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83年4月の日本のレノン&マッカートニー|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった。VOL.26

Dig-it[ディグ・イット]

高校2年の新学期が始まって間もない4月20日の水曜日の放課後、再び同じクラスになったビートルズ友達のHくんを誘って久々にレコード散歩に繰り出した。神保町から秋葉原までの道のりをレコード屋だけではなく、古本屋や楽器屋、ロック座(シンコー・ミュージックのオフィシャルショップ)なんかを覗いて、最後は石丸電気という定番コースを約3時間でまわるというものだ。時間もなくお金もないということで、途中休憩はなし。水分補給をした記憶もないので、根性と健脚が試される運動部に近い試練の散歩であった。それぞれじっくり見てまわるのだが、なかでも当時の石丸電気は本館、2号館、レコード館にレコードがおいてあったので、石丸電気だけでかなりの時間を要した。この日は最後に立ち寄った石丸電気レコード館にて、ビートルズではなくてずっと気になっていた2人の日本人アーティストのレコードを購入した。

『ベスト・コレクション』と『ノー・ダメージ』

一枚目は原田真二の『ベスト・コレクション』。初期のヒット曲が収録されたベスト盤である。原田真二は私が小学校5年のときにデビューし、早々にヒットを飛ばしてテレビにもよく出ていたのですぐにファンになったのだが、その後ロック路線へ移行したあたりから疎遠になり、またその時期が自分のビートルズ活動の始まりとタイミングを重なっていたこともあり、熱心に追いかけることもなくなっていた。

それでも、ずっと頭の中に原田真二の名前はひっかかっていて、ポール来日逮捕の際にコメントを出していた週刊誌の記事を読んだり、『レッツゴーヤング』で「ストロベリーナイト」を歌唱する前に「ジョン・レノンの死にショックを受けた」と紹介されていたのに反応したり、中野サンプラザのライブでジョンの写真を大きく映していたなんていうライブレポートの記事を音楽雑誌で立ち読みしたりして、いつか今の原田真二とちゃんと向き合わなければと思っていた。そんなタイミングで、手に取ったのが『ベスト・コレクション』だった。

佐野元春の初期代表曲が収められている『ノー・ダメージ』

もう一枚は佐野元春の『ノー・ダメージ』。店内で大々的に宣伝展開され、店内で流れていた音楽と目に入ったジャケットに惹かれた勢いでレコードを手に持っていた。佐野元春の存在は前年くらいからラジオ(自身の『サウンド・ストリート』や佐野元春の曲がよく流れていた『ミスDJリクエストパレード』)を通して認知しており、好きな曲はあったのだけどまだレコードを買ったことはなったから、ベスト盤的選曲の『ノー・ダメージ』は最初に買うにはちょうどいい内容であった。『ミスDJ』で聴いて気に入っていた「グッバイからはじめよう」が入っていたことも大きい。

このレコードの正式な発売は4月21日。その日はいわゆる店着日というやつで、それも当時としては珍しく購入を決めた。購入者特典は真ん中にロゴがフィーチャーされた緑色のクリアファイルだった。

『ノー・ダメージ』のフライヤー

家に帰り、まず『ノー・ダメージ』に針を落としたのだが、その前に驚いたのはレコードジャケットの凝った仕様である。一枚ものなのに見開きで、レコードの取り出し口が外側ではなく内側というつくりになっていて、レコードの取り出しに戸惑ったことをよく覚えている。ビートルズで言えば、『フォー・セール』のUK盤と同じなのだが、当時はまだビートルズのUK盤を集めておらず、そのことは知らなかった。あとになって『フォー・セール』UK盤を手に入れたときに「これって『ノー・ダメージ』と同じだ」と気づいた。余談になるが、最近買い直した『ノー・ダメージ』は取り出し口が外側だったことにまた驚いた。果たして内側は初回だけだったのだろうか。

