フェルメールの贋作!?ナチスも騙したハン・ファン・メーヘレンの奇跡
「たった一人の画家が、ナチス・ドイツの大物を騙した」──そんな映画のような実話が、20世紀の美術界で起こったことをご存じでしょうか? その名は、ハン・ファン・メーヘレン。オランダ生まれの彼は、ナチスのゲーリング元帥をはじめ、当時の美術界の権威たちを見事に出し抜いた伝説の贋作師です。
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ハン・ファン・メーヘレン『エマオの食事』1936年 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館
知る人ぞ知るハン・ファン・メーヘレンの物語を、アート初心者の方にも分かりやすく、紐解いていきます。
評価されない画家、ハン・ファン・メーヘレン
1889年、オランダの小さな町で生まれたハン・ファン・メーヘレン。幼い頃から絵を描くことが大好きだった彼は、美術学校に進み、やがて画家の道を志します。美しい光の描写、静謐な室内──彼が最も惹かれたのは、17世紀の巨匠ヨハネス・フェルメールの世界でした。
ハン・ファン・メーヘレン
しかし、20世紀初頭の美術界では、ピカソやマティスといった前衛芸術が脚光を浴びており、古典的な技法にこだわるファン・メーヘレンの絵は「保守的」「模倣的」と一蹴されます。批評家たちからは辛辣な批評ばかり。美術館に絵を収めることもできず、コレクターたちからも見向きもされません。
「自分の絵は全く評価されない。けれど、もし“フェルメールの作品”として世に出せば、皆が絶賛するに違いない。」
この怒りと屈辱こそが、後の「完璧な贋作」誕生の原動力となったのです。
幻のフェルメールの贋作を作り出す
ファン・メーヘレンは密かに計画を始めます。狙いは、フェルメールの“未発見作品”。フェルメールの真作は当時わずか30点程度とされており、研究者たちの間では「新たな作品がどこかに眠っている」という期待が根強く存在していました。そこに目をつけたのです。
メーヘレンが試作品として描いた『楽譜を読む女』
ヨハネス・フェルメール『青衣の女』1663年〜64年 アムステルダム国立美術館
しかし、ただ“フェルメール風”に描くだけでは権威ある専門家を騙せません。彼は17世紀当時の顔料を再現し、古いキャンバスを探し出し、さらに独自の“エイジング技法”を編み出しました。完成した絵をオーブンで焼いて塗膜を硬化させ、微細なひび割れ(クラック)を人工的に生み出し、古さを演出したのです。まさに執念の研究の結晶でした。
こうして1937年、彼は渾身の贋作『エマオの食事』を完成させます。
ハン・ファン・メーヘレン『エマオの食事』1937年 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館
権威がハン・ファン・メーヘレンの贋作を“本物のフェルメール”と認めた日
この絵を見たのは、当時「美術界の法王」とまで呼ばれたアブラハム・ブレディウス。生涯をフェルメール研究に捧げた大物美術史家です。
ブレディウスはこの絵を一目見て「真作だ!」と断言。専門誌に「奇跡の発見」と絶賛記事を寄稿しました。その言葉は、美術界において絶対的な権威。「巨匠フェルメールの新作が見つかった」とのニュースに世間は沸き立ち、この絵はロッテルダムのボイマンス美術館に巨額の寄付を集めて収蔵され、目玉展示となりました。
ハン・ファン・メーヘレン『イサクがヤコブを祝福する』1941年頃 ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館
しかし、それは“完璧な嘘”だったのです。
「偽物の中に、真実が潜んでいる。」
この皮肉を、誰も気づいていませんでした。
ハン・ファン・メーヘレンのフェルメール贋作にナチス・ゲーリングも騙される
さらにこの絵は、思わぬ道をたどります。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの幹部ヘルマン・ゲーリングが「フェルメール」に目をつけたのです。
ゲーリングは「この世に一つしかない未発見のフェルメール」を手に入れるべく、オランダの美術ディーラーを通じ、200点以上のオランダ美術品と引き換えにこの贋作を入手。ゲーリングの美術コレクションの中で、もっとも誇らしい宝物となりました。
「フェルメールを手に入れた」という満足感──それが贋作によるものだと、彼は夢にも思わなかったでしょう。しかし戦後、連合軍はゲーリングのコレクションを調査し、不審な点に気づきます。絵の出所を辿るうち、ついにファン・メーヘレンの名が浮上したのです。
ハン・ファン・メーヘレン死刑寸前。“まさかの告白”
1945年、ファン・メーヘレンは逮捕されます。罪状は「ナチスに国家の文化財を売り渡した裏切り者」。当時この罪は死刑にも値する重罪でした。
しかし、ここで彼は信じられない主張をします。
「その“フェルメール”は、本物なんかじゃない。俺が描いた偽物だ。」
もしこれが嘘なら、裏切り者として処刑される。しかし、もし本当なら──彼は“ナチスを騙した英雄”として名誉を取り戻すことができる。
裁判所は異例の決定を下します。
「この男に、法廷で“フェルメール”を描かせよ。」
数週間後、ファン・メーヘレンは警察の監視下で新たな“フェルメール”を完成させます。一筆一筆、17世紀の技法を再現し、光と影を描き出す彼の姿を見た専門家たちは、ようやく真実を認めざるを得ませんでした。
警察の監視下で『寺院で教えを授ける幼いキリスト』を描くメーヘレン
「この男が描いたものだったのか──。」
技法の分析、証拠の数々が彼の主張を裏付けます。最終的にファン・メーヘレンは「贋作による詐欺罪」で有罪となりますが、判決は懲役1年。死刑どころか、軽い刑で済んだのです。
「芸術家として評価されなかった俺が、フェルメールになりきって世界を騙した」と、彼の笑顔はどこか誇らしげでした。
美術における「本物」とは何か?
ファン・メーヘレン事件は、美術界に大きな波紋を広げました。「世界最高の専門家たちが見抜けなかった偽物」「ナチスの幹部すら騙されたフェルメール」―――この出来事は、「権威が認めれば本物になるのか?」という問いを私たちに投げかけます。
ハン・ファン・メーヘレン『居酒屋のシーン』1938~39年頃 ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館
美術館で「真作」とされて展示されていた日々、人々はその絵に感動し、価値を感じていました。“偽物”と知った瞬間、その価値は消え去るのでしょうか?それとも、描かれた絵そのものは変わらないのでしょうか?
「芸術とは何か」「価値とはどこに宿るのか」──ファン・メーヘレンの物語は、美術を愛する全ての人に問いかけるのです。
最後に
今でも彼の贋作のいくつかは美術館に収蔵されています。「この絵が、かつてフェルメールの“未発見の名作”として飾られていたことがある」──そんな背景を知ると、また違った眼差しでアートを楽しめるのではないでしょうか。
メーヘレンの死後も、真贋論争にさらされた『最期の晩餐 II』
彼はこのように言ったとされる。
「もし俺が死んだら、絵はまた“フェルメール”になる。」
真作と贋作の境界線、芸術の価値とは何か──ハン・ファン・メーヘレンの物語は、アートの本質を問い続けています。
参考文献)
Han van Meegeren's Fake Vermeers
Han van Meegeren
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