楽曲優先 顔出しNG? 岡本真夜「TOMORROW」ゴダイゴのギタリスト浅野孝已プロデュース
90年代デビューアーティスト ヒット曲列伝vol.18
TOMORROW / 岡本真夜
▶︎ 作詞:岡本真夜 / 真名杏樹
▶︎ 作曲:岡本真夜
▶︎ 編曲:十川知司
▶︎ 発売:1995年5月10日
▶︎ 売上枚数:177.3万枚
1990年〜1999年の10年間にデビューし、ヒットを生み出したアーティストの楽曲を当時の時代背景や、ムーブメントとなった事象を深堀しながら紹介していく連載の第18弾。今回は、岡本真夜の「TOMORROW」を紹介ます。
ゴダイゴのギタリスト、浅野孝已がその才能を絶賛
母親が元ソプラノ歌手の声楽家、姉はピアニストを目指すクラシック一家に育ち、小さい頃からピアノを習っていた岡本真夜にとって、音楽は常に身近にあるものでした。1992年、自身の歌を録音したカセットを聴いた芸能事務所からスカウトされ、地元の高知県から東京へ上京。アルバイト生活をしながらボイストレーニングを受け、デビューのチャンスを探っていた時に、事務所から、ある条件を提案されます。その条件は “自分で作詞・作曲をした曲を100曲作ること”。
それまで作詞・作曲未経験だった岡本真夜は、これは試練だ!と捉え、頭に浮かんだメロディの鼻歌を、カセットテープや自宅の留守番電話に録音し、それらをパズルのように組み合わせる方法で曲を作り始めます。しかし全くの未経験から100曲を作るのは難しく、事務所からもらった予定日までに40曲しか作れませんでした。すみません… という気持ちで40曲を提出したのですが、それを聴いたゴダイゴのギタリスト、浅野孝已が絶賛します。
「キャリアがある者が作れないような曲を、あっさり出してくる。非常に幅の広い、しかも新鮮な曲ばかりだ」
これからも、あなたに寄り添い続けるスタンダードナンバーの誕生
プロデュースも担当することになった浅野孝已は、デビューに向け、ドラマのタイアップをつけてほしいとTBSのプロデューサーに岡本真夜が作ってきた楽曲を聴かせます。その中から選ばれたのが、当時バラードだった「TOMORROW」でした。リリース時にAメロとなったメロディからはじまる曲を聴いたドラマのプロデューサーは、サビを曲のアタマにした、アップテンポなサウンドに変えてもらえないかと変更を依頼します。
変更依頼を聴いた岡本真夜は、断固拒否。曲を変えるなんて絶対にありえないと思ったそうです。しかし、改めてこの曲を作った時の気持ちを思い出し変更を受け入れます。この曲を作った時のことを、リリース後のインタビューでこう話しています。
「この曲は、友だちを励ますために書いた曲なんです。歌い出しの〈涙の数だけ強くなれるよ〉という歌詞は、上京してから祖父が送ってくれた手紙の最後に書いてあった、“涙が多いのが人生だよ” って言葉からです。祖父は、上京するの大反対だったんです。私はそれを押し切って上京したんです。この言葉が自分の中ですごく心に残っていて、友だちを励ますときにこの一行ができたのかなって思っています」
インタビューで話した気持ちが多くの人に届き、何10年経ってもみんなに愛され続ける曲になることは全く予想していなかったそうですが、アップテンポなサウンドになった「TOMORROW」は、田中美佐子主演、TBS系ドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌に起用され、177万枚のミリオンヒットを記録。リリースした1995年に発生した阪神淡路大震災で被災した地域の方からたくさんのリクエストが届き、それ以降、日本で発生した災害の被害にあった地域に住む方から “この曲に励まされました” という感謝のメッセージが今も留まることのない、スタンダードナンバーになりました。
今や当たり前となった、顔出ししないメディア戦略でヒット
「TOMORROW」は、8cmCDシングルのジャケットやミュージックビデオにも顔を出さず、プロモーション活動に関しても、ライブやメディアへの顔出し出演を一切やらない方針でリリースされました。その理由は元々、人前に出るのが苦手で、自分が前に出るよりも楽曲を聴いてもらって、認めてもらえれば嬉しいという、岡本真夜の想いがありました。
ミリオンヒットを記録したことで、どんな人が歌っているのだろうというメディア露出への期待が大きく高まり、1995年の大晦日放送の『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場が決まり、そこがテレビ出演デビューとなったのですが、令和になった今の時代は、顔出しNGというスタイルで日本を飛び越え、世界でも活躍するミュージシャンが増えていることを考えると、岡本真夜の戦略は、非常に先進的なものだったのかもしれません。サビで響かせるフレーズが「♪自分をそのまま信じていてね」って、グッときますね!