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所属グループからハブ、取り合い、無自覚に人を怒らせて…生きづらかったあの頃をやり直したい。ASD私の高校時代

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所属グループからハブ、取り合い、無自覚に人を怒らせて…生きづらかったあの頃をやり直したい。ASD私の高校時代

監修:鈴木直光

筑波こどものこころクリニック院長

どのグループにもイマイチなじめなかった高校時代

私は当時、イケイケのギャルで構成されたグループに憧れを抱きつつも、そちらにはどうしても属せませんでした。学校での成績は学年トップクラスの優等生キャラ、しかも家の生活上の縛りが厳しいというか……、私が「不良」になんかなったら、当時から不安定だった母がどれほどの大騒ぎをするかと思うと、「不良になれなかった」のです。

そんなわけで、おとなしい優等生で構成されたグループに属していましたが、私はそこでもちょっと浮いていました。グループの皆は決して目立った言動はせず、いつもおっとりしていて静か。一方で私は極端な性格。先生に口論はふっかける、グループの中で唯一スカートを超ミニにしたりして制服を着崩す、ギャル風に肌を焼く、高いテンションでゲラゲラ笑ったりおどけたりする。自分はこのグループでも何か異質だ、でもかといってほかに行けるところもない、という不安が常に心のどこかにありました。

優等生グループからハブにされてキレた

ある日、その優等生グループの皆が、休みの日にこっそり私だけ抜きにして遊びに出かけていたことが発覚。私はその一件で、自分が実はグループの皆からかなり敬遠されていたことに初めて気づき、大きなショックを受けました。

私はそこでキレて「私に文句があるならはっきり言えばいいのに、こそこそ私抜きで約束して出かけるなんて! なんて不誠実なの!」みたいに怒ったと思います。いま思えばこれは一種の癇癪ですね……。

当時は理解していませんでしたが、彼女らは普段の学校内で私に冷たくすることも、排除しようとすることもしなかったわけです。おそらく彼女らは、よくよく考えて相談した結果「宇樹に何か苦言を呈しても過剰反応して手に負えなくなるだけで事態の改善は見込めなさそうだ。普段の友だち関係が破綻するだろう。かといって一緒に遊びに行くのも疲れるよね……」ということになって、苦肉の策をとったのだと思います。

あれは彼女らなりの最大限の優しさと視野の広い熟慮による、バランスのとれた行動だったはずなのですが、私はそれに対して激怒してしまった。今は本当に彼女らに申し訳なかったと思っていますし、その一件を経ても私をグループから追い出さずにつきあいつづけてくれた彼女らにはとても感謝しています。

取り合いにも気づかない。人間関係の機微に疎かった

グループからは敬遠される一方で、2人のクラスメートが宇樹の取り合いをしていた、という一件もありました。

なんだか変だなと思っていたのです。普段あまり感情を荒立てることのない、冷静な理系の優等生の子2人が、私の前でなんだかムキになって言い合いをすることが多くて。何?? と思っていたある日、別の子から「なんで気づかないの? あの2人、宇樹のこと取り合いしてるんだよ」とイライラした口調で言われ、アゴが外れるかと思うほどびっくりしました。

聞くに、私を取り合いしていた2人は、「優等生だけど、まじめで無難な枠から外れられないし、文系的なセンスも特にない」ことにフラストレーションを感じていたらしい。宇樹は、理系分野のことにも強い関心があり、彼女らと難しい話もできる。かつ型にはまらずエキセントリックで、校内誌に文章を投稿してファンがついたり、作文コンテストで賞を取ったりするなど、文芸のセンスもある……そういうわけで、私に憧れみたいなものを感じて、2人でどっちが私の関心を引けるか競っていたようなのです……。

今となってはまあ、彼女らの立場になって考えればそんなこともあるかもなとも思うのですが、ともかくびっくりしました。

なにせ、人間関係の機微に疎い。他者が相手に向ける感情に、良きにつけ悪きにつけ気づかない。優等生グループの皆から敬遠されていたのにも気づかなかったように、憧れを向けられて取り合いされていたのにも気づかなかったのですね。

1対1の関係でも不器用さを発揮

1対1の関係となると、やたらとどっぷり仲良くなる子がたまにいたのですが、いま思えばどの子も、多少なり生き方の不器用さみたいなものを抱えていて、共依存的な関係性になっていたと思います。

一方で、ごくたまに、というか、小学校から大学まで考えて1人しかいないのですが、いわゆる陽キャで、笑いのセンスが素晴らしく、成績もよくてバランスのとれた子と、お互いに「大好き!」となることもありました。授業中に面白いボケを書いたメモを渡し合って、必死に震えながら笑いをこらえたりして、楽しかったなあ。

