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岡山県「奈義町現代美術館(Nagi MOCA)」は”作品と建築が一体化した常設型美術館”の先駆け。その土地でしか見られない美術館として芸術と社会を結びつける

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奈義町現代美術館の外観

那岐山を借景にした自然とアートが共生する公立美術館

奈義町のシンボルで標高1,255mの「那岐山」。氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせん・うしろやま・なぎさん こくていこうえん)の一部に指定されている

岡山県北東部に位置し鳥取県と隣接する町、勝田郡奈義町(なぎちょう)。町の北部には岡山・鳥取両県にまたがる標高1,255mの雄大な那岐山(なぎさん)がそびえ、町のシンボルになっている。

自然豊かな奈義町には、各地から人が訪れるユニークな美術館がある。それが奈義町現代美術館、通称Nagi MOCA(ナギ・モカ:Nagi Museum Of Contemporary Artの略)である。町のほぼ中央部に位置し、敷地から那岐山の堂々とした山容が望めるロケーションだ。館内には奈義町立図書館も併設する。

同館は「作品と建築が一体化した常設型美術館」をコンセプトとしている。1994年に開館し、2022年度には3万3,372人が来館したという。

奈義町現代美術館の岸本和明 館長。美術館の開館時より学芸員として勤務する
奈義町現代美術館の外観

観光地として知られる岡山市や倉敷市などから遠く離れた県北部の地に、年間3万人以上もの人が訪れる美術館はなぜ生まれたのか。館長を務める岸本 和明(きしもと かずあき)さんに、奈義町現代美術館の生まれた経緯やコンセプトなどについて聞いた。なお岸本館長は、奈義町現代美術館の開館時より学芸員を務め、30年以上にわたり運営に携わっている。

奈義町現代美術館には奈義町立図書館も併設されている。建物の正面に向かって左部分の茶色い部分が図書館になる

奈義町にしかない美術館をめざして

写真右奥に見えるのが那岐山。奈義町現代美術館の借景になっており、見事な景観をつくり出している

奈義町現代美術館は、奈義町の町制施行40周年の節目となる1994年に向けたメイン事業として建設されたものだったという。最初は、奈義町を「書道のまち」として盛り上げようという企画もあった。奈義町は人口規模のわりに、書道人口が多いことが理由だ。町の文化センターを借りて仮設の書道美術館を設置し、著名な書道家の作品を展示した。

岸本館長「仮設の書道美術館がきっかけとなり、『我が町にも本格的な美術館を』という話が出始めました。当時はバブルの時代。各地で美術館や博物館・遊園地・ゴルフ場といった大型施設を建設する動きがあったことも、影響したのでしょう」

当時、岡山大学に美術館の学芸員経験のある大学教授がいた。その大学教授が彫刻家の宮脇 愛子(みやわき あいこ)氏と面識があり、宮脇氏と夫の建築家・磯崎 新(いそざき あらた)氏を紹介したという。そして磯崎氏が奈義町の美術館建設に関わることになる。

奈義町の地を訪れた磯崎氏は、那岐山をはじめとする雄大な自然環境に感動したという。そして建設地として、現在の奈義町現代美術館がある場所を指定する。奈義町を訪れたことで「那岐山を"借景"とした、奈義町にしかない美術館をつくる」という構想が生まれ、もっとも那岐山が美しく眺められる場所を選んだのである。

館内図(提供:奈義町現代美術館)
奈義町現代美術館とともに造成された「シンボルロード」。那岐山に向かって一直線に延びる道路だ

「実は当時の奈義町長は、美術館や遊園地・ゴルフ場などを建てるという考えに賛同していませんでした。美術館も遊園地もゴルフ場も、どこにでもある施設。それを建てても、飽きたら終わりだということを見越していたのだと思います。それよりも、もっと地元の文化や自然を生かし、残していきたいという思いを持っていたようです。磯崎さんの『那岐山という奈義町らしさを取り入れた、奈義町にしかない美術館』という構想を聞いて、美術館をつくろうという気持ちになったのではないでしょうか」

