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【実の妹をモデルに描き続けた】孤高のベルギー人画家クノップフの生涯とは

草の実堂

【実の妹をモデルに描き続けた】孤高のベルギー人画家クノップフの生涯とは
画像:『スフィンクスの愛撫』public domain

恐ろしいほど整った顔立ちをした退廃的な美女――19世紀ベルギー象徴派の画家フェルナン・クノップフの作品には、そうした魔性のような女性が数多く登場します。

しかし、実はそのモデルとなったのは、ただ一人の女性…実の妹だったのです

なぜクノップフは、生涯にわたって妹の姿を描き続けたのでしょうか。

今回は、この謎めいた画家フェルナン・クノップフの生涯を辿っていきます。

親の敷いたレールに乗れない

画像:クノップフの作風に影響を与えたブルージュの街並み wiki c Hans Hillewaert

クノップフは1858年、ベルギーのグレンベルゲンに生まれました。

家族は教養豊かなブルジョワ階級で、父親はブルージュにおいて王の代理検事を務めるほどの地位にありました。
その父の職務の関係で、クノップフは生後間もなくブルージュに移り住みます。

この中世的な雰囲気と静かな風景に包まれた街での幼少期の記憶は、のちの彼の作品に深い影響を与えることになります。

クノップフ家では、一族の男性の多くが法律家としての道を歩んでおり、彼自身も両親の希望によりブリュッセル自由大学の法学部に進学しました。そのまま進めば、安定した将来が約束される人生だったといえるでしょう。

しかし、大学生活を送る中でクノップフは次第に文学や芸術に惹かれていき、法律の勉強には興味を持てなくなっていきました。

そして最終的には大学を中退し、芸術の道へと進む決断を下したのです。

秘密結社?との接近

法律の道を断念したクノップフは、その後ブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、本格的に画家としての訓練を受け始めます。

1883年には、ベルギーの前衛的な芸術家たちと共に「二十人会(Les XX)」を結成し、神話や夢を題材にした神秘的で象徴的な作品を次々と発表するようになります。

クノップフの描く端正で気品ある作品は、当時の上流階級の間で高く評価されました。
一方で彼は、芸術界だけでなく思想的な分野からも注目を集めます。

その代表的な存在が、フランスの文学者であり神秘主義者でもあったジョセファン・ペラダンでした。

画像:ジョゼファン・ペラダン public domain

ペラダンは、パリで自身が主宰する象徴主義的な団体「薔薇十字会(サロン・ド・ラ・ローズ・クロワ)」にクノップフを招待し、展覧会への参加を呼びかけます。

一部では“秘密結社”とも称されたこの団体に、彼は強い共感を覚え、ペラダンの著作の装丁や挿絵も手がけました。

二人は互いに感情や夢、神秘といった抽象的な内容をシンボルで表現する象徴主義芸術を通じ、共鳴したのでした。

実妹への偏愛と孤独

このように注目を集めたクノップフの作品ですが、作品のテーマや時代背景が変化していく中でも、彼の絵画に繰り返し登場する女性像には、常に共通した特徴が見られました。

彼が描く女性たちは、整った顔立ちを持ち、力強く神秘的な眼差しと、引き締まった下顎、そして感情を排したような薄い唇を特徴としています。

そしてその外見は、クノップフの実妹であるマルグリットに酷似していました。

画像:『マルグリットの肖像』public domain

クノップフがマルグリットを初めてモデルにして肖像画を描いたのは、彼が29歳のときのことです。

このときに描かれた肖像画は、生涯を通じて誰の手にも渡ることなく、クノップフのアトリエに飾られ続けました。

1889年、クノップフは写真機材を手に入れると、マルグリットに独特の衣装を着せてポーズを取らせ、さまざまな角度から彼女を撮影するようになります。
その写真をもとに描かれた絵画では、登場する女性たちがすべて妹マルグリットの顔をしており、まるでこの世に存在する女性は彼女ただ一人であるかのようでした。

しかし1892年、マルグリットはクノップフを残して、ドイツ国境近くの都市リエージュへ嫁いでしまいます。

一人残されたクノップフは、それでもなお執拗に妹の顔をした女性像を描き続け、そこに表れるマルグリットは常に若々しく、写真に撮られた当時のまま変わることがありませんでした。

クノップフは多くの作品で女性を描き続けましたが、一説によれば女性恐怖症だったともいわれています。
女性への憧れと同時に恐れを抱いていた彼にとって、マルグリットは唯一安心して接することのできる存在であり、理想化できる女性だったのかもしれません。

やがてクノップフは、44歳で両親の家を離れて独自の住まいを構えます。

その自宅の一室には、まるで聖域のような祭壇が設けられ、「自分には自分しかいない(On a que soi)」という言葉が刻まれていました。

孤高の芸術家としての覚悟と、深い孤独がその言葉にはにじんでいたのかもしれません。

ベールに包まれた私生活と最期

画像:『記憶』7人の女性たちは皆一様に同じ顔立ちをしている public domain

そんなクノップフにも、年齢を重ねる中で一つの転機が訪れました。

1908年、彼が50歳のとき、マルト・ヴォルムという女性と初めて結婚したとされています。マルトはクノップフより34歳年下の未亡人で、2人の連れ子がいたといわれています。

長年にわたって妹マルグリットをモデルに作品を描き続けていたクノップフでしたが、妻となったマルトについては、どのような人物であったのか、ふたりの結婚生活がどのようなものであったのかについて、明確な記録は残されていません。

それでも、この時期に制作された作品には、それまでの冷たく張り詰めたような雰囲気とは異なり、どこか生身の女性が持つ温かさを感じさせる表現が見られる、という評価もあります。

こうして、家庭人としての一面が加わったかのように見えたクノップフでしたが、結婚からわずか3年後には離婚し、最終的には再び孤独な生活へと戻っていきました。

画像 : フェルナン・クノップフ Fernand Khnopff 1900年 public domain

その後、第一次世界大戦の混乱の中でも創作を続け、体調を崩しながらも舞台美術や装飾芸術の分野でも精力的に活動しました。クノップフは、生涯を通じて多彩な芸術に携わり続けたのです。

そして1921年11月12日、クノップフはブリュッセルでその生涯を閉じました。

熱心な支持者がいた一方で、彼が他人と深く心を通わせることはほとんどなかったとされ、死因についても詳しい記録は残されていません。

数多くの謎めいた女性像を描いたクノップフですが、最も謎に包まれている存在は、ほかならぬ彼自身だったのかもしれません。

参考文献:世界禁断愛大全 /桐生 操(著)
文 / 草の実堂編集部

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