寺山修司生誕90年、芸術ジャンルを横断したテラヤマ・ワールドを紐解く「寺山修司展」(世田谷文学館)
表現活動の豊かな可能性を模索した寺山修司(1935~83)は、様々な芸術分野を横断することでその才能を遺憾なく発揮した。現在も、戯曲の再演や映画上映などを通じて、若い世代を含めたファンは増え続けている。近年では教科書に取り上げられるなど、寺山作品は思春期の感受性豊かな若者に、時代を越えて語り続けており、その作品の普遍性が新たな読者を獲得している。18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後「俳句」や「短歌」などの定型詩から、自由詩へと創作活動の基盤を移し、歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げていった。そして、30歳を前後する1960年代後半には東京世田谷区下馬へ移り住み、演劇実験室「天井棧敷」を設立。長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していった。寺山の才気横溢した時期がこの世田谷時代に重なるのである。
▲『われに五月』を出版の頃(1957年)©テラヤマ・ワールド
寺山修司生誕90年にあたって、本展ではこれまで当館で収蔵してきた関連コレクションが一堂に展示される。自筆の書簡や「天井棧敷」に関する資料(原稿・台本・ポスター)など約150点の資料で、寺山修司の人物像とその活動が展覧できる。
▲寺山修司『ブルース一九六〇』複製(1960年)©テラヤマ・ワールド
「一本の / 樹にも / ながれている血がある / こゝでは血は / 立ったまま眠っている」
戯曲『血は立ったまま眠っている』(1960年 浅利慶太演出 劇団四季)の劇中で歌われたブルースの歌詞。原稿用紙1枚目左上には、鉛筆書きで「一本の/樹にも電柱にも/ながれている血がある/こゝでは血は/立ったまま眠っている」とあり、2枚目で「電柱」が「樹」に直されている。
【世田谷区下馬・演劇実験室「天井棧敷」の設立】新婚間もない寺山が、自宅向かいのマンションに〈家出した〉少年少女を劇団員として受け入れて共同生活を始め、演劇実験室「天井棧敷」が誕生した。母一人子一人で育った寺山にとって、生涯唯一のこの共同生活は「少しずつ『家庭』の内実を変えた」末の、新しい〈家〉のモデルだったのかもしれない。本章では約100点の関連資料を通じて、寺山修司の演劇活動が紹介される。
▲(左)演劇実験室「天井棧敷」第一回公演ポスターの原画と(1967年頃・原画は横尾忠則)©テラヤマ・ワールド (右)『大山デブコの犯罪』の本読み風景 ©テラヤマ・ワールド
【手紙魔・寺山修司】高校時代から俳句や短歌を手掛けた寺山は、読者の心を虜にするような饒舌な語りかけを得意とした。短いフレーズで鮮烈に記憶に残る寺山の言葉は、知人へ宛てた手紙からも読みとれる。筋金入りの手紙魔と称される寺山だが、本章では特に20代前半期の自筆書簡約40点を展示し、寺山修司の人物像に迫る。
▲(左)寺山修司 中野トクあて書簡・複製(1956年3月3日消印)©テラヤマ・ワールド 中学校の国語教師へあてた手紙。直接の教え子ではなかったものの、中野は良き相談相手として思春期の寺山を支えた。(右)寺山修司 松井牧歌あて年賀状・複製(1957年)©テラヤマ・ワールド
「眼から空へと / 巣をかけてとぶ / 小鳥の明日を / 五十七年元旦 寺山修司」「牧羊神」同人の友へあてた葉書。「牧羊神」は、寺山が全国の高校生に呼びかけて創刊した俳句誌。
寺山修司展
―世田谷文学館コレクション展 2024年度後期―
会期:2024年10月5日(土)〜2025年3月30日(日) *会期途中に整備休館あり
会場:世田谷文学館
住所:東京都世田谷区南烏山1-10-10 TEL:03-5374-9111
休館日:毎週月曜日(但、月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
年末年始(12月29日~1月3日)、館内整備期間(3月10日~18日)
開館時間:10:00~18:00(展覧会入場、ミュージアムショップは17:30まで)
詳しくは、https://www.setabun.or.jp/