父が返した深紅の大優勝旗を取り戻す!東海大相模のスラッガー・金本貫汰いざ最後の夏
昨夏の甲子園ベスト8も、あえて土は持ち帰らず
全国の高校野球ファンが待ちわびる「球児の夏」が迫ってきた。第107回全国高校野球選手権地方大会はすでに北海道と沖縄で開幕。7月には各地で地方大会が本格化する。
最大の注目は昨秋の明治神宮大会、今春センバツに続いて秋春夏3連覇を狙う横浜のいる神奈川大会だろう。今春関東大会準決勝で専大松戸(千葉)に敗れて公式戦27連勝でストップしたが、全国トップクラスの評価は不動。夏の神奈川大会でも優勝候補の筆頭に挙げられている。
「打倒・横浜」の一番手が昨夏の代表・東海大相模だ。中学時代にU-15侍ジャパンで4番を務め、鳴り物入りで東海大相模に入学したスラッガー・金本貫汰にとっては最後の夏。昨夏の神奈川大会で2年生ながら4番を打ち、決勝の横浜戦では当時1年生だった織田翔希から横浜スタジアムの右翼ウィング席に放り込む特大弾を放って度肝を抜いた。
甲子園でも富山商と広陵を下してベスト8入りしたが、準々決勝で関東一に惜敗。あえて甲子園の土を持って帰らなかったのは、2年生でまだチャンスがあるからだけではない。その結果に満足できなかったからだ。
育英高主将として優勝旗を返還した父・猛さん
父との約束がある。父・猛さんは兵庫・育英高出身。1993年夏の甲子園で全国制覇し、プロ入り後は近鉄、ソフトバンク、オリックスで1865安打を放った大村直之の1年後輩だった。
猛さんは2年生時からレギュラー捕手として活躍していたが、夏の大会中に左足腓骨を骨折してベンチ外となり、先輩の雄姿はアルプススタンドから見届けた。
最上級生となって主将に就任。全員で甲子園に優勝旗を返しに行くことを目指したものの、夏の兵庫大会初戦で東洋大姫路にまさかのコールド負けを喫した。「あの時の悔しさは今も忘れていません」と振り返る。
1994年の第76回全国高校野球選手権大会開会式。兵庫代表を勝ち取った姫路工ナインを横目に、猛さんは一人、ユニフォーム姿で甲子園にいた。
「学校に飾ってあった優勝旗をその時初めて持ったんですが、本当に重いんです。甲子園に立った感動より、無事に一周して返すことで精いっぱいでしたね」
前年度優勝校の主将として一人で行進し、深紅の優勝旗を返還。無事に最後の任務を完了したが、チームメイトと聖地に立つことはできなかった。
「貫汰は主将ではないし、学校も違いますが、やっぱりチームの仲間と優勝旗を取り返してほしい気持ちはありますね」。そう話す顔は父親のそれだ。
金本猛さん提供
育英高時代の同級生・井戸総監督率いる関メディで成長
金本貫汰が中学時代にプレーした兵庫県西宮市の関メディベースボール学院の総監督は井戸伸年氏。猛さんの育英高時代の同級生だ。井戸総監督は大村直之の近鉄時代の後輩でもある。
今や全国有数の強豪となった関メディ中等部に預けた貫汰はプレーヤーとしても、人間としても大きく成長。家でも父への感謝を口にするようになったという。
多くの勧誘を受けた中から選んだ東海大相模に進学後は寮生活。猛さんは試合のたびに兵庫と神奈川と行き来して、息子のプレーに目を凝らしている。今夏も全試合観戦する予定の猛さんは「暑いし、お金もかかるし、大変ですわ」と苦笑いしながらも、どこか嬉しそうだった。
初戦は7月12日に横須賀工vs鶴見総合の勝者と対戦。ライバル横浜とは決勝まで当たらない。
打倒・横浜、そして全国制覇へ。父との約束を果たすため、高校通算33本塁打を放っているスラッガーの挑戦がもうすぐ始まる。
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記事:SPAIA編集部