また奈義町には、大規模な陸上自衛隊の基地がある。奈義町を知る周辺の人にとって、「奈義町といえば自衛隊」というイメージの人も多かったという。「『奈義町=自衛隊』というイメージに文化や芸術というイメージを加えることで、町のイメージの変化を期待していたのでしょう。奈義町にしかない美術館は、町のイメージを変えるものとして期待されたのでしょう」と岸本館長は話す。

シンボルロードの奈義町現代美術館付近の様子。街路樹が植えられ、整備されている

公共美術館として世界初。作品と建築が一体化した常設型美術館

奈義町現代美術館の配置図。奈義町の土地や自然条件に基づく固有の軸線になるよう計算されている。那岐山を中央に据え、手前に「大地」が広がり、左右に「月」と「太陽」(日)を配置した構図となり、六曲一双の「日月山水図屏風」がイメージできるという(提供:奈義町現代美術館)

美術館建設に携わることになった磯崎氏は「那岐山を借景とし、作品と建物が半永久的に一体化した常設型の美術館」というコンセプトを提案する。

「今では同じようなコンセプトの美術館はいくつかありますが、作品と建物が半永久的に一体化した常設型の美術館は、公共施設としては奈義町現代美術館が世界で初めて実現しました。これはそれまでの美術館の概念を覆した、画期的なものだったと思います。奈義町にしかない独創的なコンセプトでした」

当時、美術館は館内で作品を展示し、一定期間が終了するとその作品は別の美術館に移って展示され、また別の作品が運ばれてきて展示されるというものが一般的だった。そのため展示される作品は、別の移動した美術館で見られる。それに対し、磯崎氏は「その美術館固有の作品、その土地ならではの作品が展示されるべき」という考えを持ち、「サイトスペシフィックSite-Specific)」という概念を取り入れた。

サイトスペシフィックとは、「特定の場所の特性を生かし、その場所でしか成立しない作品」を指す。磯崎氏は奈義町に来ないと見られない作品、奈義町にしかない美術館をつくることにこそ、意義があると考えたのだ。磯崎氏がサイトスペシフィックの考えを体現したものが、「那岐山を借景とし、作品と建物が半永久的に一体化した常設型の美術館」であった。

展示室「月」の外観
展示室「月」の内部。白い壁が印象的で、声や足音が大きく反響する不思議な空間だ

こうして1994年に開館した奈義町現代美術館は、ほかに類を見ない美術館として各種メディアでも取り上げられて話題になった。しかしこれまでになかったコンセプトの美術館であることから、美術関係者や愛好家などの中には、なかなか理解をしてもらえない人も一定数いたという。

「私が初めて磯崎さんとお会いしたとき、『この館は今の時代は理解されにくいですが、10年後にはきっと同じような美術館ができるでしょう。そのときに、奈義町は先駆けとして注目されるでしょうから、それまでがんばってください』と言われたことが励みになりました」

2000年代半ば頃から、退職を迎える団塊世代向けの旅行や女子の一人旅などの特集で美術館が取り上げられることが多くなり、奈義町現代美術館もメディアへの露出が再び増加。SNSの普及による「写真映え」ブームなどの追い風もあって同館への注目度が高まり、来館者数は増えていったのである。

さらに瀬戸内国際芸術祭の影響もあるという。同館は芸術祭の対象エリアではないが、芸術祭の開催期間中には、同館の来館者数が増加しているという。

今では全国各地から奈義町現代美術館を訪れる人がいるほか、海外からの来館者も増えた。また近年はファミリー層の来館も多いと岸本館長は話す。

展示室「月」に展示されている、彫刻家・岡崎和郎の作品「HISASHI(ヒサシ)- 補遺するもの」

常設展示する「月」「大地」「太陽」の3室

展示室「大地」には、彫刻家・宮脇愛子による作品「うつろひ」を展示。下には無数の丸石が敷き詰められ、無数のワイヤーが交差する

サイトスペシフィックの先駆者的な美術館となった奈義町現代美術館だが、磯崎氏が提唱した「作品と建物が半永久的に一体化した常設型の美術館」とは、具体的にはどのようなものだったのか。

奈義町現代美術館は、3室の展示室からなる。3室はそれぞれ「」「大地」「太陽」の名前が付けられ、名前のとおり月・大地・太陽を表現している。設計した磯崎氏は、奈義町の自然の要素を取り込むように角度を計算しているという。

