サッカー日本代表となる三笘選手を「起用しなかった」監督の真意とは──? 【𠮟らない時代の指導術】
毎週末、日本だけでなく海外のスポーツニュースをも賑わせる、サッカー日本代表の三笘薫選手。
三笘選手が大学時代に向き合った自分自身と、それを促した「対等な関係性」とは。
指示がなくとも自ら動き、成長し続ける力はどうすれば育めるのか。ヒントは「𠮟る指導」からの転換が急がれる、スポーツ育成の最前線にありました。ドラフト選手を次々輩出する無名校の「環境整備」の秘訣、五輪金メダルを生んだ「問いかけ」の心理的効用──。「消えた天才」を生まないためのスポーツ現場の取り組みには、子育てからビジネスまであらゆる指導に応用できる驚きのスキルが詰まっています。
スポーツと教育の現場を長く取材する島沢優子さんによる『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』より、一部を編集して特別公開します。
三笘薫を起用しなかった監督
このころ、週末のスポーツニュースで三笘薫(イングランド/ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)を見ない日はなかった。2025年2月のことだ。サッカー英プレミアリーグのチェルシーFC戦で、三笘は味方ゴールキーパーからのロングボールに反応すると、絶妙なトラップでボールをコントロールし相手ディフェンダーを置き去りにしてゴールを決めた。公式戦2連続得点。サッカーの母国イングランドで相手チームのサポーターから強烈なブーイングを浴びせられる雄姿に、私たち日本人は酔いしれた。
ゴールの3日後。三笘が筑波大学蹴球部所属時に監督を務めた小井土正亮は「頑張ってますね。いいゴールでした」と淡々と述べた。コーヒーカップを撫でながら「あいつのことだから(チェルシー戦で)次の課題を見つけて、そこに向かっていると思いますよ」。大学4年間の成長を見届けた者ならではの感想だった。
三笘はJクラブの川崎フロンターレにU-10(10歳以下)から加入。トップチーム昇格を打診されながら「プロで活躍できる確信がまだ持てない」との理由からそれを断った後、スポーツ推薦で筑波大学体育専門学群へ進学した。この決断に、小井土はまず驚かされたという。
「プロになるためにずっと小さいころから頑張ってきたんだから、君はプロになれるよって言われたときに、いや私はこっち(大学)でやりますという選択を普通の高校生はできないと思うんです」
ところが小井土もまた「普通」ではなかった。鳴り物入りで入部してきた三笘を2年生の途中まで多くは起用しなかった。
「上手さだけを見たら、多分あいつが一番だったと思うんですけど、サッカーは11人でやるものだし、相手との兼ね合いもある。僕が彼に厳しくあたったっていうよりも、チーム全体がそういう評価でした。彼からすれば川崎より何ランクも下の(カテゴリーである)大学を選んだのに、試合に出られないのはきつかったはず。でも、あいつは腐らなかった」
小井土は三笘とよく話をしたが、もっぱら聞き役で「サポートは何もしていない」と言い切る。よって「僕が(三笘を)育てたなんて微塵も思っていない」。記憶にあるアドバイスらしきものは、1年時にかけたこの言葉だけだ。
「同学年で高校を卒業してすぐにプロになった選手と、4年後に勝負するんだ。だからそのときまでにどんな4年間を過ごすのか。今、本当に何をしなきゃいけないのか。1年後にはこうなるんだ、2年後にはここまでになるんだっていうふうに積み上げていけよ」
大学で壁にぶつかった三笘は、力を積み上げていくための場所を積極的に探した。例えば、筑波大准教授で110メートル障害元日本記録保持者の谷川聡に「個別に教えてほしい」と指導を仰いだ。谷川が改善ポイントとして挙げた中殿筋(尻の横の筋肉)の強化に取り組むと、スピードに緩急が加わった。急ストップし、急発進するアジリティ(敏捷性)に磨きをかけたのだ。
「一気に0から100を出せる選手は一定数いるが、100から0に止まれる選手はなかなかいない。彼のドリブルはぐっといこうとした瞬間に、相手が先に動いてしまうので、何もしない間に花道が開いている」
のちに三笘が所属した川崎フロンターレの監督鬼木達が雑誌のインタビューでこう評した高速ドリブルは、三笘が自ら谷川にアプローチして得た成果だった。三苫は渡英後も帰国すれば谷川のもとを訪れる。さらに現在コンディショニングを支える「チームみとま」のメディカル部門は、大学時代に訪れた茨城県つくば市内の治療院に任されている。
