「先発されていたら負けていた」ダルビッシュを支えた「最強の2番手投手」東北高校・真壁賢守
ダルビッシュ有を擁して甲子園を沸かせた2003年・2004年の東北高校。その陰で“最強の2番手”と呼ばれた右腕がいた。サイドスローから最速146km/hを投げ込む真壁賢守。ピンチを救うたびに評価を高め、強豪・常総学院の名将・木内監督から「先発されていたら負けていた」と言わしめた。そんな実力者・真壁の甲子園での軌跡を、『データで読む甲子園の怪物たち』(ゴジキ著:集英社刊)から紹介する。
好火消しとロングリリーフ
高校野球では別格の存在だったダルビッシュを支えた投手がいた。それは真壁賢守だ。黒縁メガネがトレードマークでサイドハンドの投手である。第一章でも少し触れたように「最強の2番手投手」と言われており、サイドハンドながらも146㎞/hを記録。真壁はダルビッシュの陰に隠れながらも、他校にいればエースになれる実力を持っていた。ただ、ダルビッシュに対しては「こっちは全力でやってるのに、あいつはいつも2割ぐらいの力で投げていた。次元が違いすぎるというか、ライバルという感じは全然なかったですね」と当時からレベルの差を実感していたという。
サイドハンドにフォームを変えたのは2年夏の大会前である。真壁自身は「忘れもしない、甲子園1か月前の7月1日です。自分としても一応本格派のプライドは持ってたので、本当に嫌でしたね。監督への恨みつらみを寮の二段ベッドに書き殴ったりして。まだ残ってると思いますよ。『俺の野球人生をめちゃくちゃにしやがって!』とか、ここでは言えないようなことも(笑い)」と発言していたが、大会直前のフォーム変更命令はそれほど異例であった。ただ、このときにパフォーマンスがよくなったこともあり、当時は珍しく見られる背番号18としてベンチ入りを果たしたのだ。ベンチ入り人数の推移を見ると、1928年から長らく14人が続き、78年夏から15人、94年春から16人となり、2003年夏から18人になった。そのことを踏まえると真壁にはちょうどベンチ入りが拡大された恩恵もあったのだ。
その真壁がこの夏の甲子園で覚醒する。初戦の筑陽学園戦で初回に7点先制した後にダルビッシュが腰痛で2回にマウンドを降りた。その後、斎藤学が1イニング持たずに3点失った。3番手の真壁がマウンドに上がり、火消しとロングリリーフを見せたのだ。球速は2年生ながらも140㎞/hを記録し、筑陽学園をほぼ完璧に抑えた真壁は一気に注目を浴びる。東北からすると甲子園で通用する投手が一枚増え、嬉しい誤算になったのだ。
準々決勝の光星学院対東北 真壁からダルビッシュに継投
この真壁の覚醒はダルビッシュに火をつけた。第一章でも言及したように、ダルビッシュは2回戦の近江戦と3回戦の平安戦で完投したのだ。準々決勝の光星学院戦は、真壁が甲子園で初の先発を務める。5回2/3を7奪三振・1失点のピッチングを見せ、残りはダルビッシュが締めた。準決勝は左腕の采尾浩二が先発を務め、4回2/3を1失点にまとめ、残りのイニングを真壁が1安打に抑えて決勝に駒を進めた。
決勝は常総学院に敗れたものの、相手チームの監督を務める木内氏からは「真壁が先発していたら、負けていた」「嫌だった。あのサイドスロー(真壁)と左(采尾浩二)はそう打てませんよ。いいピッチャーだってのは前から思ってましたから。これが先発でこられっとどうしようもない。ふたりで6回まで放られたら点取れねぇと思ってたんですよ。7回からダルビッシュが『俺に任せろ』って出てきたら全力で投げてくるからなおさら打てねぇ。そうされたら1対2とか1対3で敗けると思ってましたから」とコメントを引き出すほど相手に脅威を感じさせる投手になっていた。
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3年センバツは史上初の9回4点差サヨナラ負け
真壁の甲子園での覚醒は東北投手陣の相乗効果はもちろん、対戦する高校にも大きな影響を与えた大会だった。翌年のセンバツにも帰ってくるがこの大会では試練を迎える。真壁は調整ミスで大会前に腰を痛めるなど状態はよくなかった。
初戦の熊本工戦はダルビッシュがノーヒットノーランを達成する。2回戦の大阪桐蔭戦はダルビッシュが本調子ではなかったため、真壁がリリーフとしてマウンドに上がる。3イニングをほぼ完璧に抑えるピッチングで勝利した。
準々決勝は明治神宮野球大会で敗れた済美だ。この試合は真壁にとって大きな試合になった。リベンジに燃える東北はダルビッシュの調子や明治神宮野球大会の内容を配慮し、真壁を先発に起用。序盤から得点し、東北ペースで試合を進めていった。真壁は完投ペースで投げていた。最終回済美打線が真壁をとらえはじめた。それでも「気迫もあったし。このまま抑えてくれる」と若生監督は判断し、真壁に託した。続く1番・甘井謙吾の打球は右翼ファウルグラウンドに。捕球すればゲームが終わるはずだったが、大きく風に押し戻され、二塁手がグラブに当てたものの落球してしまう。
ここで流れが大きく変わり、その後、連打を浴び、1、2塁から済美・高橋勇丞(元・阪神タイガース)がレフトのダルビッシュの頭上を越えるサヨナラスリーラン。大会史上初の9回4点差サヨナラ負けを喫したのだ。状態がよくないながらも最後まで投げきった真壁は、すぐに夏の全国制覇に向けて切り替えることができた。しかし、最後の夏はダルビッシュが好調だったこともあり、1/3を投げただけで終わった。最後の夏は悔しい終わり方だったが、実力を発揮しながらも、紆余曲折があった甲子園でのピッチングだった。
最後の夏は千葉経済大学附属高に敗れる
高校卒業後は大学や社会人でもプレーをしたが現在は引退している。真壁がこれまで見せたピッチングは今後も語り継がれるだろう。
本文は『データで読む甲子園の怪物たち』(ゴジキ著:集英社刊)より。