美しく、優しく、潔く。光源氏と女君たちが誘う奥深き『源氏物語』の世界【趣味どきっ!】
『源氏物語(げんじものがたり)』は54帖からなる長編小説で、日本の古典文学の中でも最も有名な作品の一つです。作者は紫式部(むらさきしきぶ)、主人公は光源氏(ひかるげんじ)くらいは知っていても、内容まではよくわからない……という方も多いのではないでしょうか。
『趣味どきっ! 源氏物語の女君たち』(講師:藤井由紀子・清泉女子大学教授)から、光源氏と、光源氏が愛した個性豊かな8人の女君(おんなぎみ)についてご紹介します。
スーパースター・光源氏の素顔
平安時代に紫式部が書いた『源氏物語』の主人公・光源氏は、容姿端麗、学問や舞楽に秀で、そして数多くの女君たちと華やかな関係を結んだ元祖プレイボーイです。一時は失脚の危機に陥りますが、最終的には天皇に並ぶ地位にまで出世する、まさにスーパースター的存在の光源氏。そんな彼の素顔に迫ります。
光源氏はニックネーム
『源氏物語』の主人公、光源氏は、本名ではありません。名字である氏は「源(みなもと)」と明記されていますが、下の名前は全く記されていません。「光」という呼び名が登場するのは「桐壺(きりつぼ)」の巻で、光源氏が10歳くらいのころです。
「〜世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌(かたち)にも、なほにほはしさはたとへむ方(かた)なく、うつくしげなるを、世の人、光る君と聞こゆ。〜」(世間の評判も高い東宮(とうぐう)〈次期天皇〉の顔立ちに比べても、源氏の君の艶やかな美しさはたとえようもないので、世の中の人々は「光る君」と呼んだ)ということです。
占いで将来が決まった
光源氏はあまり身分の高くない母・桐壺更衣(きりつぼのこうい)と桐壺帝(きりつぼてい)の間に生まれました。3歳で母を亡くしたものの、美しく成長した光源氏は、学芸にも才能を発揮します。このままいけば、次期東宮の可能性もなくはなかったのですが、父帝はその道は選びませんでした。
それには理由がありました。ちょうどそのころ、高麗人(こまうど)の人相見(にんそうみ)が来朝していたので、桐壺帝は光源氏の素性を隠して将来を占わせたのです。
「帝王という最高の位にのぼる相もあるが、そういう方として見ると、世が乱れて民が苦しむことがあるかもしれない。かといって、大臣や摂政・関白など政治を補佐する方かと思うと、そういう相でもないようです」と、人相見は何度も首をかしげて不思議がります。これを聞いた帝は、「若宮(光源氏)を後見(うしろみ)<後ろ盾だて>もない頼りない生涯を送らせるようなことはしたくない。自分の治世もいつまで続くかわからないのだから」と、光源氏を皇位継承権のない臣籍(しんせき)に降下させることにしました。母、祖父、祖母とも亡くなっているので、後見をしてくれる人はなく、光源氏の肉親といえるのは、帝ただ1人。さらに知性を磨くために、ますます政道に役立つさまざまな分野の学問を習わせるのでした。
スピード出世を果たす
臣下に落とされたため、「源」姓を名乗ることになった光源氏ですが、左大臣家の婿になったことで、順調に出世していきます。物語中では、そのときの位階によって、光源氏の呼び方が「中将(ちゅうじょう)」「大将(たいしょう)」「大納言(だいなごん)」というように変化していきます。
桐壺帝の後押しがあったせいか、17歳のときにはすでに近衛(このえ)中将(従四位下)になっています。その後は、「宰相(さいしょう)中将」→「近衛大将(このえたいしょう)<従三位>」→「権大納言(ごんだいなごん)<正三位>」→「内大臣(ないだいじん)<従二位>」→「太政大臣(だじょうだいじん)<従一位>」となり、最後は臣下の域を超えた「准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)<譲位した天皇と同じ待遇>」となります。
須磨(すま)に退去する前に、いっさいの官位を剝奪されたという説もありますが、明石(あかし)から戻ると、すぐに「権大納言」に返り咲きます。こうした異例のスピード出世は、光源氏の実力だけでなく、秘密の子・冷泉帝(れいぜいてい)の力によるものでしょう。
相手を思いやる優しさがある
容姿端麗で、学問や舞楽にも秀でた光源氏は、多くの女性たちと浮名を流すプレイボーイというイメージがあります。物語でも既婚、未婚、年齢に関係なく、自分の心のままに女性たちと付き合っています。ただ、女性たちとの関係は、楽しいだけでなく、苦悩も多く、つらい別れもあります。その度に、光源氏は心から悲しみ、涙を流します。
7歳年上の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)とは、期待に添うことができず、別れてしまいました。その後、再会した際、彼女は一人娘の将来を光源氏に託して亡くなります。光源氏はその遺言を忘れず、娘を養女にして東宮に入内(じゅだい)させるのです。