主体的に動く三笘を見てきた小井土は「いろんな情報を足を運んで取りに行く。誰か何か教えてくださいよと、決して受け身にならない。いろいろ試して、取捨選択して、自分を更新し続けたんだと思います」と少しだけ誇らしげに話した。そして「僕から何か出てくるかなと思って待ってても何もしてくれない。なら自分でやるしかないなと思ったのかもしれません」と自嘲気味に笑った。
19歳の三笘が記した「なりたい自分」
個人的なアプローチはしなくとも、成長するための環境はしっかりと整備した。例えば、年度初めに部員と交換するセルフマネージメントシート。A4サイズ1枚の紙に「なりたい自分」「今の自分」「なりたい自分になるためにどうするか」などの項目を選手に書いてもらう。今の自分との乖離を考察させ、なりたい自分になるために、何をどうするのかという成長戦略を練らせて「いつまでに」とデッドラインまで設定させる。アスリートの成長戦略といえば、段階的な目標設定を単語で記した大谷翔平の曼陀羅シートが有名だが、「小井土シート」はより具体的に文章化しなくてはならない。
三笘が大学1年の終わり、2017年1月16日に書いたシートの〈なりたい自分〉は、全部で十数個もある。
22歳で日本代表初招集
23、24歳で日本代表の中心プレーヤーになる
東京五輪で活躍
23歳でドイツ1部移籍。2、3年でビッグクラブ移籍。1シーズン10ゴール。CL出場
頼もしいのは「3大会W杯出場、ベスト4」の言葉だろう。ほかにもユニバーシアード(大学生の国際大会)優勝などが並ぶ。
次に〈今の自分〉が記される。こちらは20個以上。
スタメンが勝ち獲れていない
ポジションは2つしか務められていない
プレーに波がある。常に自分の100%を出せていない
線が細い。177センチ、66~67キロ
〈「なりたい自分」になるためにどうする?〉の欄もびっしりと具体策が書かれている。
身体の強化、柔軟性の獲得。筋トレ週2回、腹筋、体幹を毎日やる。ストレッチ、ヨガ、可動域の拡大、体重の増加などだ。目標体重も記されている。
〈準備(常に100%の準備をしてピッチに立つ)〉の欄には、やはり具体的なルーティーンの提示が。試合前日は炭水化物を多めに、果実を多く摂るなどの内容から、スポーツ栄養学を学んでいることがうかがえる。ほかにも「自分のプレーを見て、反省するところやよいところを整理する」といった部分は、あらゆるカテゴリーの選手に伝えたい内容だ。
最後の〈ベストを尽くす〉の欄では、小井土から「これまでにベストを尽くせなかった状況/甘えが出てしまう状況」が問われる。そこには、「暑さ、体がだるく動きたくないようなとき」などダメな状況の自分が客観的に書き出されている。
そして「次、その状況に直面したとき、具体的にどうする?」の質問にも、具体的なマインドセットが書き込まれていた。筆者が最も胸を打たれた一行を紹介したい。
過去を思い出し、それではダメだと、心に言い聞かせる。「これで良いのか」と言い聞かせる
19歳が自分に対しヒリヒリする戦いを挑んでいることが伝わってくる。スタメン入りを果たした大学2年のシーズンは、チームを関東大学リーグで13年ぶりの優勝に導いた。
そのうえ三笘は掲げた「なりたい自分」のほとんどをかなえている。A代表入り、海外移籍ともに24歳、移籍先もドイツではなくイングランドと、本人設定とわずかな誤差はあったものの、ブライトンからの移籍金が推定300万ユーロ(約3億9000万円)。日本代表未経験選手としてはJリーグ史上最高額という付加価値がついた。
『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』では、
第1章 雪国の無名校はなぜドラフトに一学年6人も送り出せたのか 「やる気が出る」環境をつくる
第2章 控え選手だった三笘薫はなぜ焦燥につぶされなかったのか 「対等な関係性」が人を伸ばす
第3章 不安に怯えていた柔道選手はなぜ五輪を連覇できたのか 「傾聴と問いかけるスキル」が成果を生む
第4章 河村勇輝はなぜミニバスからNBAまで成長し続けるのか 「好きのマインド」が伸びしろへ
第5章 6万人を教えた「少年サッカーの神様」はいかにスポーツを変えたか 「主体性の支援」こそ本当の厳しさ
という全5章の構成で、三笘薫、河村勇輝、北口榛花選手ら若くして世界で活躍するアスリートを育てたコーチ18人の人材育成術に迫ります。
著者
島沢優子(しまざわ・ゆうこ)
スポーツジャーナリスト。筑波大学卒業後、日刊スポーツ新聞社東京本社に勤務し、1998年よりフリー。スポーツと教育の現場を長く取材する。著書に『オシムの遺産(レガシー) 彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)、『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。