いま思えば、この子は私の能力も性格も含め、私の良いところに惚れ込んでくれて、私のバランスの悪さも丸ごと許せるぐらいに好きになってくれたのだと思います。私は私で彼女に惚れ込んでいました。

折り合いが悪いグループへの間違った接し方

クラスに、いつも私には笑いどころのわからない内輪ノリでものすごく盛り上がり、大きな声でゲラゲラ笑ったり騒いだりしているグループがいました。

私には当時自覚はなかったものの聴覚過敏があったので、頭にガンガン響いて不快で耐えられず、「何が面白いのかわかんない。うるさいんだけど。ちょっと静かにしてくれる?」と繰り返し言い放っていました。

私にとっては事実を言っただけでしたが、こうした言い方が一般的には悪意のある攻撃ととられることがほとんどであることを、当時の私は知りませんでした。

大学に進んである留学プログラムに参加したとき、本当にたまたまなのですが、上記のグループのサブボスだった子が別の学部から参加していました。そしてなんと彼女は、2週間の共同生活中ずっと、ほかの彼女のゼミ仲間(当然、私と彼女の間のことには無関係)を巻き込んで執拗な嫌がらせをしてきたのです。

私にとってはまったく意味がわからず、理不尽きわまりないこと。お決まりの理詰めの大喧嘩で応酬したのですが、あまりの動揺と怒りに動悸がしてゼイゼイ息切れがしてきて、私の味方をしてくれたメンバーに背中をさすってもらったりしたのを覚えています。

30歳を過ぎてASD(自閉スペクトラム症)の診断を受け、高校時代の自分の言動の何が間違っていたのかを知って理解しました。あの嫌がらせは、私が彼女にした「嫌がらせ」への「仕返し」だったのだと……。

振り返って反省ばかり

今の知識経験、自分や他者への理解度を持った状態で、高校時代をやり直したいと思うことがあります。

当時の私にとっては、世界も他者もみんな敵で、世の中というのは自分の居場所のない冷たい場所でした。でも、30歳を過ぎてASD(自閉スペクトラム症)の診断を受け、ASD(自閉スペクトラム症)や定型発達について必死に学びつつ、トラウマ治療も受けてきた今になっては、当時の私の考え方はあまりに極端だったと思います。

クラスメートにはたくさん嫌な思いをさせてしまったと思うし、自分も不必要な傷を負いました。でも、時代も時代だったし、仕方なかったかな。そう思うと少し気が楽ではありますが、ある意味、余計に悲しかったりします。

今は友人に恵まれている

今は、数は少ないものの、深く理解しあい、互いに高めあえる友人に恵まれています。やはりこの実現に最も大きく寄与したのはASD(自閉スペクトラム症)の診断で、次につらい環境からの脱出とトラウマ治療です。

さらにここ1年ほどは言語学や発達心理学を学んだことで、定型発達の人のコミュニケーションのしかたについても深く網羅的に学ぶことができ、定型発達の人たちとも広く浅く、楽しくつきあえる場面も増えてきました。

よい友人関係を作り、維持するには、何よりも自己理解、そして仕上げとして他者理解が不可欠だと感じます。長い道のりでしたが、これは歩むに値する道だったと、今は思っています。

文/宇樹義子

(監修・鈴木先生より)

特に成績が優秀な高機能のASDの方は人間関係や感覚過敏で悩むことが多いようです。テストの成績が良いため、何か問題があっても見過ごされてしまうことも多く、周囲からは何ら病的には感じられていないのです。

私のクリニックでは社会人になって初めて神経発達症を疑って相談してくるケースが増えています。SNSなどを見て自分でそうではないかと疑って来院してきます。親御さんも同じASD系統のこともあるため、今まで誰にも相談してこなかったり、その後精神科で相談しても成績が良くて大学を出ているから問題ないと言われたりといった「大人になってしまったASD」の患者さんたちなのです。その裏には実はADHDもあり、受診することでようやく治療にこぎつけられています。

小児科に通っている時期に早期介入していればその後の人生が少しは良くなったのかもしれません。ただ、小児科も神経発達症専門でなければ気づかれないことも多いのです。高校生になるとどこに相談したらいいかもわからなくなります。日本では思春期外来という看板はほぼ見当たりません。

人生のどこかで気づき、診断されることで初めて過去のさまざまな問題が自分の中で解決できればいいのではないでしょうか。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。

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