深夜に立ち寄りたい、京都・元田中の「深夜喫茶しんしんしん」
叡山電鉄元田中駅から徒歩20分のところにある雑居ビル。細い階段を2階に上がるとひっそりと営業する「深夜喫茶しんしんしん」がある。京都大学出身の店主・西條豪さんが営むのは、いくつもの間接照明によってつくられるムーディーな空間で音楽と本、コーヒー、スイーツが楽しめる喫茶店だ。今回は、お客さんが集まる営業時間を避け、オープン前のお店にお邪魔してみた。
―最初にお店オープンの経緯からお伺いしてもよいですか。
西條さん:2020年3月にオープンしました。当時、大学5年生で就職する見込みがなかったので、自分がやりたいこと、できることをやってみようと喫茶店をはじめました。喫茶店が元々好きだったので、それだったら自分にもできるかなと。当時23歳でした。
―その時は、どういう条件でお店の場所や物件を探されていたんですか。
西條さん:夜に開いている喫茶店をやりたいと思っていたんです。それは大学生の時に昼夜逆転の生活を過ごすなかで夜の居場所がなかったり、夜に喫茶店に行こうと思ったら閉まっていることも多かったので、そんな場所をつくりたいと思いました。喫茶店って一人でもいられるし、ふらっと行けるし、何もしなくてもいい場所。だからまず夜に開けられることが条件で、深夜でも営業できる物件と場所を選びました。本当はもうちょっと街中でやろうかなと思っていたんですけど、たまたまこの物件が見つかって。近くには、京都大学と京都芸術大学があって夜開いているお店も他にはなく、若い方たちが夜営業に来てくれるので、結果的によかったなと思っています。
―この辺りのお店は閉まるのが早いんですね。
西條さん:そうですね。昔は飲み屋街があったみたいですけど、飲酒運転の取り締まりが厳しくなってからは街の営業時間が全体的に早まりました。
―そうなのですね。ご自身の「夜に立ち寄れる喫茶店がほしかった」という思いもお店を作られる大きな理由だったんでしょうね。現在の営業時間は、20時から27時ですよね。西條さん:開店当初は、夕暮れ時から夜明け前まで時間を決めずに営業していたんですが、スタッフにお店を任せるようになってからは営業時間を固定しました(笑)
好きな曲名に由来する「しんしんしん」
―ちなみに「しんしんしん」という店名は、はっぴいえんどの曲名が由来とお聞きしたのですが、どんな思いでつけられたんですか。
西條さん:はっぴいえんどは、音楽や60年代・70年代のカルチャーを好きになるきっかけだったのですごく大切にしているバンドなんです。そのなかで「しんしんしん」という曲は、雪が降っている静かな雰囲気があって。曲で歌われる街の様子と夜に営業するひっそりとした喫茶店のイメージに合うかなと思いました。あと、やるせなさとか、もどかしさみたいなものが含まれている曲でもあります。「都市に積る雪なんか 汚れて当たり前 という そんな馬鹿な 誰が汚した」っていう歌詞があるんですが、ここでいう雪が汚れというのは、何か純粋なものが失われているような気がして。曲を聴いた時はすごく親和性を感じたし、それが店にも表現されているかなと思います。
―空気感として「しんしんしん」の曲をイメージされていたということですが、実際お店をつくる時に、具体的にどんなお店をイメージされていましたか。例えば、家具、店内に流れる音楽、お店の方の所作など…お店の空気感をつくるためにはいろいろな要素があると思います。
西條さん:手づくり感みたいなものは結構大事にしているかもしれないですね。ちゃんと設計したっていうよりは、結構行き当たりばったりで、自分の好きなものを置いていったり、集めていったりしています。
―並んでいる本は、すべて西條さんのコレクションですか?
