まさかの帝王切開に! 緊迫する展開はまるでドラマのよう!
2人の育児をしながら、フリーでデザインやライターの仕事をしている“tuchico”です。38歳で結婚し、39歳で娘、41歳で息子を出産しました。怖がりで、注射すらビクビクしていた私が、まさかの緊急帝王切開をすることに! まるでドラマのワンシーンのように緊迫した、第1子の出産記をお届けしたいと思います。
切迫早産で入院。でも40週過ぎても生まれる気配なし
私が妊娠した当時は38歳。高齢妊娠で不安の多い毎日でしたが、赤ちゃんはおなかの中で順調に育ってくれました。ところが妊娠後期30週のある日、突然、強い腹痛があり、病院へ行くと切迫早産の診断を受け、そのまま緊急入院となってしまいました。
4日間入院し、その後は自宅安静。家で1ヶ月ほど横になって過ごしました。おなかの張り止めを服用しながら安静を保ち、ようやく妊娠後期の38週に。薬の服用が止まりました。
38週目以降、おなかの張りは増えたものの出産にはつながらず、運動をしたり散歩をしたりしてみたのですが、赤ちゃんに会える気配なし。予定日を過ぎてしまいました。
妊娠40週4日の健診でもお産の兆候はなく、40週6日までに出産にならなかった場合は、陣痛促進剤を使って出産することになりました。
陣痛促進剤投与! しかし、事態は急展開に…
妊娠40週6日が過ぎても出産にはならず、促進剤を投与することに。ドキドキで迎えた入院当日は、母に付き添ってもらい、診察後に分娩室で促進剤の投与が始まりました。開始から5分、突然強烈な腹痛に襲われました。
苦しむ私を見た母が助産師さんを呼び、しばらくすると先生も来てくれました。私の様子を見た先生が、何人かの助産師さんを集めてやり取りをしています。会話は聞こえませんでしたが、私の頭を、何か嫌な予感がよぎりました。
すると、「赤ちゃんが苦しくなっているので、今から帝王切開をしましょう」という先生の言葉。予感的中です! 「帝王切開」という言葉は知っていましたが、まさか自分が帝王切開で出産することになるとは、まったく予想していませんでした…。
予想以上! 帝王切開後の体がこんなにつらいとは…
私の気持ちなどお構いなし。あれよあれよという間に手術室へ運ばれ、怖がる暇もなく、麻酔を受けて手術が始まりました。そして手術開始からわずか5分、あっという間に娘が誕生しました。
しかし、娘は出産後にうぶ声をなかなか上げず、とても不安でした。すると「ふぇ…」とかすかに聞こえた娘の声。小さいながらも「頑張ったよ」と言っているようでした。先生の説明では、赤ちゃんにへその緒がからまって苦しくなっていたそうです。念のため、娘はNICUで様子をみることになりました。
帝王切開はおなかを切るので痛みはあるのだろうと、想像はしていましたが、術後は予想以上に痛みがあり、動くこともできません。鎮痛剤を飲んで、ひたすら痛みに耐えることしかできませんでした。
やっと会えたね! 保育器の中の娘に感謝
夫によると、術後の私は放心状態だったそうです。手術時の出血量が多く、貧血状態だったからでしょうか。確かに当日の記憶はほとんどなく、娘にも会えていないので、出産したという実感はありませんでした。覚えているのは、娘の小さなうぶ声だけ。
2日後、私は娘に会うために、点滴スタンドにつかまりながらよろよろとNICUへ。ほんの20mほどの距離ですが、痛みを我慢して進むその道のりがとても遠く感じました。
保育器にいる娘は、点滴や機械をつながれた痛々しい姿。心配そうに娘を見る私に、看護師さんが「元気ですよ」と言ってくれました。へその緒が絡まってなかなか生まれることができなかった娘。それでも頑張ってくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
娘は41週2日に、身長51.0cm、体重3662gで生まれました。NICUに2日間お世話になりましたが、その後は問題もなく、元気にスクスクと育っています。帝王切開を受けることになるなんて、全く予想外のこと。しかし、出産時に娘が苦しがっていたことを考えると、帝王切開の痛みも忘れてしまいます。母は今でも「まるでドラマのワンシーンのようだったよ」と言います。今では、苦手だった注射も、帝王切開に比べれば全然怖くないと思えるようになりました。
[tuchico*プロフィール]
フリーでデザイン・ライターの仕事をしています。シャイでやんちゃな4歳の女の子と、甘えん坊の2歳の男の子の母です。夫と二人三脚で育児中。子どもに振り回されてヒーヒー言いながらも、小さな幸せを感じる毎日です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。