『ノー・ダメージ』はデビューから3年間にリリースされたシングルを中心に初期の楽曲をまとめたものだが、厳密に云えばこれはベストではない。選曲はもちろんのこと多少の編集や曲間のつなぎなどまでこだわったコンピレーションアルバムという体裁である。14曲のポップでごきげんなロックンロールは耳馴染みよく、そこに乗るメッセージ――「ガラスのジェネレーション」の「つまらない大人にはなりたくない」に代表される歌詞が当時16歳の自分の胸に強く響いた。そして思った。これは日本のジョン・レノンではないか、と。

名曲「雨のハイウェイ」がリリース

原田真二「雨のハイウェイ」

原田真二の『ベスト・コレクション』は既知の曲の再確認という感じで聞いたのだが、あまりのクオリティの高さに新しい知覚が開いたような驚きを覚えた。美しいメロディライン、躍動するリズム感など、ビートルズを経由したことでわかった魅力というのが確実にあり、それまでヒット曲として聴いていた曲に新しい価値観が生まれた。そして思った、これは日本のポール・マッカートニーではないかと。

そのあとすぐに久しぶりの新曲「雨のハイウェイ」がリリースされた。それまでのカーリーヘアから大きくニューウェーブ路線にシフトした短髪のルックスに驚いたが、曲自体は以前同様に素晴らしく、毎日のように聞きかじった。それから間髪入れずにアルバム『Save Our Soul』が出て、これもまた名曲揃いの名盤で、すっかり原田真二に入れ込んでしまうのだった。以降、レコード屋で原田真二のレコードを見つけては手に入れるようになり、ビートルズ視点での原田真二という研究を始めるようになる。あくまでも感覚的なものだが、そこに音楽を聴く楽しみを見出していくのである。

日本人アーティストのレコードを買ったのはサザンの『ステレオ太陽族』以来だったが、たまたま同じ日に買った2人の日本人アーティストのレコードに、とても偶然とは思えない数奇なものを感じてしまった。日本のジョン・レノンと日本のポール・マッカートニー。だが、2人の音楽にはビートルズ的というわかりやすさはない。ものまねをしているわけではないから、直接的には伝わっては来ない。3年間、ビートルズだけを聞き続けたゆえ感じることができた自分だけの感覚といえるかもしれないが、これがその後の音楽観の根底にあると言っても過言ではない。

原田真二「愛して、かんからりん。」

それからしばらくして、中学時代の友達、KKくん(ビートルズ友達でわたしのギターの師匠)とKSくん(絵が抜群にうまくて存在感があるリーダー格)とバンドを結成して、オリジナル曲を作るようになるのだが、それも原田真二と佐野元春の影響があったような気がする。毎日のように3人で家に集まってはカセットに演奏を録音し、アルバムとして形にするなんて遊びを始めたのがこの年のこと。異様に楽しく盛り上がった。

ストーンズ映画鑑賞後に知った大事件

83年はビートルズの動きが静かだったせいか、原田真二と佐野元春のほかにもいろいろなアーティストに興味を持つようになり、とにかくレコードを聴きまくった。Hくんに教えてもらったレコードを貸しレコード屋で借り、それをカセットに録音して聴いていた。あまり興味がもてなかったストーンズの初期も徐々に耳が慣れてきて、好きになりかけたタイミングでローリング・ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』がロードショー公開され、平日の夕方に新宿の映画館で観た。

『スティル・ライフ』を聞き込み、気合を入れて観に行ったにもかかわらず客席はガラガラ、ほぼ貸し切り状態で、ストーンズのライブ映像を楽しんだ。とくにオープニングから「アンダー・マイ・サム」の流れが最高にカッコ良かった。これが6月28日のこと。なぜ覚えているかというと、映画を観終わって丸ノ内線の電車に乗ろうとしたら、キオスクの新聞売り場の見出しに「沖雅也自殺」と書いてあったのを鮮明に覚えているからだ。『太陽にほえろ!』『俺たちは天使だ』で見ていた、わりと親近感をもっていた役者であり、くわえて自分が今いる新宿の京王プラザからの飛び降り自殺という、驚きも手伝って身体が震えた。

映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』パンフレット

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