「無難な選択は恥じゃない」岡田武史が贈るシニアエンジニアへのエール
トップアスリートの思考技術
エンジニアが抱えるさまざまな悩みに、一流アスリートが独自の視点からアドバイスを送る本連載。第1回、第2回に引き続き、元サッカー日本代表監督・岡田武史さんをゲストにお迎えしています。
今回のテーマは、経験を重ねたエンジニアが陥りやすい「モチベーションの低下や成長の停滞」について。
「現状のスキルがこの先も通用するのか不安だけど、新しい領域に踏み出す意欲も湧きづらい」
そんなエンジニアにとって、FC今治高校の学園長に就任するなど60歳を過ぎても挑戦を続ける岡田さんは、眩しく映るのではないでしょうか。
キャリアの後半戦を迎えたエンジニアは、どう戦うべきか。名将の答えは「ウェルビーイングの追求」にありました。
元サッカー日本代表監督
株式会社今治.夢スポーツ 代表取締役会長
学校法人今治明徳学園 学園長
岡田武史さん
1956年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、古河電気工業サッカー部に入団し、1980年に日本代表に選出。現役引退後はチームコーチを経験し、1997年フランスW杯アジア予選で日本代表監督に起用され、史上初の本戦出場を果たす。2007年の南アフリカW杯で再度監督に就任、日本代表をベスト16に導いた。2014年FC今治のオーナー会社である今治.夢スポーツの代表取締役に就任、2024年4月にはFC今治高校の学園長に就任。また、2019年には日本サッカー殿堂入りを果たしている
周りを気にせず、ありのままの自分で良い
ーー岡田さんは年齢を重ねても多くの挑戦をされていますが、挑戦へのモチベーションを保つ秘訣はありますか?
うーん、そういう人間だからとしか答えようがない(笑)
そもそもチャレンジするかしないかなんて、その人の勝手だからね。どちらが良い、悪いもないと思うよ。今は俺みたいに『挑戦する生き方』がもてはやされているけれど、俺にとってそれがウェルビーイングな生き方だっていうだけ。
例えば、田舎暮らしで自給自足で農業して暮らすことがあなたのありのままなら、すばらしいことじゃないか。周りと比べるなんて全く意味がないんだよ。結局自分の目的に向けて、次にどうするかだから。
人にはその人なりのウェルビーイングがある。だから、新しいことに挑戦ができなくて自分の守備範囲の中で生きていることも、それがあなたのウェルビーイングなら、そのままでいいと俺は思うけどね。
ーー岡田さんにとっては、挑戦し続けることが「ウェルビーイングな生き方」なんですね。
そう。60代になってチャレンジした「学校運営」もその一つ。
俺はずっと「社会がこれだけ変わってきているのに、教育が変わらないのはおかしい」と思い続けていたんだ。だけど、いざ理事長就任の依頼を受けたとき「形だけ就任するなら、ただの客寄せパンダじゃないか」と感じてね。
だから「本気で新しい教育をする覚悟があるなら、やってもいいですよ」と伝えた。そしたら二つ返事で「あります!」って言われちゃった。
最初は「これ、難しいからやめようかな」とも思ったけど、あれこれ計画を話しているうちに次々と人が集まって・・・・・・。いつの間にか祭りあげられていて、もう前に進むしかなかったんだよ。まぁ、俺のいつものパターンなんだけど。
ーー岡田さんと違い、一般的にはベテランになるほど「自分の欲求に素直に従うこと」は、難しくなるように感じるのですが。
そうかもしれないね。年を重ねたり、リーダーになったりすると、周りの声や評価が気になって、失敗することが恐くなるのは当然だと思うよ。
繰り返しになるけど、チャレンジするかしないかなんて、その人の勝手。良いも悪いもない。ただ、もし「自分の守備範囲を超えていきたい」「やったことない領域に手を伸ばしてみたい」と思っているなら、先々のことを心配して計算するのはやめた方がいい。
人間って、つい自分の得になる方を選びがちになるけど、そんな自分を脱すると、ありのままの自分を出せるようになるんじゃないかな。
俺だって、チャレンジしない方が平穏に暮らせただろうし、お金も今よりあったと思うけど、全く後悔はしていない。この歳になっても、俺はワクワクするのが好きだから。
ーーいざ挑戦することを決心した際に、大切にすべきことはありますか?