西條さん:もらったものもあります。自分で集めたり、拾ってきたりとか。
机の板も、自分で下手くそに切っただけなんです。ちゃんときれいにお金かけて、作られている場所っていっぱいあるから、そこには、同じことをやっても敵わない。だからちょっと変な店があってもいいかなって。
―ここはお店が入る前はどんなテナントが入っていたんですか。
内装などは手を加えられたんですか。西條さん:昔、バーだったと聞いています。店が閉まってから3年ぐらい空いていて、その後にこの店が入ったそうです。壁はそのままですね。立地的にあまり表通りには向かないだろうと思っていたので、細い階段を上がっていく隠れ家的なところもちょうどよかったです。
―実際、お店を始められて、大変だったことや苦労したことはありますか。
西條さん:お店をオープンしてからすぐにコロナで休業要請があったので先行きが不透明な感じはありました。あとお店がここにあるっていうのを知ってもらうには時間がかかったかなと思います。オープンから2、3年経った現在、ようやく認知されるようになってきたと感じます。
―西條さんは、姉妹店「アスタルテ書茶房」「深夜喫茶/ホール多聞」も営業されていると思うのですが。
西條さん:はい、すべて営業しています。しんしんしん、多聞、アスタルテの順番にはじめました。アスタルテ書茶房が今年の3月にオープンしたばかりなので、最近はアスタルテにいることが多いですね。
―お店で提供されているコーヒーは、すべてネルドリップですか?コーヒー以外のメニューも気になります。
西條さん:そうですね。「コーヒー豆は、京都の「玉屋珈琲店」から仕入れていて、「喫茶しんしんしん」と「アスタルテ書茶房」はネルドリップ、「深夜喫茶/多聞」は、ペーパードリップで淹れています。ケーキは日替わり、コーヒーを使ったお酒も用意しています。
―お店としての今後の予定と意気込みをお聞きしたいです。
西條さん:まずは、店を続けていきたいです。このあたりは店の入れ替わりが激しくて…ここ最近で言うと同じ通りにある「天下一品3号店」が閉店してしまいました。30〜40年あったお店でずっとそこにある感じだったのでとても寂しいです。あと向かいに立っているマンションは、2年ぐらい前に建ったんですよね。そこにも40年続く「喫茶アラビカ」っていうコーヒー屋さんがあったんですけど、そこもなくなってしまって。そうやってお店がなくなることは当たり前かもしれないですけどね。僕自身まずはお店を継続して続けていきたいと思っています。今は学生が多いですが、ここでほっと一息ついて抱えているものを降ろしてもらえる場所でありたいなと思います。
―もうすでに元田中には欠かせないお店だと思います。最後に、西條さんが感じられる、元田中の街の魅力を教えてください。
西條さん:元田中周辺は、オフィスビルが立ち並ぶ街ではなく、個人店やビル、大学もあるからか街にのびやかな空気感があるのかなと思います。鴨川も近いし、叡山電鉄も走っているし、のどかな雰囲気もありつつ、文化的には結構色々あります。あと大文字焼きもすぐ近くで見られるんですよ。近隣住民はみんな道路や屋上から見ています。あと中華も美味しいですね。元田中は、6年ぐらい前からチャイナタウン化していて中国スーパーとか中華屋さんも増えてきました。
住みやすさは、交通の利便性だけではない!?
前述の通り「深夜喫茶しんしんしん」は、叡山電鉄叡山本線の元田中駅が最寄りです。出町柳駅を起点に宝ヶ池駅で二つの路線に枝分かれします。三宅八幡駅と八瀬比叡山口駅へと続くのが叡山本線、宝ヶ池駅から鞍馬駅に向かうのが鞍馬線です。駅としての利便性は決して高くはありません。ですが、駅を降りると低い建物と人の少なさに都会では感じられない清々しさを感じます。大文字山で行われる「五山送り火」も見ることができて夏の楽しみが増えそうです。
取材・文/葭谷うらら(インセクツ) 撮影/大原康二郎(BRAT)