末摘花(すえつむはな)や花散里(はなちるさと)のように、一度でも関わりを持った女性に対しては、ほとんどその場限りで別れることはありません。行く末を見届け、必要に応じて生涯面倒をみるなど、責任感の強い一面もあります。
個性も、生き方も、それぞれ違う
光源氏が愛した8人の女君たち
藤壺の宮(ふじつぼのみや)
芯の強いクールな女性
光源氏の父・桐壺帝のもとへ入内してきた若き藤壺の宮。亡き母の面影を求めていた光源氏に恋い慕われ、ついには密通して、光源氏の子を懐妊(かいにん)してしまいます。強く賢い藤壺の宮は、我が子の将来のために、世間には帝の子として通し、なおも言い寄る光源氏をかたくなに拒絶し続けます。
紫の上(むらさきのうえ)
一途で愛らしい少女から耐える大人の女性に
わずか10歳のとき、ひょんなことから光源氏に見初められたことで、紫の上の運命は大きく変わります。光源氏は憧れの人・藤壺の宮に面影が似ているため、成長を見守りたいと思い、紫の上を引き取りました。少女は大事に育てられ、美しく成長します。やがて、紫の上は光源氏にとってなくてはならない人となり、生涯をともに過ごします。紫の上も30歳を超えたころ。この間、光源氏は相変わらずほかの女性のもとへ通っていましたが、葵の上亡きあとは、紫の上が第一の女性であることは動きませんでした。安心し、信頼していた紫の上に降りかかった、思いがけない裏切り。光源氏が正妻を迎えたことで、紫の上の心は微妙に変化していきます。
葵の上(あおいのうえ)
素直になれないお姫様
多くの女性と関わりを持った光源氏ですが、正式に結婚し、明確に正妻と呼ばれたのは2人だけ。その最初の妻が葵の上で、光源氏より4歳年上の高貴な女性です。10年目にして皇子を出産するものの、もののけにとりつかれ、命を落としてしまいます。ようやく、光源氏と心が通い合った矢先のことでした。
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
ハイクラスな貴婦人
光源氏の父・桐壺帝の弟の妃だった六条御息所は、大臣の娘に生まれ、夫が夭逝(ようせつ)しなければ、ゆくゆくは皇后(こうごう)になれたかもしれない人。高い教養とプライドをもった女性なのですが、光源氏と出会ったことで、生霊(いきりょう)にまで身を落とすことに。それは六条御息所の本心ではないのですが、繊細な彼女は、そこまで追い詰められてしまうのです。この六条御息所の出現によって、物語はぐっと深みを増しました。
朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)
恋心に流される
桐壺帝の中宮・弘徽殿女御(こきでんのにょうご)の妹。宮中で桜の宴が催された夜、東宮(のちの朱雀帝・すざくてい)に入内予定があったのにもかかわらず、宴に来ていた光源氏と出会って一夜を過ごし、その後も幾度となく逢瀬を重ねます。やがて密会が明るみになり、光源氏は自ら須磨へ。朧月夜の君は、朱雀帝の尚侍(ないしのかみ)として入内し、寵愛を受けます。ところが、朱雀帝が退位後出家すると光源氏は再び朧月夜のもとを訪れ、誘惑に負けた朧月夜の君は再び光源氏との関係を続けてしまうのです。
朝顔の君(あさがおのきみ)
意志の強い賢女
光源氏は多くの女性に求愛し、口説き落としますが、拒絶し続けた女性もいます。その代表が朝顔の君です。彼女は光源氏とはいとこ同士で、朝顔の君の父・式部卿宮(しきぶきょうのみや)は桐壺帝の弟に当たります。光源氏は17歳ごろから、朝顔の君に恋心を訴えてきたのです。しかし、朝顔の君は光源氏にはひかれるものの、求愛には応じません。自分を律し、男性に頼らずに生きようと思う凜(りん)とした女性でした。
明石の君(あかしのきみ)
控えめで我慢強い
娘・明石の君の幸せを願う父親の尽力で、明石の地に来た光源氏と結ばれ、懐妊します。光源氏は京へ帰ってしまい、明石で姫君を出産。その後、娘の将来を思い母娘で京へ上ったものの、姫君だけ光源氏に引き取られていきます。悲しい別れがありましたが、やがて姫君は中宮に。明石の君もそばに仕え、娘の幸せを見守り続けます。
女三の宮(おんなさんのみや)
男君に翻弄される帝の娘
40歳の光源氏に14歳で嫁いできた女三の宮は、光源氏の2番目の正妻となった女性です。父親が娘の行く末を案じて、光源氏に託したのですが、この結婚によって、彼女は人生の荒波にもまれることになります。柏木(かしわぎ)との不義の子を宿し、出家の道を選ぶしかなかった女三の宮は、身勝手な男性たちに振りまわされるのでした。
講師:藤井由紀子(ふじい・ゆきこ)
清泉女子大学文学部教授。専門は、日本中古文学、物語文学。中学生のころ『源氏物語』のおもしろさに目覚め、以来、国文学者を夢見て学生時代を過ごす。現職についてからは、『源氏物語』をはじめとする平安時代から室町時代の物語文学を研究している。著書に、『兵部卿物語全釈』(「注釈」「評」「解説」を担当)・『異貌の『源氏物語』』(ともに武蔵野書院)がある。
■『NHK趣味どきっ! 源氏物語の女君たち』
■イラスト 浅生ハルミン