『スレイヤーズ』に『涼宮ハルヒの憂鬱』も!ライトノベル(ラノベ)の歴史とアニメ化の流れ
SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回は「ラノベ原作アニメの時代による変遷」についてお話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん
ライトノベルは特定のジャンルを指すわけではない!?
「ライトノベル」という言葉が生まれたのは1990年です。コンピューター通信サービス、ニフティサーブの中にあった「SFファンタジー・フォーラム」という同好の士が集まるサービスの中で、ソノラマ文庫やコバルト文庫、角川スニーカー文庫などをまとめて指す言葉として考案されました。
それまでも「ジュブナイル」という言葉はありましたが、こちらは小学校高学年も含む児童向けのイメージがありました。
また「ヤングアダルト」という言葉もあり、思春期の悩みを扱う小説が多かったのですが、日本語では成人向け的なニュアンスが強くて使いづらいということもあり、そこで生まれたのが「ライトノベル(ラノベ)」という経緯だったようです。
重要なのは、ライトノベルが特定のジャンルを指すわけではない点です。そのときの流行を反映しつつ、学園もの、SF、ファンタジー、ギャング、青春ラブストーリーなど多様なジャンルの作品が書かれており、内容では定義できません。
むしろ「アニメ・漫画的なキャラクター性の強いイラストがついた文庫」という印象だけが共通認識として存在しており、強いていうなら「書店でラノベ棚に置かれるもの」と考えるぐらいで受け止めてもらえればいいように思います。
ただし、ラノベという言葉が生まれる前から、中高生向けの娯楽小説は存在していました。ソノラマ文庫は1975年、スニーカー文庫は1987年にスタートしています。
1983年にはソノラマ文庫の人気シリーズ『クラッシャージョウ』が映画化され、表紙と中のイラストを描いていた安彦良和さんが監督で、原作者がオリジナル脚本を書き下ろしたと注目を集めました。
世間がラノベを強く意識したのは90年代、富士見ファンタジア文庫の『スレイヤーズ』の成功が大きかったでしょう。ファンタジア長編小説大賞の準入選という形でピックアップされ、1995年にTV・劇場アニメ化。テレビ東京で夕方6時半に放送されました。
それまでならレンタルビデオ店のみで流通したであろうOVAのような企画がTVで放送されるようになった時代の産物で、しかしこれがのちのアニメ隆盛に繋がります。
この時期『スレイヤーズ』や『ロードス島戦記』などのヒットで「ファンタジー=ライトノベル」という時代が訪れ、そこからやがて深夜アニメ枠が広がっていきます。
1996年から深夜アニメの時代が始まり、放送本数は増えていくもののラノベ原作アニメは増えず、ファンタジーものの人気も落ち着きます。
それが2000年代半ばに入ると状況が変わり、2002~03年頃に「ラノベを語るムーブメント」が到来。ブックガイドなどが刊行され、そこで話題作として取り上げられたのがスニーカー文庫の『涼宮ハルヒの憂鬱』でした。これが06年にアニメ化され大ヒットします。
当初は『スレイヤーズ』が作ったライトノベルのイメージとは全然違うので、当たると思っていた人は多くなく、カバーエリアも狭い独立系UHF局で放送されました。しかし、これが予想外のヒットに。そこにはインターネットが大きく影響していました。地上波でどこまで届くかも大事だけれど、それだけではない勝ち方=ヒットのさせ方があることを証明した作品といえます。
これを契機にラノベ原作アニメが急増し、09年以降は年間2桁くらいはアニメの原作がラノベという形になりました。
その後は「小説家になろう」を中心としたウェブ投稿小説の時代へ。書店の棚は別ですが、ラノベレーベルから出版・アニメ化される例が増えました。『ログ・ホライズン』(10年Web版、13年アニメ化)が代表的です。
現在でも転生ファンタジーを中心に、ラノベやウェブ小説、そのコミカライズが原作というアニメが多数生まれています。
90年代の『スレイヤーズ』と2000年代の『ハルヒ』が大きなメルクマールです。これが深夜アニメ化の流れと重なり、原作需要が爆発的に増えたことに応える形で、メディアミックスとしてラノベアニメが大量に制作される時代につながっていったというわけです。