論破することはそれほど大事なことではないのでは?
ネット上では相手を言葉でやりこめる“論破王”と呼ばれる人たちが跋扈している。7月16日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、「口の立つやつが勝つってことでいいのか」という本の著者で文学紹介者の頭木弘樹に“論破”について語ってもらった。
大竹「巷では“論破王”とか言って評価していることをどう思いますか?」
頭木「逆にそういう風潮の中で、それだけじゃすくい取れていない部分がたくさんあるってこともみんな感じ始めているんじゃないですか」
小島「そうですよね。相手をやりこめて“論破王”と呼ばれている人たちが本当に論破をしているとは私は思わないですけど、論破をしているかのように見える振る舞いをしている人たち、あるいは論破をしていると評される人たちは相手をぐっと黙らせたり、相手がたじろいだりするような話の展開をするのは得意かもしれません。でも、ぐっと詰まって言葉を失うとか、たじろいでしまうとか、動揺してしまうって、とっても人間らしい、まさに言葉にならないたくさんのものを表現している反応ですよね」
頭木「本当にそう思います。言いよどむとか、言い直すとか、うまく言えませんっていうのは、そこにどれほどのものがあるのかっていうのは感じなきゃいけないと思うんですよね」
大竹「怒りとは関係あります?」
頭木「やっぱり言葉にならないモヤモヤがずっと溜まりすぎると怒りだったり、あるいは自己嫌悪に陥ったりすることもあると思うので、言葉にすることも大事だとは思うんです。理路整然と喋ることにも勿論価値はあると思うんですけど、それだけではないものがあるっていうことにも目を向けて、言葉にならないものをなるべく言葉にしながら、それでもまだできないものが残り続けるっていうことなんだと思います」