日本を代表するクラシックホテル発祥のスパゲッティ ナポリタン、その味わいとは。横浜『ホテルニューグランド』<前編>【街の昭和を食べ歩く】
文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第5回は和洋折衷の美を感じられる街・横浜の『ホテルニューグランド』で、当ホテルが発祥といわれる【スパゲッティ ナポリタン】。前編では、長く愛されてきたその味わいにフォーカスします。
昭和2年開業、横浜の象徴的なホテル
いつかヨーロッパ旅行へ——そんな気もしないでもないけれど、やっぱり私などは、かつてヨーロッパに憧れ、追いつこうとした人々がこの国に残した西欧の香りを、まずは嗅ぎにいきたくなってしまう。われわれの先祖の目を通した「異国」が、長い年月のうちにこの国にどうなふうに根を下ろしたのか。
そうした和洋折衷の美を強く感じられる街が、横浜だ。
とくに、山下公園の前にたたずむクラシックホテル、『ホテルニューグランド』はたまらないものがある。横浜を代表する、いや日本を代表するクラシックホテルは、昭和2年(1927)開業。銀座『和光』などを手掛けた渡辺仁設計による本館のたたずまいは、巨大ビル型のホテルを見慣れた現代人にはだいぶ小ぶりに見えるが、かえってこれがいい。
横浜の歴史とともに歩みを重ねてきた
イチョウ並木をゆるゆる歩きながら、アールデコの、それほど高さのない外観を眺めていると、流行に流されない気品に安心させられる。中へ入るとこれがまたすばらしいのだ。2階へあがる大階段のこの姿よ。
イタリア製の釉薬(ゆうやく)タイルでおおわれた手すり、渋みある群青がかった絨毯の色彩を眺めながらのぼりきると、まるで奈良時代・天平文化の気配を感じられる「天女奏楽之図」が目に入り、天女たちが舞う日本的やわらかさと、幾何学的な設計の精緻さ重厚さが調和している様にうっとりとなる。ため息が出るほどの和洋折衷。続いて、個人的にもいろいろな思い出のあるレインボーボールルーム。元は舞踏場であり、いまは披露宴会場として現役だが、一歩足を踏み入れるとこちらも息をのむ……。
……おっと、すみません。本連載は「街の昭和を食べ歩く」でした。しかしこれだけ鼻息が荒くなってしまうくらい、戦前戦後昭和期の歴史が詰まっているホテルなのだ。
発祥の料理・スパゲッティ ナポリタンの味わい
今日は、この『ホテルニューグランド』が発祥といわれる料理を本館1階『コーヒーハウス ザ・カフェ』に食べに来た。それは、昭和の洋食メニュー大定番、スパゲッティ ナポリタン! なのだが……。
「ケチャップは一切入っていないんです」
えっ?
笑顔でしっかり言い切る『ホテルニューグランド』の広報・横山さん。それは歴史的経緯があってのことなのだが、まずは一口。
やはりケチャップが入っていないために、味に尖りがなく、マイルド。なにより、トマト自体の味がする。生トマトと水煮の両方が使われているためだ。マッシュルーム、たまねぎとともに、肉の味がしっかりするハムもふんだんに使われておりボリュームも申し分なし。味付けは全体として、バターのコクがしっかりありながら、決して脂っこくもない。建築同様、やはり気品があるのだ。
「お客さまから『ポモドーロに近い』と言われますね」
ポモドーロは、トマトの水煮を使い、ニンニクや玉ねぎを加えたシンプルな味付けのパスタ。
横山さんの言葉にうなずいたが、それでもイタリア料理というより、日本人にしっくりくる味付けだ。なにより、麺自体が個人的にも好みである。現在一般的なナポリタンも、ゆでてから一晩冷蔵庫に置くことで、うどんや餅を好む日本人の舌に合うもっちり食感を生み出しているが、この点は、『ホテルニューグランド』でも同じ。やはり、和洋折衷のスピリットが宿っている。
しかしケチャップを一切使っていないのにナポリタンとはこれいかに。しかも、ルーツは戦前にあるという。それがどんな過程を経てこの形にたどり着いたのか。そこから見えてきた「横浜の奥行き」——歴史的経緯については後編で記そう。
ホテルニューグランド
住所:神奈川県横浜市中区山下町10/定休日:無/アクセス:横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩2分
取材・文・撮影=フリート横田
フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『新宿をつくった男』(毎日新聞出版)。