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【グッと!地球便】アルゼンチン タンゴを踊りたいと大手企業を辞め、本場でタンゴダンサーとして生きる娘へ届ける両親の想い

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【グッと!地球便】アルゼンチン タンゴを踊りたいと大手企業を辞め、本場でタンゴダンサーとして生きる娘へ届ける両親の想い

今回の配達先は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。ここでタンゴダンサーとして奮闘する伊東茜さん(44)へ、静岡県で暮らす父・義高さん(70)、母・乃婦子さん(69)が届けたおもいとは―。

本場アルゼンチンでプロとして活動 出産を経て、再スタートを切る

7年前から本場アルゼンチンでプロのタンゴダンサーとして踊る茜さん。ダンスのパートナーは、製薬会社で働く夫のパトリシオさん(43)で、以前は2人で世界選手権に出場するなど精力的に活動していた。出産を機に仕事をやむなくセーブしたが、息子のマテオくんも5歳になり一段落。現在はダンサーとして再び活躍すべく、新たにスタートを切ったところだ。

一般的にアルゼンチンで「タンゴを踊る」といえば「サロンタンゴ」のことを指し、即興で踊るのが大きな特徴。決まった振り付けはなく、音楽を聴いた瞬間の感情を男女のペアがどのように表現するかが試されるという。茜さんも「決まったものをやるのではなく、感じたものを自分で出すという方が奥が深い。難しいけど、とても楽しい」と魅力を語る。
そんな茜さんが練習のため1人で訪れたのは、「ミロンガ」と呼ばれるタンゴ専門のダンスホール。夜10時、マテオくんをパトリシオさんに預けてミロンガにやってきた茜さんは、多くの人でひしめくフロアの脇で静かに座り、練習相手として踊る男性を探す。ペアを組むには、男性から女性に近づいていくのが暗黙のルール。声をかけるのはタブーで、アイコンタクトで交渉するのだという。茜さんもアルゼンチンに来た当初は毎晩のようにミロンガでタンゴの修業を積んだそうで、この日は深夜2時まで6人と踊った。

転機は35歳 旅行で行ったアルゼンチンで抑えきれない衝動に駆られ…

幼い頃に始めたバレエをきっかけに宝塚歌劇団に憧れ、いつしかミュージカルダンサーを夢見るようになった茜さん。だが両親に反対され、短大卒業後は地元の会社に就職する。一方で、心の片隅にはずっと「ダンサーになりたい」という熱い思いが残っていた。
転機となったのは、35歳の夏に旅行で行ったアルゼンチン。そこで本場のタンゴを目の当たりにすると抑えきれない衝動に駆られ、その年の12月にはブエノスアイレスに留学していたという。当時は東京の大手企業で働いていたが、二度と夢を諦めたくなかった茜さんは「1年だけ」と両親を説得。しかし1年の約束は、気付けばもう9年になる。

ある日の夕食後、近所で暮らす義理の母・マリアさんにマテオくんを預けた茜さんとパトリシオさんは、タンゴ専門のダンスホールへ向かった。250人のタンゴ愛好家が集まるダンスパーティーにゲストダンサーとして呼ばれたのだ。出産を経て再起を図る茜さんにとって、この舞台は名前を売る絶好のチャンス。とはいえ、お客さんは目の肥えた人ばかり。緊張で押しつぶされそうになりながらも茜さんはパトリシオさんとともにフロアに立つが、果たして…。

最初はダンサーになることに反対していたという父・義高さん、母・乃婦子さんだが、本場でタンゴに打ち込む娘の日々を知り、感慨深い様子。乃婦子さんは「頑張ってましたね。あんなに努力する姿を見るのは初めてです」、義高さんも「あんなに一生懸命やっているとは思っていなくて…ちょっとびっくりしました」と感じ入る。

タンゴに魅了されて渡ったアルゼンチンで再び本格的なスタートを切った娘へ、両親からの届け物は―

実は今、日本から訪れたタンゴ愛好家をタンゴにまつわる場所へ案内する仕事もしている茜さん。「私なりに、日本人にタンゴを広めていくための貢献ができるんじゃないかなと思って。もう愛が強いですね」。
タンゴに魅了されてアルゼンチンへ。そして出産を経て再びタンゴダンサーとして本格的なスタートを切った娘へ、両親からの届け物は茜さんが高校の頃、バレエに没頭していたときに履き潰したトウシューズ。添えられた手紙には「帰って来たら何でも言うこときくから、1年だけタンゴの留学に行かせてと、突然言って来たのは9年前。これが最後の挑戦と思って見送りました。言葉も何もわからない所で求めていたものは見つかったかどうかわからないけど、気がすむまでやりなさい」と綴られていた。そんな両親の想いを受け取り、目に涙を浮かべる茜さんは「いつも応援してくれているんだなっていうのがすごく伝わりました。気が済むまでやります」と改めてタンゴの道を突き詰めると誓うのだった。

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