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名著は、個人の中で、そして社会のなかで育ち続ける。 ––––鴻巣友季子×中島京子 刊行記念トークショー

NHK出版デジタルマガジン

名著は、個人の中で、そして社会のなかで育ち続ける。 ––––鴻巣友季子×中島京子 刊行記念トークショー

誰もが知る英米文学の名著を新たな視点で読み直した、翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さんによる『ギンガムチェックと塩漬けライム』

その刊行を記念して、児童文学の名著についての著書『ワンダーランドに卒業はない』がある作家の中島京子さんと鴻巣さんによるトークイベントが開催されました。(2025年7月1日 於:神保町PASSAGE SOLIDA)。

当日の模様をダイジェストでお届けします。

名著は『あしながおじさん』に教わった

中島:『ギンガムチェックと塩漬けライム』という印象的なタイトルの、かわいらしい表紙の本です。本当に楽しく拝読しました。『あしながおじさん』とか『若草物語』、『高慢と偏見』『嵐が丘』など、昔読んだ、あるいは題名だけは知っているとか、読んだふりをしたことがあるとか、そんな本について鴻巣さんが解説しています。これ、語学のテキストに連載したものなのですね。

鴻巣:そうですね。当初はフランス語やポルトガル語の本も扱いましたが、やっぱり語学のテキストですから、英語を知りたい、勉強したいという読者が多いだろうということで、英語の原文を引いてきてフレーズを説明するなど、英米文学中心にシフトしてきました。

中島:なるほど。知らなかったことがいろいろ出てきて、ぼんやり読んでいるのとは視点が全然違うなっていう発見もあって、すごく面白かったです。鴻巣さんご自身は、名著との出会いというと『あしながおじさん』ですか? 『嵐が丘』ですか?

鴻巣:難しい質問ですね。『嵐が丘』は翻訳者としても関わっていますから思い入れはあるんですけど、スタート地点がどこかというと、やっぱり『あしながおじさん』なんです。『嵐が丘』を知ったのも、『あしながおじさん』の中に書いてあったから。主人公ジュディ・アボットが読んでいるものを片っ端から学校の図書館で借りてきて読んでいました。そういう意味で、西洋文学の基礎は『あしながおじさん』に教わった、と言っても過言ではないですね。

中島:『あしながおじさん』はそれこそ名著ガイドブックみたいな本ですよね。わたしの『ワンダーランドに卒業はない』という本は、子どもの頃の愛読書を大人になったわたしが読み返す、というコンセプトの本です。子どもの頃は、「ジャービーぼっちゃまは嫌なやつだなあ」など幼稚な読み方しかしていなかったのですが、大人になって読み直すとブックガイドとしても楽しめるし、語り口が面白くて、大好きだったことを思い出しました。
『ギンガムチェックと塩漬けライム』という書名も面白いですね。

鴻巣:そうですね。「ギンガムチェック」は大体の人がわかると思うのですが、「塩漬けライム」っていったい何だ?と思いますよね。本の中では女子がこれを交換するんです。めんことかシールみたいに。原文を見ると、pickled limesで、訳によって「酢漬け」「砂糖漬け」「塩漬け」……いろいろある。どれが本当なの?っていうと、全部本当なんですよ。翻訳者によって強調する部分が違うんですね。

中島:わたしが中学校ぐらいのとき、レモンのはちみつ漬けがすごくはやったんです。体育会系のクラブの子がみんなに配ったりとか。なんとなくそれに似たものなのかな?と想像しました。そういう、翻訳小説の不思議さや面白いひっかかりもたくさんつまった本です。

翻訳文学への憧れのあれこれがつまった本書のカバー。

多方面に影響を与え続ける『ジェイン・エア』

中島:この本で紹介されている名著は全部読み直したくなるんですけど、その中で『ジェイン・エア』を読み直しました。子どもの頃はあまり好きじゃなかったんですよね、ロチェスターが嫌なやつで。

鴻巣:確かに明るい話ではないですね。前半は寄宿学校のつらい話ばかりだし、ロチェスターは、妻バーサを西インド諸島から財産目当てで連れてきて、妻が精神的に不安定になると屋根裏に閉じ込めて、いないことにしてまた結婚するという、良いところがない人物です。

中島:『ギンガムチェック』に、リード夫人がジェインを閉じ込めるのは、最終的にバーサが閉じ込められていることとリンクすると書いてあって、ああ、そうか!と。

鴻巣:『屋根裏の狂女』という研究書によると、フェミニズム的な視点で見るとバーサはもう一人のジェイン、閉じ込められていたジェインとも読めるそうです。女性の人生という点でいえば、ジェインは最後まで自立できないんです。遺産が転がり込んできていったんは自立するけれど、失明しかかったロチェスターのケアラーになります。

