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【熊本市北区】ふしぎな菱形の池から、見えないだれかに案内されるように昔栄えた村の跡を見る~菱形の池・円台寺磨崖仏群・円台寺の石造笠塔婆~

肥後ジャーナル

【熊本市北区】ふしぎな菱形の池から、見えないだれかに案内されるように昔栄えた村の跡を見る~菱形の池・円台寺磨崖仏群・円台寺の石造笠塔婆~

北区植木町の国道113号線を車で走っていときに、「菱形の池」という案内板を見つけました。広い駐車場もあったので行ってみると、他にも珍しい石像があったりと、歴史散歩が出来ましたので、その様子をお知らせします。

場所は北区植木町円台寺

田原坂公園から車で10分くらいの場所。まわりには民家がぽつりぽつりとありますが、車も人通りもほとんどない場所でした。熊本水遺産めぐりの旗がある場所が広い駐車場となっておりました。

そのすぐ横に「菱形の池」という目印があり、細い道へ歩いて入ってゆきます。

熊本水遺産の文字がきらりとしておりました。

あいにくの曇り空。写真映りが心配です。 駐車場から歩いて1分もかからない場所に「菱形の池」はあります。

ほたるの幼虫放流地域とのことで、美しい自然が残されているかと思います。

到着しました。

何とも可愛らしい入口の案内は、車で来る途中にあった「菱形小学校」の「卒業制作の作品」でした。

こちらが「菱形の池」です。

池の周りが石で菱形に縁取られていることから「菱形の池」と呼ばれているそうです。

肥後国誌によると、5世紀ごろ遠征中の神功皇后(じんぐうこうごう)が応神天皇(おうじんてんのう)を出産された際、産湯に使われたと記録されているとのこと。神功皇后 - Wikipedia について読みましたが、それはそれは昔のお話。奥が深すぎてなにがなにやら。

しかしそんな伝説のある池は今もそっと、目では確認できないくらいわずかに水を産み出しておりました。そしてこの池の菱形の部分は、より神聖は場所とするために石で囲んだとされています。

昔は水も多くとても綺麗な地域の方々の憩いの場であったようですが、現在の水の量は少なく、鬱蒼とした雰囲気でした。ただ様々な伝説の残る貴重な場所なので、大切に守っていきたいですね。

円台寺磨崖仏群へ

駐車場に戻って、道の向こう側には、

このような看板がありました。「円台寺磨崖仏群」(えんだいじまがいぶつぐん)と「円台寺の石造笠塔婆」(えんだいじのせきぞうかさとうば)。熊本指定文化財とのことで、これは行ってみないと。

登り口、と書いてあるので、そこから登ってゆきます。

道は綺麗にしてありますが、結構きつい坂です。運動靴が良いでしょう。

どーーーーーーん!

登ってすぐにあらわれたこちら。びっくりしました。

これが「円台寺磨崖仏群」です。

これを目指して来たわけではないので、感動もひとしお。 この磨崖仏は1297年(永仁5年 鎌倉時代)に造られたという事でした。なんという昔…。

昔は500もの磨崖仏であったと言われており、現在は170程。しかし170もあるかなぁという印象でした。この窓のような所に石仏がもっとあったかと思われます。

彩色された跡もあり、元の姿を想像するとわくわくします。 案内板は見にくいですが、

円台寺は、比叡山延暦寺の末寺で、豊後国の守護大友能直によって建立された。 円台寺が栄えたのは鎌倉時代で、その後、一時衰えたが、応仁2年(1468)再興され、大永6年(1526)には大友義鑑によって修造されたといわれている。円台寺の麓にある菱形池から、円台寺までの凝灰岩の崖面に、阿弥陀三尊立像を中心に釈迦如来座像など大小の仏像が彫られている。作者は不明であるが、鎌倉時代の作で写実的で張りがある。これらの中には、光背や龕中に黒、黄、赤の彩色を施したものもみられる。以前はまだ数も多かったが、かなり崩壊したと思われる。残された磨崖仏は県内でも最も古く、かつ優れたものである。 また、近くには建久4年(1193)と同7年の銘をもつ、石造笠塔婆(県指定)のほか、正嘉元年(1257)銘の 宝塔、塔身、天正6年(1578)銘の板碑などの古塔がある。

との記載が。 県内で最も古く、作者不明という事がさらにミステリー。菱形の池からここまで、もっとたくさんの崖仏群があった事を想像すると、ものすごい光景です。しかも黒、赤、黄なども色も付いていたとなると、かなりの賑やかさです。

昔昔を想像するとき、なんとなく地味だったり、モノクロだったりで想像してしまいがちですが、今よりももっともっと色の溢れたカラフルな風景だったのかと思わされます。 残念ながら、この場所は最近のいたずらにより、石仏が壊されてしまう事件があったとの事。きちんと事件として捜査しているようですが本当に残念な事です。こういった行為は犯罪行為ですので、絶対にやめましょう。

円台寺の石造笠塔婆へ

更に登って円台寺の石造笠塔婆を見に行く事にします。

拓けた道にでて、このような案内があります。ここの奥は私有地ですので、入らないようにしましょう。

順路、の方向へ歩きます。

畑の中へ案内されます。

ん?

石が散らばったようになっております。熊本地震によって古いものが更に崩壊したようです。

円台寺の石造笠塔婆は2基あり、一基は1193年(建久4年)に、もう一基は1196年(建久7年)に建てられました。前者は、笠、相輪を失なった塔身だけが残っております。との事ですが、かなり様子が変わっていました。 そもそも、円台寺というのは、「京都比叡山の末寺といわれ、その周辺には多くの遺跡が残されています」との事で、何気にふらりと「菱形の池」を見に来たら、たくさんの史跡に出会ったという事で、思いがけず歴史を見る事が出来ました。

こちらの塔は、建久3年12月28日、15才という若さで亡くなった弥朗の霊を弔うために、建久4年2月15日に建てられたものと彫ってあるようです。梵字はしっかりと見えました。 弥朗とは誰?謎がいっぱいです。

まとめ

全体的にうら寂しい地区であります。鎌倉時代、修行僧が沢山おり栄えていた村であったという事がわかる史跡がたくさん残された、熊本の誇れる場所ではないでしょうか。 とても田舎なので、畑には害獣捕獲機などがありました。小さなお子様など目を離さないようにお願い致します。 崩壊していたり、人の手によって壊されていたりと残念な事もありましたが、人が全く居ない通りに(民家はあります)見事な仏像がある光景はもっと知られて観光スポットになってほしいと思いました。 今回思いがけず出会った史跡だった為に肝心の「円台寺廃寺跡(薬師堂)」にはたどり着けませんでしたが、見事な金剛力士像や仏像があるとのことで次回伺いたいと思います。

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