もあり。
安祥寺は、嘉祥元年(848年)、仁明天皇女御で文徳天皇の母・藤原順子の発願により、弘法大師の孫弟子であり遣唐使・入唐僧の一人でもあった恵運により創建された、高野山真言宗の仏教寺院。山号は吉祥山。
かつては醍醐寺のように、裏山にある「上寺」と麓にある「下寺」が存在し、塔頭坊舎も700余あり寺領広域の巨大寺院であったと伝わっています。上寺は荒廃し現在では痕跡もないということですが、下寺が現在の安祥寺にあたります。
こちら、本堂である観音堂。建物は文化14年(1817)に再建。
建物の中はすべて撮影禁止でしたが、こちらにはご本尊である奈良時代末期に造られていたとされる、木造ながら黄金に彩色された十一面観音菩薩立像(重文)が安置。堂内には四天王立像、徳川家康像なども祀られています。
五智如来坐像が国宝指定されたことを契機に、近年境内は住職やボランティアの尽力により復興し、現在も整備が進められています。
元々の住職が御高齢のため整備ができず手つかずだったところ御親戚の現住職が引き継ぎ、兵庫の寺院と住職を兼任されています。
かなり古い時代の石灯篭も配置され、順路が整備されていました。
2021年に行政の支援などで修復された、青龍大権現をまつる『鎮守 青龍殿』。
庭には雌雄の龍に見立てた苔を配置した苔庭(「蘚苔蟠龍:せんたいばんりゅう」と命名)が作られ、この時もボランティアの方が作業されていました。
元々は上寺にあった五智如来坐像を、応仁の乱の大火を逃れて下寺の多宝塔に安置。その多宝塔のあった場所。礎石も残っています。
明治39年の火災により多宝塔は焼失し、塔内に安置されていた多聞天像も同時に焼失しましたが、五智如来坐像はその時既に博物館に寄託されていたため、難を逃れました。
地蔵堂。明和9年(1772)建立。本尊は地蔵菩薩。間口三間、奥行三間の宝形造りで、内部の天井は格天井、格間には極彩色の花卉の彩色。
大師堂。安永2年(1773)建立。江戸時代中期の仏師・清水隆慶彫作の弘法大師像を中心に、開基の恵運僧都、安祥寺流々祖の宗意律師(第十一世)、第二十一世興雅僧正、第二十二世宥快法印のご尊像が安置。
五智遍明庭を望む寺務所も。
御朱印もいくつかありましたが、今回は五智如来の御朱印をいただきました。
限られた日数ではありますが、毎月拝観日も設定されています。琵琶湖疏水散策の途中にぜひ拝観してみてください。
詳細情報
名称:安祥寺
場所:京都市山科区御陵平林町22
電話:075‐581‐0853
拝観日:公式サイトでご確認ください。
公式サイト:https://anshouji.or.jp/