「淵黙雷声(へんもくらいせい)※」。
大それた目標なんて見つからなくていい、とにかく小さな一歩でもいいからなにかやってみることだね。一歩踏み出してみれば、今まで見えなかった道が3本も4本も見えてくるものだよ。
(※)深い沈黙は雷鳴よりも大きい。能書きを垂れたり議論をしたりする前に、一歩でも悟りに近づけるよう行動しなさいという、お釈迦さまの教え
「遺伝子にスイッチが入った瞬間」に、人は強くなる
ーー挑戦を続けると失敗のリスクも高まると思うのですが、岡田さんは失敗することは恐くないのでしょうか?
俺は初めて日本代表の監督を任された時「遺伝子にスイッチが入る」経験をしているからね。それ以来、大抵のことは怖いと感じなくなった。
当時の俺は監督経験が一切無くて、「岡田で本当に良いのか?」と、抗議やバッシングの声が日本中から山のように寄せられたんだ。こんなに有名になるなんて思っていなかったから、住所や電話番号も電話帳に載せていて、脅迫状や脅迫電話が止まらなかった。
ある意味、そこで一度死んだようなものだよ。
それはもう異常な精神状態だったし、「さて、何から始めようか」なんて悠長なことを言っていられる場合じゃない。逃げたくても逃がしてもらえなくて、死に物狂いだった。
明日死ぬとしたら、リスクとか保険なんて考えないでチャレンジするでしょう?(笑)
ーー想像もつかない体験です。「遺伝子にスイッチが入った」のは、具体的にどのタイミングだったのですか?
フランスW杯アジア最終予選、本戦初出場を懸けたイラン戦を前に、試合開催地のジョホールバルから妻に電話をかけた。「この試合に負けたら、俺は日本に帰れないし、お前たちもしばらくは日本に住めないだろうから覚悟してくれ」って。
そう言って電話を切った時、ふとこう思った。
「明日になっていきなり名将になれなんて、無理な話だ。俺はやれるだけのことはやった。今できることは、明日の試合で自分の力を命がけで出すことしかない。そもそも俺を監督にしたのはサッカー協会の会長なんだから、これで負けても俺のせいだけじゃないよな」
その瞬間、怖いものがなにも無くなって、完全に開き直ることができたんだ。
ちょうどその時期に、生物学者の村上和雄先生の話を聞く機会があって、「人間はみんな、氷河期や飢餓期を超えてきたご先祖様の遺伝子を持っている。でも今は安全安心便利で快適な社会にいるから、遺伝子にスイッチが入っていないんだ」って言っていたことを思い出したよ。
あの瞬間が、俺にとって「遺伝子にスイッチが入った瞬間」だった。
AI時代だからこそ、失敗を恐れないで
ーーこれまで、若手、中堅、ベテランと年代ごとに代表的な悩みの相談に乗っていただきました。最後に、エンジニア読者へメッセージをお願いします。
技術の現場で働いているエンジニアならよく分かっていると思うけれど、技術革新はもう止められない。本当に、人間の知能をAIが追い越す「シンギュラリティ」は既に起こっているのかもしれない。
AIスピーカーに「AさんとBさん、どっちと結婚したらいいと思う?」って聞けば、「Aさんと結婚したら3年以内に別れる可能性が68%、Bさんと結婚したら10年もつ可能性が80%」って答えるようになる時代が、もうすぐそこまで来ているよね。
そういったAIの解答が本当に当たる時代になったら、人間はAIに従うんだよ。車のナビが正しいって分かったら、みんなナビに従って運転するようになったのと同じように。失敗したくないから、AIに従うようになってしまう。
でもね、そりゃあ失敗しない人生もいいけど、人の幸せはそれだけじゃないはず。
失敗したところからもう一度立ち上がって成長したり、誰かと助け合って絆を築いたり、それが目に見えない資本となって価値を持つのだと思う。そのことを忘れずに、ぜひAIや技術を発展させていってください。
大丈夫。失敗しても、人はそう簡単には死なないよ。
文/宮﨑まきこ 取材・編集/今中康達(編集部)