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『豊臣秀頼の本当の父親は誰?』通説通り秀吉の実子だったのか?その謎に迫る(その2)

草の実堂

画像 : 豊臣秀頼 public domain
画像 : 豊臣秀頼 public domain

豊臣秀吉の後継者・秀頼は、時代が安土桃山から江戸に移行する激動期に、その出自と地位ゆえに悲劇的ともいえる人生を歩んだ人物として知られる。

一般に父は、太閤秀吉。母は浅井長政とお市の方の長女である浅井茶々(菊子)、通称淀殿とされ、1593(文禄2)年8月3日、大坂城二の丸で誕生した。

そんな秀頼に対し、昔から誰が本当の父親なのかという疑問が取り沙汰されてきた。

その1では、一般に流布してきた大野治長・名古屋山三郎・石田三成について考察した。

「豊臣秀頼の本当の父親は誰なのか?」治長か山三郎か三成か?その謎に迫る(その1)
https://kusanomido.com/study/history/98696/

その2では、通説である豊臣秀吉を含め、その謎を探っていきたいと思う。

なお、その1同様に、浅井茶々(菊子)については、淀殿の呼称で統一する。

実父処刑説 ~大坂城内の不貞により懐妊~

画像:豊臣期大坂図屏風に描かれた大坂城と城下の賑わい。public domain

繰り返しになるが秀頼は、1593(文禄2)年8月3日に誕生した。

平均的な妊娠期間を考えると、淀殿が懐妊したのは、1592(文禄元)年10月~11月頃と考えられる。

秀吉は、1592(文禄元)年4月から翌年1593(文禄2)年8月まで、朝鮮出兵の指揮を執るため前線基地の名護屋城に滞在した。
だが、この間およそ3ヶ月は名護屋城にいなかったとされる。また、淀殿は当時、大坂城二の丸に滞在しており、名護屋城に同行した側室は京極龍子(松の丸殿)だったとされている。

この3ヵ月が秀頼の実父を考えるうえで、非常に重要となるだろう。

すなわち、秀吉が大坂に帰っていれば、秀吉の可能性があり、不在なら誰か別の人物ということになる。

これについて、九州大学名誉教授で歴史学者の服部英雄氏は、1592(文禄元)年10月1日には、秀吉は大坂から九州へ向けて出発。10月30日に博多に到着し、11月5日に名護屋城に入ったとする説を述べ、秀頼の受胎想定日を11月4日頃とすることで、秀頼が淀殿の子ではないと主張する。

そしてその著書『河原ノ者・非人・秀吉』において、豊臣家後宮のただれた実態に触れ、淀殿を始めその周辺の女房衆・家来衆が大坂城内の祈祷所で、神仏を尊ぶ参篭という名のもとに不特定多数の者と不貞を行い、その結果、淀殿が懐妊したとした。

画像:月岡芳年の木版画「淀の君」public domain

史実的にもこの時期、秀吉は大坂城に出入りしていた祈祷師を追放し、淀殿周辺の男女を大量に処刑している。

この粛清の理由として、西洞院時慶(にしのとういんときよし)という公家はその日記に、「秀吉在陣の留守の女房衆、みだりに男女との儀」とし、「若君(秀頼)の御袋(淀殿)家中・女房衆御留守に曲事」で処刑されたと記している。

服部氏は、この時、秀吉は淀殿と秀頼には手を下さなかったものの、おそらくは秀頼の実父は殺されたとされ、豊臣政権の維持と外聞のために、淀殿周辺の男女に不貞の罪を押し付け、口封じを図ったとされている。

しかし、誰が処刑されたのかは詳らかではない。
時慶にしても、秀吉側近にしても、秀吉の口封じを知っていたが、詳しいことを記録に残すことで、累が及ぶことを恐れたのではないかとする。

また、淀殿が複数の男性と交わって懐妊したのなら、誰が父親であるかは不明であろう。

服部氏のこの説は、かなりの信憑性を有しているが、秀吉が大坂を出発した10月1日というのが少々微妙な点ではある。
この前後に、秀吉と淀殿が交渉をもっていれば妊娠が可能だからだ。

現代とは異なり、昔は男女の性のあり方はかなり大らかであった。神社の祭礼・仏教の法会・あるいは寺院・神社での参篭などでは、男女のフリーな交わりが公然と行われていた。

これは「神前・仏前は、神仏の力がおよぶ場所で、世俗の縁は完全に切れる」と解釈されていたからだ。

それ故に、どんな立場にある(既婚・未婚に関わらず)男女であっても、そのような場所では自由な交わりができると考えられていたようだ。寺社に参篭して子供を授かるという話は、ここからきていると考えられる。

淀殿が参篭という神聖な場で秀頼を懐妊したのなら、その子は「神仏から授かった子」とみなされたということも言えるのではないだろうか。

実父は「秀吉」が最有力か?

