リリースから45年経っても色あせることのない、松本隆作詞、林哲司作・編曲による〝セプテンバー・ソング〟の決定版 竹内まりや「SEPTEMBER」
早稲田大学が創立100周年を迎えた1981年、僕は新たな大学生活を始めるため東京暮らしをスタートさせた。大学での授業も、それまでいた大学の学部とはまったく違う、文化人類学、ギリシャ神話、演劇、映画、音楽などの授業を選択し、体育の授業では馬術を選んだ。いずれも抽選科目だったが、運をすべて使いきったのではないかと思えるほど、すべての抽選に当選した。演劇、音楽などは他校の学生も潜り込むほどの人気授業だった。創立100周年を記念して大隈講堂で開催された、早稲田出身の松本幸四郎(現・白鸚)、中村吉右衛門らによる歌舞伎『勧進帳』や、森繁久彌主演のミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』観劇の抽選にも当選し、貴重な体験をした。
プライベートでも、ミニ・シアターや並木座、文芸坐といった名画座に通い、小劇場系の舞台にもいそいそと出かけ、東京ならではの学生生活を満喫していたと言えるだろう。アパートの近くの名曲喫茶には、週一回は顔を出していた。当時はカフェではなく、今で言うところの純喫茶が学生街のいたるところにあり、授業をさぼっている学生で席はうまっていた。僕も日に何度もいきつけの喫茶店で年下の同級生ら(2度目の大学なので、同級生はおろか先輩たちもすべて年下だった)と、遊びや飲み会の相談をし、たまには映画論、文学論などをぶつけあったりもした。
そして、東京暮らしを始めて、最初に観たコンサートが埼玉県の森林公園で開催された野外での竹内まりやのコンサートだった。以前、大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」の回でも登場した先輩(学部もサークルも直接のつながりはなかったが、同じクラスの友人が先輩と同じ音楽サークルに入っていたのが縁で、親しくしてもらっていた)に誘われて出かけたのだ。確か、無料コンサートではなかったかと記憶しているが、無料だけが理由ではなく、デビュー以来、竹内まりやの声が大好きだったので、初めて生でその声を聴けることが、これも東京暮らしの特典かと嬉しかった。先輩のお母さんが弁当にと作ってくれた、チーズとおかかのおむすびの味とともに、そのときの情景は今でも鮮やかだ。それ以来、学園祭や、ラジオ番組の公開録音コンサートなどの、僕と同学年の竹内まりやを追っかけた。
竹内まりやと言えば、現在につながる日本の音楽シーンの中で、中島みゆきや松任谷由実と並び語り継がれる音楽の才能とセンスの持ち主だが、デビューした頃は、その容姿からアイドルのような扱いをされていたような景色が浮かぶ。昨年デビュー45周年を迎えた竹内まりやは、プロの歌手を目指していたわけではなかったが、大学のバンドサークルでバックコーラスのアルバイトを経て、プロへの誘いを受け、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」と、アルバム『BEGINNING』の同時リリースで音楽界デビューを果たした。まだ、東京に来る前、音楽通の友だちから聴かされたファースト・アルバムから流れる、竹内まりやの唯一無二の気持ちのいいアルトの声に、僕の中の音楽の部分が揺さぶられた。しいて、同じタイプの声をあげるとしたら、カーペンターズのカレンの声に似ているだろうか。
当時は、自身で作詞・作曲を本格的には手がけてなく、アルバムは加藤和彦、安井かずみ、竜真知子、林哲司、大貫妙子、細野晴臣、山下達郎などの作家陣を迎えた、ほとんどが提供曲で構成されていた。シングル「戻っておいで・私の時間」の作詞は安井かずみが、作曲は加藤和彦が手がけている。伊勢丹のテレビCMのテーマソングだった。
79年2月25日には2枚目のシングル「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」がリリースされた。この曲もまた、キリンレモンのCMソングというタイアップ曲で、作詞を竜真知子、作曲を加藤和彦、編曲を瀬尾一三が手がけたイントロが印象的な爽快感を感じさせ、オリコン・シングルチャート最高位が30位だったが、トップ100位圏内に半年近くチャート・インしていた。
そして、79年8月21日、3枚目のシングルとして「SEPTEMBER」がリリースされた。作詞は松本隆、作・編曲は林哲司が手がけた。ツインギターのイントロから引き込まれた。コーラスの使い方もすてきで、女性パートをEPOが、男性パートをプロデュースも手がけた宮田茂樹が受け持った。透明感のあるストリングスの響きや木管楽器の柔らかな音色など、すべての楽器が竹内まりやの歌声を魅力的にするためにアレンジされている。大学のサークルの伊豆諸島・新島での夏合宿の納会で、同期の男4人で、コーラス部分も含めてアカペラで「SEPTEMBER」を歌ったことが思い出される。
