「死に方おしえてあげようか」福岡“殺人教師”報道の真実とは?映画『でっちあげ』が描く衝撃事件
2003年に福岡市で起こった小学校教師による生徒への“いじめ”=児童虐待事件の報道を記憶している人は多くないかもしれない。
ここでは、同事件を取材した福田ますみ氏によるルポルタージュを基に実写映画化した『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』の公開(本日6月27日より全国の劇場にて)に合わせ、本作で描かれる事件のあらましを振り返っておこう。
「穢れた血」「純粋な日本人じゃない」
平成15年当時“加害者”とされたのは、福岡市の公立小学校で教鞭を取っていた男性教師だ。彼は家庭訪問の際、“曾祖父がアメリカ人”という理由で当時9歳の生徒男児を差別的に扱い、「穢れた血が混じっている」「純粋ではない」などと暴言を浴びせ、3時間に及ぶ人種差別的演説を母親へ向けて展開。発言の一部は部屋の外にいた生徒の耳にも届き、「けがれた」の意味を辞書で調べた彼は深い傷を負う。
翌日から校内で始まったのは「10カウントの刑」と称する暴行だった。“ピノキオ”“ミッキーマウス”などと名付けられた虐待は、鼻をつまんで振り回す、耳を引っ張る、顔をこぶしで圧迫するといった内容で、教室内で毎日のように繰り返されたそうだ。また「10秒以内に片付けられなければ暴行を加える」という理不尽なルールにより、生徒は逃れようとしても不可能な状況に追い込まれていった。
そうした暴力と同時に差別的な言葉や人格否定も浴びせられ、生徒は精神的にも肉体的にも限界を迎えてしまう。ついにはPTSDを発症、自殺未遂を図り、精神科に長期入院する事態に……。母親がこの虐待について学校に繰り返し訴えたが、教師は監視の目をすり抜けて暴力を続けたという。
メディアの“殺人教師”報道の背後に潜む真実とは?
やがて福岡市教育委員会は虐待行為を認定し、全国で初となる「教師によるいじめ」として教諭に6か月の停職処分を下したが、保護者側はこれに不服を表明。精神的苦痛に対する損害賠償を求め、市と教師を相手取って民事訴訟を起こした。訴訟の先頭に立ったのは、元裁判官で子どもの人権問題に取り組んできた弁護士。彼は全国の同業者に呼びかけ、550人もの大規模弁護団を結成。社会の注目を集める中、事件は裁判所へと舞台を移す。
“正義の鉄槌”が加害教師に下されると多くの人が信じていたが、裁判が進むにつれ、報道では語られなかった真実や証言が浮かび上がり、事件の構図は単純な<加害者と被害者>の関係を超えて広がっていく。果たして本当の加害者は誰なのか? そして正義とは誰の手によって、どのように果たされるのか? メディアと世論にさらされた“殺人教師”報道の背後に潜んでいた、人間社会の根深い闇と報道の暴走、その真実とは……?
綾野剛や柴咲コウら演技派キャストに背筋ゾクッ
福田氏によるルポはコミカライズもされているが、映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』では映像作品ならではの意図的なミスリードにより観客の先入観を煽る。それはまさに事件当時のメディアの報道に煽動された世論感情を再現するかのようで、加害教師を襲う様々な矛盾や理不尽に“気付かされる”とき、体中に戦慄が走る。
たとえば映画『怪物』(2023年)で描かれた巧みな“視点”の演出と同じく、観客を揺さぶる手法として大いに有効だ。その揺さぶりを大きく担う一人が、主人公・薮下誠一を演じる綾野剛。思わず背筋がゾッとするような表情には感嘆するし、“現実世界”における頼りなさ気な存在感とのすさまじいギャップ演技だけでも本作を観る価値がある。
そして、我が子を想う母親としての顔から能面のように醒めた表情にガラリと変わる柴咲コウにも恐怖させられ、週刊誌の記者を怪しく演じた亀梨和也、歪んだ義憤のもと薮下を追い詰める弁護士役の北村一輝など、全キャストが迫真の名演を見せる。
前述のとおり本作は実際の事件が基になっているので、正直ネタバレもなにもない。監督の三池崇史も「余計な演出をできるだけ排除し、冷静に作り上げたつもり」と語っているが、これまでサスペンス~アクションの傑作を数多く生み出してきた三池監督の「これは誰にでも起こり得る“人災”」という言葉が、教育という現場だけでなく人質司法などにも繋がる深刻な社会課題として、ゾクリと背筋を伝う。
『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』6月27日(金)より全国公開中