画像 : 豊臣秀吉 public domain

その1を含め、ここまで豊臣秀頼の実父として考えられる人物として、大野治長・名古屋山三郎・石田三成、そして大坂城内の祈禱所での不貞による複数人・不明説を紹介してきた。

最後に、通説通り「秀吉が秀頼の実父」ということについても考察してみたい。

秀吉が天下統一を果たした後、大坂城内には20名を近い側室がいたとされる。
好色だった秀吉は、1573(天正元)年に、長浜城主になった頃から正室の北政所以外の女性とも関係を持ち出し、それを信長から諫められていたという逸話が残っている。

秀吉の生涯において一体何人の女性と関係があったかは不明だが、一説には300人以上ともいわれ、かなりの数にのぼったことだろう。

そんな秀吉が「秀頼の実父ではない」とする説を支える根拠の一つに「秀吉には子種がなかった」とする意見がある。

秀吉を極端に嫌っていたと思われる宣教師ルイス・フロイスは、その著書『日本史』の中で

「もとより彼には子種がなく、子どもを作る体質を欠いている」

「日本の多くの者がこの出来事(鶴松誕生)を笑うべきこととし、関白にせよ、その兄弟、はたまた政庁にいるその二人の甥にせよ、かつて男女の子宝に恵まれたことがなかったので、子どもが(関白の)子であると信じる者はいなかった」

ルイス・フロイス『日本史』より意訳

と記している。

だが、そこに記されているように、秀吉は淀殿との間に、1589(天正17)年5月に嫡子・鶴松を設けている。
フロイスは「鶴松が秀吉の実子ではない」としているものの、これは秀吉への敵対心を背景とした主観的な見解ともとれる。

また、仮に鶴松も秀吉以外の男性と密通してできた子だとしても、それが秀吉に子種がなかったという確証にはならない。

実は秀吉は、鶴松・秀頼が誕生するより前に、一男一女を得ていたとの説があるのだ。

画像 : 羽柴秀勝の肖像 public domain

女子に関しては確かな史料はないが、男子は、秀吉が長浜城主時代に側室との間に設けたとされる「石松丸(羽柴秀勝)」がいた可能性が高い。

しかし石松丸は、1576(天正4)年10月に、6歳ほどで死去したとされ、その実在性については賛否が分かれている。

だが、秀吉が後になって養子とした織田信長四男や三好吉房次男にも、同じ秀勝という名を付けていること。
また、長浜市に今も伝わる曳山祭は、秀吉に男児が誕生したのを祝って始められたとの伝承があること。
さらに長浜市の妙法寺に、秀勝像とされる稚児姿の男児を描いた肖像画が所蔵されていたことなど、その実在を示すものも複数伝えられている。

そうしたことから、石松丸(秀勝)は、秀吉の実子とみてもよいのではないだろうか。

また、実子否定説の根拠としてよく挙げられるのが、『明良洪範』に記された秀頼の体格である。

秀頼は身長約197cm、体重約161kgの巨漢だったとされる一方で、秀吉は身長140~150cmほどの小柄な体格であった。この大きな体格差から、とても同じ血筋とは思えないという指摘がある。

しかし、淀殿の叔父である織田信長は170cmほど、父の浅井長政は180cmほど、母のお市の方も165cmほどとされ、淀殿自身も170cm近い長身だったという。

そのため、秀頼の身長197cmという記録が誇張されたものだとしても、母方の血筋から十分に説明可能であり、これをもって秀吉の実子でないと断定することはできないだろう。

画像 : 浅井長政 public domain

また秀吉は、鶴松を早世で失った後、秀頼に対して尋常ではないとも思える愛情を示している。

例えば、「すぐに秀頼のもとに帰って、その口を吸いたい」や、「中納言様(秀頼)の意に反した女中を自分が叩き殺してあげましょう」といった発言からも、秀頼に対する深い執着がうかがえる。

そして、臨終に際しては、徳川家康をはじめとする五大老を枕元に呼び、「秀頼のこと、くれぐれも頼み参らせ候」と、秀頼への忠誠を誓わせ、その行く末を頼んでいる。

こうした秀吉の行動について「大名家にとって最も重要なのは後継者の存在であり、血筋の真偽に関係なく、秀頼を後継者として可愛がった」とする見解もある。

しかし、そこには実の子である秀頼を思う、秀吉のおさえきれない心情があふれている、とみるのが自然ではないだろうか。

※参考文献 :
服部英雄著『河原ノ者・非人・秀吉』山川出版社刊 2012.5
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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