歌詞はいきなり〝辛子色のシャツ〟から始まる。松本隆の作品には、〝春色の汽車〟〝映画色の街〟〝常夏色の夢〟〝ピンクのモーツァルト〟〝瑠璃色の地球〟など、色の表現でイメージを膨らませるセンスが際立つ楽曲が多い。「SEPTEMBER」でも、3人の登場人物のキャラクター像を僕に描かせてくれた。
彼が着ている辛子色のシャツはコーディネートが難しそうだが、Leeのホワイトジーンズ、あるいはオフホワイトかベージュの細い畝のコーデュロイパンツあたりを合わせて靴はクラークスのデザートブーツといった感じだろうか。冬になると、彼はグローバーオールのダッフルコートを着る、そんな育ちの良さがうかがえるセンスの大学生像が浮かんだ。
彼が会う約束をしている年上の女性は、レモンイエローのような淡いパステル系のカシミアのカーディガンの袖を通さずにすてきに肩に羽織っている、わたせせいぞうの『ハートカクテル』に描かれているような大人の香りのする、やはりセンスのいい女性だろうか。
そして、主人公の女の子が、二度と着ることはないという夏に着ていたトリコロールの海辺の服は、ボートネックのボーダーのカットソーで、サブリナパンツが似合う娘だろう。映画『パリの恋人』でオードリー・ヘプバーンが着ていたハーフコートも似合いそうだ。それに、主人公と彼の、“dictionary”を貸し借りする関係も、さよならを迎えてしまうがすてきに思える。3人には、東京・港区青山生まれの松本隆が多感な青春の日々を過ごしたであろう街の、風の匂いがする。「SEPTEMBER」を聴くと、僕は、今でも外苑の銀杏並木から絵画館界隈や、楡家の通りから根津美術館界隈を散歩したくなってくる。
オリコン・シングルチャート最高位は39位だが、「SEPTEMBER」はトップ100位圏内に、やはり半年近くチャート・インするロングセラーとなり、79年の日本レコード大賞新人賞を受賞し、イタリアのサンレモ音楽祭にも出場した。最優秀新人賞は桑江知子の「私のハートはストップモーション」だった。ジュディ・オングが「魅せられて」で大賞を受賞した年である。B面の「涙のワンサイデッド・ラヴ」は、まりや自身が作詞・作曲を手がけ、後に公私ともにパートナーとなる山下達郎が編曲を担当した。コーラスにも山下達郎は吉田美奈子と共に参加している。
竹内まりやの曲がオリコン・シングルチャートでベストテン内に初めてランク・インするのは、80年2月5日にリリースされた、安井かずみ作詞、加藤和彦作曲の資生堂80年春のキャンペーンソングとなった「不思議なピーチパイ」で、最高位3位まで売り上げが伸び大ヒットとなった。TBS系列の「ザ・ベストテン」でも3位までランク・アップし、この時期、テレビの歌番組にも積極的に出演していた。「SEPTEMBER」、「不思議なピーチパイ」も収録された3枚目のオリジナルアルバム『LOVE SONGS』も3月5日にリリースされ、オリコン・アルバムチャートで1位を獲得した。僕は、ラジオの音楽番組の懸賞に当選し、このLPレコードを獲得し、何度も繰り返し聴いていた。その中で、松本隆作詞、林哲司作・編曲の「象牙海岸」が好きだった。
その後、のどを痛めるほどの過密な芸能活動に、その方向性にも疑問を感じ始め、82年、山下達郎との結婚を機に、メディアへの露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家、作曲家としての活動を開始した。すると、多くのオファーが飛び込んできて、さまざまな歌手へ100曲近く楽曲提供し、多くのヒット曲を生み出した。アン・ルイス「リンダ」、河合奈保子「けんかをやめて」、薬師丸ひろ子「元気を出して」、岡田有希子「ファースト・デイト」、中森明菜「駅」、中山美穂「色・ホワイトブレンド」、広末涼子「MajiでKoiする5秒前」などは、自身でもセルフカバーしている。
さらに、「もう一度」、「恋の嵐」、「シングル・アゲイン」、「告白」、「マンハッタン・キス」、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」、「純愛ラプソディ」(竹内まりやシングル売上最大のヒット曲)、「カムフラージュ」、「いのちの歌」(作曲は村松崇継)、「人生の扉」など、人間存在の肯定感を歌い続け幅広い世代から支持されるミュージシャンとして、現在も、竹内まりやのペースで活動を続けている。聴く人それぞれによって〝マイ・ベストまりや〟が異なるほど、数多くの曲が人々に浸透している。85年に、自身で作詞・作曲を手がけ、編曲とプロデュースに山下達郎を迎えた「PLASTIC LOVE」は、近年のシティポップブームのきっかけとなったとも言われており、今、若い世代からも新たな脚光を浴びている。
10月23日には、10年ぶりとなるオリジナルアルバム『Precious Days』がリリースされる。〝ヒーカップ唱法〟と呼ばれる、ファルセットの手前まで声を裏返すようなアメリカンポップスの正統的な歌唱で、歌にニュアンスという表情を描き出す竹内まりや。年齢や季節、そのときの心模様によって、心に浮かぶ竹内まりやの楽曲は違ってくるが、秋の風をやっと感じられるようになったこの季節、今の年齢になっても僕の一番聴きたい曲は、20代の頃と変わることなく「SEPTEMBER」だ。
文=渋村 徹 イラスト:山﨑杉夫