展示室「月」の直線部の壁面の角度は22時の中秋の名月を指し、展示室「大地」の中心軸は那岐山の山頂を指し示す。さらに、展示室「太陽」は円筒状をした独特の形状の空間で、真南を向くようつくられており、平面部に円形の膜を設置。時間・天候・季節により変化する日光が差し込むことで、陰陽を生み出す。

同美術館は磯崎新のプロデュースのもと、彫刻家・岡崎 和郎(おかざき かずお)、彫刻家・宮脇 愛子、美術家・荒川 修作(あらかわ しゅうさく)+マドリン・ギンズという3組のアーティストに作品の制作を依頼した。

展示室「大地」の「うつろひ」は屋外部分にも展示され、下は丸石が敷き詰められて水が張られている
「太陽」の内部には、荒川 修作+マドリン・ギンズの作品「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」を展示(©1994 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation)

HISASHI(ヒサシ)- 補遺するもの
展示室「月」は三日月をイメージした空間で、白い壁面と、音が大きく反響する点が印象的だ。一歩くごとに足音が、声を出すごとに声が室内に反響する。岡山産御影石でできたベンチを配置しているほか、壁面には岡崎氏の作品「HISASHI(ヒサシ)- 補遺するもの」を展示している。名前のとおり庇(ひさし)をイメージした、黄金色が印象的な作品である。

大地うつろひ
展示室「大地」は、宮脇氏の作品「うつろひ」を展示する。丸い石が敷き詰められた水面から延びる、無数のステンレスワイヤーが交差している。風や光を反映させ、奈義の大地と水と触れ合いながら体感できる作品だという。うつろひは、隣接する喫茶室からも鑑賞できる。

太陽遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体
展示室「太陽」には、荒川 修作+マドリン・ギンズの作品「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」を展示。螺旋階段を登って展示室に入ると、まるで異世界に迷い込んだのかと錯覚するような空間が広がる。鉄棒やシーソー、湾曲したベンチが置かれ、同じものが天井にも配置されている。さらに左右の壁面には京都市・龍安寺の石庭を模したものが広がる。円筒状の空間と南から差し込む日光が、より不思議な空間を演出する。

建築と作品が一体化しているからこそ、実際に訪れて体感することで、作品の魅力が分かる。奈義町現代美術館全体が、建築家の磯崎氏と3組のアーティストが共同制作した作品といえよう。

円筒状の空間の側面に龍安寺の庭園、足元だけでなく上部にも遊具が配置され、日光に照らされて異世界に来たかのような不思議な感覚に陥る(©1994 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation)

若手に着目した企画展やワークショップの開催

展示室「太陽」の外観。美術館の建物の横にそびえる、インパクトのある巨大な円筒状の物体は、実は展示室

一般的な作品展示を避け、作品と建物が一体化した常設型の美術館をコンセプトとした奈義町現代美術館。しかし岸本館長は、何度も足を運んでもらうのには常設展示以外にも工夫が必要だと感じていたという。「そこで考えたのが、企画展示でした。当館には常設展示室に加え、ギャラリーが設けられています。常設展示に加えて、ギャラリーをフル活用して企画をたくさん開催することで、多くの方の目に留めてもらおうと考えました」と岸本館長は振り返る。

ただし、企画展も「奈義町現代美術館ならではのもの」を開催する必要性を感じていたという。そこで奈義町現代美術館が目を付けたのが、若手を中心とした展示だった。当時、公立美術館としては若手の展覧会は少なかったためである。

「当時の展覧会といえば、すでに亡くなった作家やベテランの作家など、評価が定まった人のものが大半でした。若手の展覧会は当時ほかの美術館でやっていない企画ですが、若手ならではの魅力があると思ったのです。たとえば若手の作家は価値観が定まっていない面があり、未完成な部分があります。それが逆に魅力になるのではないかと考えました」

イベント「井上嘉和ダンボールワークショップ」の様子(提供:奈義町現代美術館)
コロナ禍を機に始めた「アーティスト・イン・レジデンス」。アーティストが奈義に滞在し、野外作品を制作する。制作風景を見たり、制作者と話をしたりできるのが魅力だ。野外作品9点のうち、5点がレジデンス作品になる