中島:そのあたりがハッピーエンドとも言えないですよね。

鴻巣:一ついいのは、ロチェスターのいわゆる“有害な男性性”toxic masculinityが最後なくなったこと。介護してもらわないと生きていけなくなって初めて、人に頼ることができるようになった。それがロチェスターの唯一よかったところですね(笑)

『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルは『ジェイン・エア』のファンでしたので、レット・バトラーの造形にちょっとロチェスターが入っているそうです。

中島:『ジェイン・エア』ってものすごく多くの人に影響を与えている作品ですよね。バーサの人物像に焦点を当てて、カリブを舞台に書かれたジーン・リースの『サルガッソーの広い海』という作品もあります。そういえば、『レベッカ』にも『ジェイン・エア』の影響があるでしょうか? 結婚したら相手の前妻の幽霊が出てきて、最後火事が起きて……

鴻巣:あります! 『レベッカ』は『嵐が丘』と『ジェイン・エア』を足したような作品ですね。『レベッカ』が出た当初、『ジェイン・エア』の影響が強すぎると指摘されていたようです。ゴシックロマンス文学の、ひとつの中継点と言える作品です。

中島:『ジェイン・エア』の影響を受けた作家はすごくたくさんいるんですね。ちょっと“変”であるがゆえに、惹きつけられる物語ということでしょうか。

鴻巣:『ジェイン・エア』は“完結していない”感じがするのではないでしょうか。書き足りない、書かれ足りない、というか。名作というのは、読み直してみると発見があるものですよね。

『ハックルベリー・フィンの冒険』の位置づけ

中島:わたしたちの本に共通して登場している『ハックルベリー・フィンの冒険』についても話したいと思います。さまざまな訳があるなかでわたしが今日持ってきたのは、旺文社文庫の刈田元司先生の訳。もう手に入らないのですが、これが大好きでした。『ハック』は、アメリカ文学の中でとても大切な作品なんですよね。

鴻巣:ヘミングウェイが、「すべての現代アメリカ文学はハックに始まる」と言ったくらいです。『トム・ソーヤー』じゃないんです。

中島:一人称小説だからでしょうか?

鴻巣:それは大きいですね。一人称小説の話をすると止まらなくなってしまうのですが(笑)、西洋の物語って、『オデュッセイア』くらい古くまでたどると、語り手は一人称なんです。それが中世、近世、近代を経て小説が登場する過程で、語り手は消失します。小説は、リアリズムが大切だからです。

わたしが考えるに、一人称小説はその後2つに分かれます。一つは三人称小説になった。ヘミングウェイが良い例ですね。あとヘンリー・ジェイムズの作品などもそうです。もう一つは、語り手がキャラクターを兼ねるという流れ。わかりやすい例がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』です。僕が自分のやったことを話しますよ、という語り。ナレーターがキャラクターを兼ねるのは新しくて、一つのナラティブの完成形と言えます。

中島:『ハック』はこれだけ重要な作品なのに、黒人差別が書かれているということでアメリカでは図書館や学校で禁書になったり、言葉遣いを書き換えた版が出たりしたと聞きました。とはいえアメリカ文学では重要な位置づけで、わたしも読者としては大好きな作品だったんです。ハックがとにかくいい子で、ちょっと特別なキャラクターです。

『ジェイン・エア』のように、名作から新たな作品が生まれるという点では、『ハック』から生まれたのが、『ギンガムチェック』の中でも少し触れられているパーシヴァル・エヴェレットの『ジェイムズ』です。

鴻巣:『ハック』に登場するジム(ジェイムズ)の視点で書かれたのが『ジェイムズ』ですね。

中島:この本では脇役に回るものの、ハックの善良さが損なわれていないのが、わたしはうれしかったです。ただ、ジムの話し方には驚きました。

鴻巣:この本では、ジムの話し方にものすごい言語的な仕掛けがあるんですよね。

パーシヴァル・エヴェレットは、すごく政治的な小説を書くのですが、書き方が高度過ぎて伝わらない部分があるタイプの作家です。彼のErasureという作品は『アメリカン・フィクション』というタイトルで映画化もされました。主人公は売れない黒人作家。ヤケになって、世間が求めるステレオタイプな“黒人らしさ”を煮詰めたような小説を書いたところ、大ヒットしてしまうという顛末を面白おかしく描いた小説です。

ただ、アメリカでこういった作品を読むのは、名門大学を出たいわゆるエリート層。ビッグ5と呼ばれる大手出版社から本を出せるのも、そこで働くのもエリートばかりです。黒人の女性作家のトニ・モリスンが、私たちが読む本がないと言って『青い眼が欲しい』を書いて、ノーベル文学賞を取り、黒人作家の地位向上に貢献したのが90年代ですが、今も状況はあまり変わらない。ですから『ジェイムズ』はとてもいい作品なのですが、作品自体がアメリカの格差とか差別構造のなかに取り込まれているような印象を抱いてしまい、複雑な気持ちになります。

