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油彩一筋45年 釜石市民絵画教室前会長・小野寺豊喜さん 初の個展で自身の創作活動回顧

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 釜石市鵜住居町のアマチュア画家、小野寺豊喜さん(76)が自身初となる個展を開いた。釜石市民絵画教室(現・釜石絵画クラブ)で腕を磨き、長年、同教室の会長も務めてきた小野寺さん。油彩画に魅せられ、続けてきた創作活動は45年にも及ぶ。今回、同級生の働きかけも背中を押し、「これまで手がけた作品をもう一度見直す機会に」と個展開催を決めた。

 小野寺さんの個展は10月28日から30日まで、大町の市民ホールTETTOで開かれた。1980年代初頭の作品から近作まで計88点を展示。最小のF0(エフゼロ)から400号の大作まで見応えのある作品の数々が並んだ。小野寺さんが描くのは季節の野菜や果物、魚などの静物、海や山、花の自然風景…など。県内陸部出身ということもあり、興味をそそられるのは海や魚。中でも三陸海岸の荒々しい岩々に創作意欲をかき立てられるという。

野菜や果物、花などを描いた静物画。これまでに描いた作品は数知れず


昔、各家庭の軒先で見られた「新巻きザケ」は定番のモチーフ(左)。食卓に上る前の魚やカニも


                                                 

悠久の時が生み出した三陸海岸の岩のある風景


 展示会場でひときわ目を引いたのが「震災前の御箱崎 仮宿海岸」という作品(1997年作)。画布を張ったベニヤ板4枚を一つのキャンバスにして、テトラポットの上から見えたダイナミックな“岩”風景を描いた400号の大作だ。今回の展示のために一部、加筆し、27年ぶりに日の目を見た。

F400の大作「震災前の御箱崎 仮宿海岸」には来場者が驚きの声を上げた


 「震災後の風景」として4作品(F100)も公開した。がれきが積み重なるなど実際に目にした光景に、2人の孫の姿を入れて画面構成。荒れ果てた古里に立つ子どもたちの視線の先には何が見えるのか…。見る人の視点で、さまざまな感情が湧き起こる。このうち2作品は、岩手芸術祭美術展洋画部門で部門賞を受賞している。

県の芸術祭洋画部門で部門賞を受賞した作品「震災後の風景1」


震災後の風景2(左)と同3(右)。2人の孫とともに描かれる


 小野寺さんは1979(昭和54)年30歳の時、市教委が前年から始めた社会教育講座の絵画教室を受講。同教室終了後の81(同56)年、受講生らが自主活動グループとして立ち上げた「釜石市民絵画教室」の会員となり、創作活動を続けてきた。後に同教室の5代目会長に就任。昨年、グループ名を改称するまで務め上げた。これまでは、教室が年度末に開く「わたくしたちの絵画展」や11月の市民芸術文化祭で作品を発表してきたが、今回初めて“個展”と言う形での発表が実現した。

 油彩の魅力について小野寺さんは「こすったり削ったり重ねたり…。創作が自由にできるところ」と話し、その過程を人生に照らし合わせる。「人も失敗や成功、気持ちの高ぶりや落ち込み、いろいろな場面に遭遇するが、失敗したら直せばいいし、絵にも人生にも答えというものはない。ものの見方、感じ方も人それぞれ。どちらも自由さが必要」。自身は20代後半に単身でオーストラリアに渡り、砂漠地帯の一人旅を経験した。そこで得た「良いことも悪いことも受け止めて生きる」姿勢は絵を描く上でも生かされているという。

来場者に作品の説明をする小野寺豊喜さん(左)


全88点の作品が小野寺さんの絵画人生を物語る


 縁あって釜石で仕事をすることになり、人生を豊かにする絵画の世界にも足を踏み入れた。それから45年―。2011年の東日本大震災では、高台の自宅は津波被害を免れたが、地元鵜住居の景色は一変した。発災時は市民絵画教室の展示会初日。会場の市民文化会館(大町)にいた会員4人は辛うじて避難し無事だった。小野寺さんは3日後、同館に向かい、暗く泥にまみれた室内から自作9点を含む43点の作品を“救出”。泥を落とし会員に返した。

左:函館連絡船でのスケッチ 右:ツバキを描いた小作品(F0)


小野寺さんの作風に触れながら鑑賞する来場者


 初の個展を経験した小野寺さんは、作品を振り返る中で「新たなテーマが見つかった」と話す。今までは忠実に描こうという気持ちが強かったが、「単純化された表現」に興味が向いた。「もっと物の見方、感じ方も変わっていいのではないか。そうすればさらに面白い作品ができる。まだまだ、あと10年は描きたい―」。当初、“最初で最後”と考えていた個展だが、また数年後にも実現するかもしれない。

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