「また作家が展覧会に常駐することで、来館者と話ができるのも魅力ではないかと思います。若手の作家は、来館者と同じ時代を共有する作家。そこに強みがあるのではないでしょうか。常設展示は巨匠の作品です。企画展を若手中心にすることで、巨匠の常設展示と対比でき、館に動きができてエキサイティングな美術館になると思いました」

若手にとって公立美術館で展覧会をすることは、ひとつの目標となる。そのため美術館側と作家側とで相乗効果もあるそうだ。ただし若手が展覧会後もより成長できるよう、若手のみの展示とせず、一部にベテランの作家の作品も展示しているという。ベテランの作品が混じることで、若手に刺激を与えることを目的にしている。

若手中心の企画展以外にも、奈義町現代美術館ならではの活動として着目したのがワークショップの開催だった。ワークショップも、当時の公立美術館ではめずらしかったという。

「当時は、まだワークショップは都会でチラホラと開催するところがある程度で、広がり始めという時期です。ワークショップという言葉の意味さえあまり知られていませんでした。参加型のイベントの開催で来館者に楽しんでもらい、当館の魅力を伝えたかったのです」

現在もワークショップはたびたび開催しており、ダンボールを使った作品づくりや、お絵描きイベントなどが行われている。

「アーティスト・イン・レジデンス」はアフターコロナでも開催を継続。現在、奈義町現代美術館の敷地内のほか、近隣にもレジデンス作品を展示する

美術館にはアーティスト・作品と社会とを結びつける"媒体"の役割がある

館内にある喫茶室はガラスの向こうの宮脇愛子の作品「うつろひ」を眺められる(提供:奈義町現代美術館)

岸本館長には奈義町現代美術館が開館して以降、少しずつ続けていたことがある。それは奈義町やその周辺以外のエリアにも美術関係の仲間をつくっていくことだ。

「エリア外にある美術館・美術関係者・アーティストのところに積極的に足を運び、会って話をし、つながりをつくるようにしました。そのような外部の方に理解をしてもらい、評価されることが大切だと思うんです。外からの評価や刺激によって、内部での盛り上がりにつながると考えました」

岸本館長が地道に広げていったネットワークは、企画展の開催にもプラスになっている。つながりのある美術関係者を通じてアーティストが紹介されることにより、企画展につながることもあるそうだ。岸本館長は、これからの美術館運営には情報とネットワークが必要だと感じていると話す。「美術館の中に熱意のある人間がいることが、アーティストに伝わるかどうか」が、今後の企画展開催のポイントになるとのこと。ここにネットワークが生きてくるのだという。

ネットワークにより奈義町現代美術館が紹介される際、熱意のある人間がいることもアーティストに伝えられることが多い。それによって、アーティストの力の入れようも変わってくるとのこと。

那岐山に連なる山々は「那岐山系」と呼ばれている。写真右端が那岐山、左に見えるのが標高1,197mの「滝山」
奈義町現代美術館のロゴ

今後の展望について、岸本館長は次のように話す。

「2024年から、岡山県北部をおもな舞台にした『森の芸術祭』が始まりました。3年に1度の開催です。次回の開催時に何かおもしろい企画を考えたいなと思っています。まだどんな作家の方が携わるのか未定ですが、当館はメイン会場の一つでもあるので、芸術祭全体の盛り上げにつながるような企画でないといけません。それが成功すれば、芸術祭以降も当館の盛り上がりにつながってくると思いますので、どうしても力が入りますね」

また課題点として、常駐展示作品のメンテナンスを挙げる。どうしても30年以上経過すると、メンテナンスが必要になってくる。こまめにメンテナンスを行いながら、維持管理の良い方法を考え、末永く作品を楽しめるようにしていきたいという。

美術館は、アーティスト・作品と社会とを結びつける"媒体"だと考えています。美術館を通じてアーティストを社会で暮らす人へ紹介する。そして、アーティストが社会になじんでいき、アーティストが社会に影響を与える。言うならば、私たち美術館は"社会の変革者"だと思うのです。その点を意識しながら、美術館の仕事を続けています」と岸本館長は意気込みを語る。

※取材協力:
奈義町現代美術館
https://www.town.nagi.okayama.jp/moca/index.html

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