鴻巣友季子さんと中島京子さんのお二人。

『ハック』に描かれたディストピア

中島:なるほど、そうした背景も考えてしまいますよね。とはいえ、『ジェイムズ』は『ハック』と同じくらい読みやすい作品ですので、ぜひ読んでいただきたいです。

この本にはジムが体験した残酷な黒人差別の実態が描かれていて、鴻巣さんがお書きになっていた「ディストピア文学の三原則」を思い出しました。

1国民の結婚、妊娠、出産、子育てに国が介入してくる。
2国民の教育、読み書き能力(リテラシー)を抑制する。
3芸術や文化を弾圧して、支配層の望むものだけを与える。

ディストピア小説って、ジャンルとしてはSFだと思っていたのですが、『ジェイムズ』の中にもディストピアがあるのです。鴻巣さんが「アトウッドは想像力でディストピア小説を書いているわけではなく、いろんな時代に実在したことから発想して、それを作品に取り入れて、書いている」とおっしゃっていましたね。

鴻巣:そうですね。『誓願』と『侍女の物語』に「女性地下鉄道」という言葉が出てきますが、これは南部の奴隷制が頭にあったでしょうね。「地下鉄道」と言えば、南北戦争の時代に奴隷を逃がすためのルートのことです。ほかにも、『侍女』には女性を分断支配するための「小母(おば)」というポジションがあり、女性に女性を統率させます。南部の奴隷制もそうで、英語でdriverと呼ばれる「奴隷長」という立場を作っていたところも共通しています。

中島:奴隷は読み書きを教えてもらえないので、本は読めません。でもジェイムズはサッチャー判事の図書館に忍び込んで、独学でヴォルテールだのジョン・スチュアート・ミルだのを読みます。ここで、『誓願』で女には禁じられている本を女たちがこっそり読むシーンを思い起こしました。本を読んで、それをパワーにして反撃に出る。

鴻巣:文字や言葉、リテラシーによって支配を脱していくところも共通しますね。

中島:奴隷制度というのは、その時代の奴隷にとってはディストピアだったわけですよね、あたり前ですが。敵の言葉を身に付けるということは、敵の武器を奪ってパワーを得るということに近い。『ジェイムズ』でも『誓願』でも、そういうものを感じました。

「読む」とは「書き直す」こと

中島:名著って、読み直すといろいろな発見が出てきますね。『ギンガムチェック』の鴻巣さんのあとがきがとても良いんです。「読書というのは本を閉じておしまいではないと考えています。むしろ、本というのは私たちの中に入ってから育ちつづけていくのだと」。これは本当に名言だなと思いました。

鴻巣:ありがとうございます。『あしながおじさん』なんて、最初に読んだのは小学3年生くらいの時ですが、まだまだわたしの中で育ち続けている感じがします。

中島:読み返すごとに「そうだったのか」と発見があったり、現代の感覚で批評的な目で読んだり、さまざまな目で読んでいくことができます。

そう考えると、本というのは個人の中で育っていくだけでなく、社会の中でも育っていくという気がします。こうした作品がなぜ書かれるかというと、社会が変わっていくなかで、すばらしい作品を新たに「読む」ということがなされるから。「読む」と「書く」はつながっていますから。

鴻巣:「読む」ことはある意味、自分の中で「書き直す」という面がありますね。『ジェイムズ』が出たことで『ハック』の評価も変わるだろうし、また改めて読もうという人も増えると思います。

中島:そういういろいろなことを考えさせられて、本当にすばらしかったです。

鴻巣:ありがとうございました。

プロフィール

鴻巣友季子
翻訳家、文芸批評家。1963年東京都生まれ。津田塾大学言語文化研究所客員研究員。日本文藝家協会常務理事。英米圏の同時代作家の紹介と並んで古典名作の新訳にも力を注ぐ。文芸評論、翻訳研究の分野でも活動。主な訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(新潮文庫)、マーガレット・アトウッド『昏き眼の暗殺者』『誓願』『老いぼれを燃やせ』、クレア・キーガン『ほんのささやかなこと』(早川書房)、ミリアム・テイヴズ『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』(角川文庫)、他多数。主な著書に『謎とき「風と共に去りぬ」』『文学は予言する』(新潮選書)、『ギンガムチェックと塩漬けライム』(NHK出版)などがある。

中島 京子
1964年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務、フリーライターを経て、2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、柴田錬三郎賞、歴史時代作家クラブ賞、同年『⻑いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年日本医療小説大賞、2020年『夢見る帝国図書館』で紫式部文学賞、2022 年『やさしい猫』で吉川英治文学賞、同年『ムーンライト・イン』『やさしい猫』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
子ども時代に夢中になった児童文学の名作について綴った『ワンダーランドに卒業はない』(世界思想社、2022年)がある。

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