<エビとヒトの関係>とは? 古代から縁起物として伝わるエビが食卓に受け入れられるまで
古来より人々を魅了してきたエビは、その神秘的な姿や不思議な習性から儀礼の中に取り込まれ、食文化の中心的存在へと変貌を遂げてきました。
本稿では、古代の神話や伝承に根ざすエビの「聖性」から、中世・江戸期の生活に根付いたエビ料理、近代以降の技術革新がもたらした国際市場への広がりを探ります。
古代に見るエビの神秘と伝説
古代の日本において、神様にお供えする食事(神饌)には、蒸したエビが使用されていました。
伊勢神宮などでは、烏賊や牡蠣と並んで蒸し海老を、その赤い色合いや旨味をもって神々に捧げられたとされます。
また文献上、海老が食された記録は733年の『出雲風土記』にまで遡ることができます。室町時代には武家の婚礼や祝い膳で伊勢海老が定番となりました。
鏡餅の上にエビや熨斗鮑を載せる「具足餅」は、武家社会における正月行事の定番です。エビの殻が武具の鎧を連想させ、その曲線が長寿を象徴すると考えられたそうです。
中世・江戸時代に広がるエビの食卓
戦国時代にはポルトガル人宣教師が断食期間中に肉を避けるためエビを衣揚げした「テンペーロ」が日本に伝来し、後の天ぷら文化の礎となりました。
他にも、日本に来たイエズス会の宣教師が四季の祈りと断食を行う期間「カトュール・テンポラ」で、肉食を避けるため食べた、エビに衣をつけて揚げる料理に「てんぷら」という名前の由来があるという説もあります。
さらに戦国武将たちは、鎧を想起させる硬い甲殻と、茹でると鮮やかに紅色へ変わる神秘性を好み、勝鬨の宴や婚儀の席で伊勢海老を振る舞ったと伝わっています 。
江戸時代に入ると、天明年間(1781~89年)ごろから屋台での天ぷら店が登場し、魚肉やエビを小麦粉衣で揚げたものが庶民の間で大人気に。
また、冷蔵技術のない時代には「乾物」としての干し海老が重要な保存食でした。煮干しと同様に塩や火を通して脱水・乾燥させることで長期保存が可能となり、各地で漁村の保存食や旅の携行食として用いられたのです。
さらに江戸前寿司の代表的なネタとしてクルマエビが握られ、江戸の屋台や寿司店で親しまれるようになりました。
近代から現代へ、技術革新とグローバル展開
産業革命以降の製氷・冷凍技術の発達は、エビの国際流通を飛躍的に拡大させました。
第一次世界大戦期にはアメリカ・ルイジアナ州における製氷工場の普及が、水揚げされたエビを遠隔地へ輸送可能にさせたのです。
1960年には日米安保条約が改定、調印され、1961年にエビの輸入が自由化されます。
1960年の頃、日本人が食べていたエビの98%は国内産でしたが、1961年にはエビを4000トン以上輸入する「エビ輸入国」へ変化しました。
また、ベトナムの生春巻きやフォーに用いられるエビ、アメリカのカクテルシュリンプといった伝統料理が現地で進化し、さらに現代シェフによる創作メニューが次々と生まれているのです。
近年では、1950年代にアメリカ・ニューオーリンズにある飲食店“Pascal’s Manale”で生まれたニューオリンズ風BBQシュリンプが世界的に人気です。
未来への展望:サステイナブルなエビ産業と食の可能性
持続可能性を重視する潮流の中、モントレーベイ水族館の「Seafood Watch」は、エビを含むさまざまな水産業へ対して、環境への負荷を低減する養殖技術や認証制度の普及に注力しています。
シンガポール発の細胞農業ベンチャー「Shiok Meats」は、幹細胞からクリーンなエビ肉を培養し、動物資源への依存を削減する技術開発を推進中です。
これらの革新的技術と取り組みは、食の安全性・倫理性を高めるだけでなく、将来の飽和市場で安定供給を実現しつつ、新たなエビ料理のパラダイムを切り拓く可能性を秘めています。
以上、古代から未来に至るエビの食文化を辿ることで、その神聖性、技術革新、市場拡大、そしてサステイナブルな未来へのビジョンを紹介しました。エビは今後も、人類の食卓を彩り続けることでしょう。
(サカナトライター:華盛頼)
参考文献
エビ消費大国「日本のエビ食文化」-ふるさと産直村
The History of 海老-TBS
イヴェット・フロリオ・レーン、龍和子(2020)、エビの歴史、原書房